国花 桜日本国鳥 雉

次世代へ、世界に誇れる日本

今日(今晩)は、あなたは人目の来訪者です。

タイトルの『冷徹な頭脳と暖かい心』は経済学者アルフレッド・マーシャルの言葉です。貧民街を歩きながら経済学を考えていた、つまりは現実と学問の接点を常に意識していたという逸話があります。そういう意味で本ページも硬軟織り交ぜて記述していきます。論評をもらう事等は、はなから持ち合わせておらず、専門用語等の正確な認識は訪問者にお任せします。本コラムが何らかの思考の刺激薬あるいは話の種になれば幸いです。
発信者略歴 県立蒲江高校OB 大分大学経済学部経済学科卒(昭和58年入学) 職種; 総務・経理


89. ガソリン税の行方

ガソリン税は暫定税率があり、ガソリン価格のほぼ半分を占めている。尚且つ、ガソリン税には消費税がかかる、二重課税という不自然さがある。ガソリン税は目的税で道路における重要な財源となっているのは周知のとおりである。暫定税率は旧民主党が廃止を叫んだ公約があったが、結局は実現不可能となった。今後はその可能性はあるのか?個人的には無理だろうと思っている。むしろ暫定税率は暫定では無くなり、税率そのものが引き上げられる可能性があるのではないか、と考えている。僕自身は非常に燃費性能が優れている車に乗っている。そうなるとガソリン消費は遠出をするようなことが無ければ、その車に乗る以前よりも少なくなる。現状、各自動車メーカーは燃費性能の向上を進めているわけであるから、これから自動車を購入するユーザーが中古者より新車への志向性が高まる(購入前に比べて燃費向上によるガソリン節約分である程度、購入コストを引き下げる効果は絶大であろう)傾向に拍車がかかるであろう。そうなれば、日々の走行距離がある程度増えても、燃費低減効果がそれを上回れば、ますますガソリン消費は減少し、ガソリン税歳入そのものが同様に減少してゆく。そうなると、道路そのものに係る新規コスト・更新補修コストが減らない限り、その税金歳入減少は税率の上昇手段へと為政者にインセンティブを与えるものになるだろう。エコカー減税は確かに個人に対して新車購入の動機付けを与え、自動車メーカーの売上増に貢献した政策ではあるが、ガソリン税歳入を減らす効果をもたらす、という皮肉な結果をもたらすことになる。また、結局、歳入減少は暫定税率の現状維持という政府の言い分に良い口実を与えることになるだろう。今は、あまり聞かないが「環境税の導入」だが、仮に新たにガソリンへその税を加えることは、ガソリン消費を単に車での消費に使い、わざわざ燃費性能が良いことでの省エネ効果を持つ車を選択した個人にしてみれば、冗談じゃない、となるだろう。少々、脱線するが初年度登録から13年を超える車の重量税が増税されることになっている。これは、買い替えの促進という経済効果と税金歳入増大という一石二鳥をねらったものであろう。これでは、政府と自動車メーカーの協同化ではないか、と勘ぐりたくなる。我々、自動車ユーザーらが納得のいく税制が確立されてゆくように訴えていくべきだろう。確かに日本財政は苦しいが、それとこれとは別問題だろう。

88. 共有地問題

アダム・スミスは個々人の利己的動機に基づき、経済活動を行えば市場の「見えざる手」により、市場は需要供給法則での市場価格により効率的に機能する、と言った。しかし、共有地問題は『資源の枯渇』はその利己心が決定的にもたらすと、1968年のハーディーン論文は警鐘をならした。その論文は論争を呼ぶことになった。ここでは放牧の例をとって分析する。今、ある村にn人の農夫が従事していると考える。毎夏に村の牧草地でヤギに餌を食べさせる。 i 番目の農夫が所有するヤギの頭数をgi、村のヤギ全頭数を G= g1 + --- + gn とする。1頭のヤギを購入及び飼育する費用は、一人の農夫が所有する頭数から独立して、定数 c とする。Gのヤギが飼育され、1頭のヤギを飼育する農夫に与えられる、その価値は1頭あたりv(G)である。ヤギが生存するには少なくとも、ある一定量の牧草が必要になるので、牧草地で餌を与えうる最大限の頭数値、Gmax が存在する。すなわち、 G < Gmax のとき、v(G)>0であり、G ≧ Gmax のとき v(G)=0である。さらに、最初のわずかな頭数では、餌場には十分な余地がある場合1頭を増やしても他のヤギにそれほどの害を与える影響は無いが、すべてのヤギがほとんど生存し得ないほどのGmaxの近傍にある頭数の場合、同様の行為は劇的に他のヤギに悪影響を及ぼすことになる。これを、定式化すると、G<Gmaxにおいて、v′(G)<0、v′′(G)<0になる。これを、縦軸v、横軸Gでの平面座標で考えると、曲線の傾きは負であり、傾きの負の勾配がGが増加するにつれて、増々負になる曲線を持つ。つまり、v′(G)<0は追加的ヤギの増分による1頭当たり価値は下がることを意味し、v′′(G)<0は追加増分での価値が下がり続けることを意味する。春になると、全ての農夫が何頭のヤギを所有するかを同時に選択する。ヤギは連続的に分割可能だと仮定する。これは、勿論、数学的操作を意識しての仮定である。i番目の農夫が取る戦略は、giという牧草地で餌を与えるヤギの頭数の選択である。戦略空間が[0,∞)であると仮定することは、その農夫に興味を覚えさせ得る全ての選択を網羅するが、[0,Gmax)で十分であろう。gi頭のヤギに餌をやる農夫 i の利得は、他の農夫により餌付けされるヤギの数が(g1 , … , gi-1, gi+1, …,gn) の場合、gi・v(g1 + ・・・ + gi-1 + gi + gi+1 + ・・・ + gn) ― cgi --- ➀ 従って、もし(gi*,… ,gn*)がナッシュ均衡であるなら、他の農夫らが(g1*,… ,gi-1*,gi+1*, ... , gn*)を選択することを所与として、gi*が最大化されなければならない。(g1*,… ,gi-1*,gi+1*, ... , gn*)=g*-iとして、この最適化の一階条件はv(gi+g*-i)+giv′(gi+g*-i)-c=0 ---⓶ 、⓶はiという一人の農夫の最適化でn人存在するので、⓶においてi=1,2,… ,nとして代入し、giをgi*とみなして、辺々加え、得られた等式をnで両辺を除すと、v(G*)+G*v′(G*)/n―c=0[G*=g1*+・・・+gn*]---③。一方で、社会的に最適な解は、社会の利得関数Gv(G)-cGの最大化問題で、解くと v(G)+Gv′(G)-c=0でG**を最適な社会的ヤギ飼育数とすると、v(G**)+G**v′(G**)-c=0--- ④である。③と④を比較して、今G*=G**と仮定すると、v′(G**)<0で、これは飼育数を追加することでの損失価値を意味しているが、③の左辺第2項の係数1/nがあることから、社会的損失として最適レベルにあるにも関わらず、少なくとも1人の個人が追加頭数を増やすことで総価値を押し上げようとするインセンティブを持つことになる。そうして、結局のところG*がG**を超越する事態が生まれる。「共有地という場としての公共財は各人にとって、徐々に不足がちになり、そこにある牧草という資源は過剰に利用されることになる。」 という帰結が導出されるのである。この問題で身近な例としてはクロマグロの国際的資源管理が挙げられよう。地下資源という無機物は宇宙進出を果たすか、はたまた人工組成で技術開発するかなければ、いつかは枯渇する。しかし、生物資源はライフサイクルが科学的に立証される。ゆえに、資源管理が適切に処されれば、持続的な市場の維持が可能ではあろう。我々、欲求動機に基づく利己心はケースバイケースで管理されることの必要性があることを想起しておいてもらいたい。
参考文献 GAME THEORY FOR APPLIED ECONOMISTS : Robert Gibbons 著

87. ゲーム理論 ファーバー理論

現在、ゲーム理論の洋書を読んでおり、これは面白いと思う理論を紹介したい。final-offer 裁定モデルでのナッシュ均衡を導出する。ナッシュ均衡とは、平たく言えば、ゲームプレイヤ―らがいて、各自の最適なプレー戦略行動に対して、各自が最適な反応行動をすることで、得ることのできる最適な均衡である。ある企業とその労働組合が賃金の議論をする。そして、それらから提示される賃金額情報を基に、arbitrator(裁定者)が賃金額を決定する。企業と労働組合は同時に、賃金額の提示を行う。企業サイドのそれをWf、労働組合のそれをWuとしよう。裁定者は解決として、ふたつのオファーのひとつを選択する。次に、裁定者にとって理想的な解決額をXとする。さらに、彼が両者の提示額を観察した後、Xにより近いオファーを選択する。もし、Wf<Wuならば、X<(Wf+Wu)/2のときWfを選択し、X>(Wf+Wu)/2のときにWuを選択する。等号の場合が考えられるが、取るに足らない問題である。例えば、コインを投げて決めることがあり得よう。Wf<Wuという前提は直観的にも、頷けるだろう。企業はできるだけ労働コストを押さえたいという衝動が一般的だからである。裁定者自身はXを知っているが、他の当事者は認知していない。そして、F(X)で示される累積確率分布に従って、Xがランダムに割り当てられる、と企業・労働組合は信じている。F(X)は確率密度関数f(X)と関連する。F(X)はX1<X(任意)での確率値であり、Prob{X1<X}=F(X)である。F(X)は確率値であるから、当然、0≦F(X)≦1である。f(X)はF(X)をXで微分したものである。X2>X1のときF(X2)>F(X1)でF(X)は増加関数であるから、任意のXに関して、0≦f(X)が成り立つ。さて、上記のように裁定者行動が特定化され、もし、オファーがWfとWuならば、確率Prob{選択されるWf}とProb{選択されるWu}が次のように表現され得ると企業・組合は信じている。Prob{選択されるWf}=Prob{X<(Wf+Wu)/2}=F((Wf+Wu)/2)--- ➀ そしてProb{選択されるWu}=1― F((Wf+Wu)/2)--- ② ➀は前述したX1=X、X=(Wf+Wu)/2とみなすと分かるだろう。②は➀の余事象から分かる。したがって、解決としての期待賃金はWf・Prob{選択されるWf}+Wu・Prob{選択されるWu}=Wf・F((Wf+Wu)/2)+Wu・[1― F((Wf+Wu)/2)] ここで、裁定者による期待される賃金解決案を企業は最小に、労働組合は最大にしたいと仮定する。オファーの組合せ(Wf*,Wu*)が両当事者間ゲームのナッシュ均衡解であるとするならば、Wf*は次を解いて求める。Wfの最小化; Wf・F((Wf+Wu*)/2)+Wu*・[1 ―F((Wf+Wu*)/2)] ---③ そしてWu*は次式 、Wuの最大化; Wf*・F((Wf*+Wu)/2)+Wu・[1 ―F((Wf*+Wu)/2)] ---④を解いて求める。これらの最小化・最大化問題は1変数であるから、③はWf、④は Wuについて、微分して得られた式に、③ではWf*を、④ではWu*を代入して、各式=0にしさえすればよい。この1階条件で十分であるかは、ここでは問題にしない。なお*の付いた記号は最終的に各ゲームプレイヤーにとって最適なものとして、取った行動値であるから、定数値とみなすことになる。なお、積の微分公式は{p(x)・q(x)}′=p′(x)・q(x)+p(x)・q′(x)であった。また、{F(x)}′ =f(x)である。③を解くと、(Wu*-Wf*)・1/2f((Wf*+Wu*)/2)=F((Wf*+Wu*)/2) ---⑤  ④を解くと(Wu*- Wf*)・ 1/2f((Wf*+Wu*)/2)=[1―F((Wf*+Wu*)/2)]---⑥、⑤と⑥の左辺は等しいので、F((Wf*+Wu*)/2)=1/2 ---⑦、⑦は各オファーの平均値が裁定者が選好する解決案の中央値に等しくなければならない、ことを示している。⑦を⑤か⑥の一方に代入すると、Wu*- Wf*=1/f((Wf*+Wu*)/2)が導かれる。すなわち、各オファーの偏差は裁定者が選好する解決案の中央値での確率密度関数の逆数に等しいことを意味する。その等式をfで両辺を除したわけだが、⑦の結果から、⑤の右辺が0でない定数から、⑤の左辺で論じている偏差やfが0にはなり得ないことを示している。これを直観的に訴える結果を創り出すために、今、一つの例示を考える。裁定者が選好する解決案が中間値m、分散σ²を持つ正規分布に従うと仮定する。その場合に確率密度関数はf(X)=1/√(2πσ²)exp{-(X-m)²/2σ²}である。expはネイピア数と呼ばれ、微積分で活躍する超越数である。正規分布は中間の周りで対称であるから、その分布の中央値は分布の中間mに等しい。ゆえに、(Wf*+Wu*)/2=m --- ⑧で、Wu*- Wf*=1/f(m)=√(2πσ²) ---⑨ ∵⑨はexpの指数部分が0になる。指数関数での0乗は1であった。⑧及び⑨から、ナッシュ均衡オファーは、Wu*=m+√(πσ²/2)、Wf*=m-√(πσ²/2)が導出された。ゆえに、均衡解は裁定者選好案の期待値mの周りに集約され、各オファーの偏差は、裁定者選好案に関する両当事者の不確実性、つまりσ²と共に増大する。σ²が0に近づけば、近づくほど、つまりは確実性が高まるほど、両オファーがmに近づくことから理解できよう。裁定者案に不確実性がそれほどないならば、アグレッシブなオファーに頼るのは避けるべきだという帰結になる。米国では企業の損害賠償請求で懲罰的補償について判決額が巨額になる。その事実に確実性があるなら、争うことより和解により、損失を少しでも小さくすることが妥当だということは、この理論から類推できよう。他には離婚の慰謝料が考えられるが、その場合、年収という変数が調停者の解決案に影響を及ぼすのであろう。あとは離婚原因とか。いずれにせよ、多くの慰謝料請求されるのが確実なら、早めに、こちらから和解額を提示するのが、利得的に大かもしれない。

86. 宅浪時代

もう、30数年以上も前の話だ。家庭の金銭状況を考え、独り努力することを誓った。しかし、実際のところ僕の周りの友人らは全て進路が決まり、自分には当てもなく、ぼやけて煌びやかな光が差し込みことのない、暗い空間を彷徨っていて、将来の展望も描けないような不安に駆られた日々だった。国立一本で、県内大学だけの志望であったために、合格しなかったらどうしようか?それが、繰り返し心の奥底から反響していた。その時代、ニートという言葉は、まだ存在していなかったが、まさに、そういう状況に追い込まれるような面持ちであった。さらに悪いことに、元カノに再度告白して撃沈され、深い海底に沈み込んでいくのであった。
もう蒲江高校は廃校になって存在はしないが、ほぼ地元の若者が進学する町内向けの高校であった。進学クラスはあったものの、先輩らでの国立大学進学者は数えるほどであった。そういうことも手伝ってか、宅浪してまで国立を目指す者に手を差し伸べてやろうと支援をくださった先生がいらした。神官もしていた現国担当の塩月先生だった。やはり僕のことを知っていた熊谷校長先生と相談され、校舎の一室を貸すので、学校で勉強してはどうかと提案をして下さった。そのご提案を受け入れ、ほぼ毎日、また通学することになった。こうして高校4年生が始まることになった。当初は現役時と同様に毎日自転車で通学していた。貸された部屋は図書室の裏側にあるとても静かな部屋だった。現役生の教室とは離れており、昼休みでも続けて学習できるほど、集中してやるにはもってこいであった。毎日16時間以上はしたであろうか。当初は苦手な数学が伸び悩み、涙をこぼす日々であった。しかし、6月頃、ある問題を解きながら解らず、ボーっとしていた時、閃光が頭の中に走り、その問題をスラスラと解答できたのである。この現象には高校3年時でのある認識経験が影響したと思っている。数学での授業中、池田先生が、ある生徒をさして解答を求めていたとき、先生が発した言葉が脳幹にしみたのである。「わからん、わからんいう前によう考えてみらんか。」俺は実際に分からない問題は逃げてばかりで、「知ろう、考えて考え抜く、その努力が足りなさ過ぎた。」と痛感した。それ以来、難しい問題でもある程度は格闘していたのである。そうして、もう臆することなくドンドン突き進むだけであった。模試ではA判定を受け、もうこれで落ちても「しゃあないな。」と考えていた。
宅浪を経験して得た教訓とは、自らの能力を卑下して、知ろうとする意志を捨て去ることは、中・高生時では早いのではないか、といことである。それほど、僕は老いてはいなかったわけだが、大器晩成ということはあり得ると思う。僕が数学偏差値を大幅に引き上げることに成功したのは、数学が苦手であっても、嫌いではなかったことが、最大の要因であったのではないか?そこで、もがいて、もがいて、たどり着いた結果である。中学生で、はやばやと自分の能力に幕引きを図る子が多いと思うが、それではあまりに惜しいと、断言しておきたい。

85. 中学生のための関数論

数学は努力によって向上することが科学的に証明されている。自分には能力がないという安っぽい 考えは捨てよ。高校現役で数学偏差値38であったものでも、今、こうして、数学が語れるのだから。高校までの数学は厳密な数学ではない(主観が入りこんだ 直観に頼っている、ということ)し、時代的に18世紀~19世紀ぐらいまでのものだ。厳密な論理世界へ挑戦するぐらいの気概を持て。以下、記載の説明は理解を促すためのものであるから、厳密性に欠けるところもある。しかし、中学レベルでは入試問題を解くのに少しも問題はない。
僕は中学生のとき関数という概念がはっきりわかっていなかった。ようやく、はっきりと認識したのは高校の円グラフに出会ってからである。なぜなら、疑問が湧いたからである。何故、円関数というタイトルではなく円グラフなのかと。そこで初めて、当該、円の定義域である、ひとつのXに2つのYが対応しているので、数学では円を関数と呼べず、グラフというのだと。ここで、「ひとつのXに、ただひとつのYが対応するときにYはXの関数である。」というテキストの定義がやっと理解できた。しかし、もっと何かいい説明はないのか?中学生時、僕の聴く能力が弱かったのか、それとも教え方に無理があったのか?
最初に与えられるひとつの数をXとし、魔法の箱があり、その中でどんな計算が行われるかわからないが、その中にひとつのXを入れたとしよう。そして、箱から出てくるひとつの 数をYと呼ぶ。例えば、X=2としてY=6が出てきたとしよう。このとき、いろいろな計算が考えられる。例えば、① 6=5×2-4 ②  6=12÷2......のように。①において、6をY、2をXに置き換えると、Y=5・X-4が得られる。このXとYの関係性が保たれるならば、X=3 であれば、Y=11が得られるはずである。しかし、今はまだ魔法の箱であるから、どんどんひとつ、ひとつのXを箱に入れて、どんなひとつ、ひとつのYが出てくるかを確かめなければならない。無限の入出を繰り返して、Y=5・X-4の関係になっているとき、そのXとYの関係が正しいといえる。②の場合、同様 の手順を踏んで、X=3、Y=4等々の関係性が得られればY=12/Xが得られる。①、②は形が違えども、ひとつのXに、ひとつのYが確かに対応している ので、この関係性を関数と呼ぶ。(ただし、②において0で割ることは約束事で、できないのでX=0の場合は最初から考えられていない。)Xがなければ、そもそもYは得られないのだから、YはXに関係付けられた数という意味と、解釈しても中学生では問題はない。自説だが関数は英語でfunctionという。 functionには機能という意味があるが、Xが存在しなければ,あるいは意味のあるXが無ければ、関数は機能しないのである。
さて、魔法の箱といったが、この魔法の箱こそが、関数と呼ばれるもので、通常fで表され、箱にXを入れること、つまり、fにXを入れることをf( X )で表現する。そして、f( X )の値そのものがYであるなら、Y=f( X )とできる。fは魔法の箱であるが、①のように具体的に求められたな ら、Y=5X-4と表され、②のように具体的に求められたら、Y=12/Xと表現する。関数とわかっていても、具体的に形がわからなければ、Y=f( X ) と表現するしかない。通常fを用いると言ったが、当然、他の記号を用いても構わない。他の記号に変えても性質に影響がない記号をダミーという。
具体的な関数形がわかれば、ひとつのXにひとつのYが対応していることから( X, Y )という座標が得られるので、x-y座標平面(デカルト平面)に曲線(直線も曲線の一種)が交わることなく描ける。中学では学ばないが、こういう曲線が 描ける関数を連続関数という。連続があるなら、不連続も考えられるわけで、少なくとも、どこか一か所に途切れていたり、離れていたりする曲線を持つ関数を 不連続関数という。自然科学や社会科学では連続関数の扱いが多い。実際、連続関数には重要な性質があり、分析を行う上で有用なのだ。
実は、この対応関係を広くは写像という。写像にはⅠ:X側の全ての要素がYのどれかに対応すること(すべてのYとは限らない)は、一般の写像、 Ⅱ:X側の全ての要素が、すべてのYのどれかに対応していることを全射、Ⅲ:X側の全ての要素がひとつづつ、Yの全てではないけれど、どれかにひとつの要素に1対1対応していることを単射、Ⅳ:ⅡおよびⅢを満たしていることを全単射という。4つの種類がある。写像は数以外のものでも考えられるので、要素という 言葉を用いた。そして、特に数を考え、全単射であるものを関数という。全単射であることから、逆関数という性質が高校で学習される。
関数に際限なく繰り返し、Xを入れて具体的な関数の形を決めていたのでは当然、時間がない。そこで学校では、あらかじめ自然科学や社会科学に有益な関数の形(関数形)を特定して、学んでもらおうというわけだ。①にあったY=5X-4において、Y=5X+(-4)として、5を a , -4を b として、Y = aX + b( aはゼロではない )の形を一次関数と呼び、最初に学ぶ関数となる。②は分数の形であるから、分数関数というが、②は特殊な 形であり、一般的な形での性質は高校で学ぶ。中学までは二次関数、高校では指数・対数関数、分数関数、合成関数、導関数、三角関数、三次以上の高次関数、 積分関数、大学初年次では、多変数関数、偏導関数が学ばれよう。ちなみに、社会で出てくる需要曲線は偏導関数の考えを用いた経済学の分析法で部分均衡分析の一部である。
最後に、マイクロソフトの表計算Excelに関数がついているが、何故、関数と呼ぶかは、もう、わかると思うが。ある関数式を組み込んで おけば、ひとつの値に対応する、ひとつの値が得られることにある。しかし、この関数式は数以外も対象となり得るので、数学の厳密な意味で言うなら、写像である。
通常 X や Yは小文字で表現されるが、ホームページ上の見やすさを考え、ほとんど大文字表記とした。

84. 経済政策論考

二人の男が葡萄酒を担いでいる。その葡萄酒の数量を100単位だとする。一方の男が、喉が渇いたので、ある提案を相手にする。「今、20円手持ちがあり、それを上げるので2単位分の葡萄酒を飲ませてくれ。」提案された男は了承する。すると、お金をもらった男も喉の渇きに耐え切れず、やはり20円を払って2単位分飲む。また、最初に提案した男が払って飲む。それを交互に繰り返して葡萄酒が結局はなくなった。
この事例は経済学の仮説、貨幣数量説の好例である。葡萄酒の数量が実質GDP --- Qに相当し、20円/2単位=10円/単位が物価 --- Pであり、貨幣供給量 --- Mが20円で、繰り返された回数50回転が貨幣の回転速度 --- Vと呼ばれる。
20円×100単位/2単位 = 20円/2単位×100単位、ゆえに有名な恒等式が得られる。

M・V ≡ P・Q --- ①

➀における各変数を時間の関数とみて、両辺について自然対数関数微分をすれば、 貨幣供給の増加率 + 貨幣の回転速度上昇率 = 名目物価上昇率 + 実質GDP成長率が得られる。ここで回転速度が時間的に不変と仮定すると、貨幣の回転速度上昇率がゼロであるから、MがPやQ、あるいはPやQがMに影響を及ぼすという因果が考えられる。卵が先か鶏が先か的議論になるが起因はその時の経済構造によるだろう。また、名目物価上昇率は実質物価上昇率と期待インフレ率の和である。期待インフレはやはり中期的に好景気になると高まることになるだろうが、実態でのエネルギー価格や円安による輸入インフレも一因になろう。日銀の政策物価目標で原油価格低迷を気にするのは期待インフレが縮小することを回避したいことにある。
日本経済がデフレであるとは、名目物価上昇率(=実質物価上昇率+期待インフレ率)が下落傾向にあり、つまりは国内の経済活動が弱い状態を指す。過去にみられた急激な円高による輸出競争力の減退とバブル崩壊による国内総需要の減少で企業、特に製造業はコストダウンによる国際競争力を高めること、さらなる成長を求めて海外へと生産をシフトさせた。そうしたことで、当然、国内労働需要は減少し、それに伴い政府の労働政策が大企業を中心とする経営者らの要求による法改定によって、労働者の雇用形態を非正規労働者へと増加させるに至った。これにより、個人のマクロの家計所得が減少することで、さらに国内総需要を下方にシフトさせ、家計の低価格志向への意識を強めさせた。マクロ的にみて、自らの首を絞めたことになってしまった。
上述を起因として現状の日本経済のデフレを解消せしめるには、期待インフレを高めること、すなわち経済の好況感を国民に感じさせなければならない。日本は今や莫大な借金を抱え、巨額の財政出動、いわゆる財政政策を行うことは不可能である。本来不況に対処するには財政政策と金融政策のポリシーミックスが必要である。財政での対策が打てない中、金融政策に主眼をおいて対処するしかない。そして補完的に産業政策、いわゆる成長戦略の遂行である。つまり、日銀はPに主眼、政府はQに主眼をおくということだ。
大規模な金融緩和によって円高是正を求めたことは仕方のないことだ。通貨安競争だと国際的疑義が生じようとも、今の日本にはそれしか手段がなかったことだ。円安で国際競争力が戻り輸出増加の起因になり、企業の海外でのドル建て利益が不変でも所得収支は円ベースで増加する。企業の利益が増加することで、賃金増への原資が生まれる。
賃金上昇が単に経済だけに恩恵を与えるのではない。やはり社会保障とも密接に絡む。非正規雇用が増加する中、少子化・高齢化による若年層の社会負担の軽減を少しでも抑えようとするには、賃金の増加は必須である。勿論、正規社員としての雇用形態が少しでも増えれば良いが。また高齢者の社会での積極的活用も考えねばならない。年金との兼ね合いを考慮する必要があるが、現状、稼得分だけ年金が減額されると聞いている。果たしてそれが最善なのだろうか?議論の余地ありと思う。

83. 格安SIM

今はまだ利用者はスマホ全利用者の数パーセントに過ぎない。僕は今年4月から利用し始めた。大手キャリア3社による寡占状態により、通信・通話の利用料金が高止まりする中、自分の可処分所得を鑑みて、そのコストを抑える選択をした。月間の通話での利用がそれ程までにない、ユーザーにはぜひとも推奨したい。昨今、通信速度の速さ、特にダウンロード受信速度が速まってきたが、それは消費者の購買意欲を高めようとする、一種の商品の差別化だと思っている。動画、特に映画のHDバージョンをダウンロードしようとした場合、極力、時間をかけたくない。しかし、現実WiMAXでなければ、それのダウンロード容量は3GB以上になるので、月間利用可能量に制約がある段階では、モバイル通信ではなくWi-Fi通信で、そういった対応をとると考えられるだろう。では動画を視聴するといった場合どうであろうか?容量1MBは通信単位では8Mbである。したがって、仮に理論値で800MB容量をダウンロード速度80Mbpsでは、800÷80×8=80秒かかる、という計算になる。120分の映画で容量4GBでは、1秒当たり約0.6MBであり、速度に直すと理論値約4.8Mbpsで画質等を考えると、8Mbpsぐらいの平均ダウンロード速度であれば十分視聴可能となるし、ニュース動画においても十分であろう。格安SIMは会社により差異があるが、僕の加入しているOCNモバイルONEの受信速度は時間帯で遅くなることもあるが、田舎でも10Mbps以上でるので、少しも問題はない。動画で問題がなければ、SNS・SMS・Web閲覧にも何ら支障はない。通話はLINEのラインアウトを使えば、毎月390円で固定・携帯に対して60分通話ができる。もっと通話するのであれば、120分のオプションもある。当然ライン同士は無料で通話ができる。ただ、モバイル通信なら、通信利用量は常に留意しておく必要がある。SMSでは通信量はかかっても、通信料のかからない方法はあるし。OCNモバイルONEの長所は当月通信量の残量が翌月利用期限で翌月へ繰り越せることだ。僕は基本3GB/月プランだが、そう使わないので、翌月にはだいたい5GBの利用可能量となる。それで、音声付きSIMで税抜き2千円にならない。自宅でのISP費用約4600円と合わせて、¥6,600の通信コストとなっている。キャリアを使うと月に1万を超えるだろう。格安SIMは重宝だ。ただ、高速定額をうたうSIMがあるが、そのプランは回避すべきかもしれない。日本通信の高速定額プランは、ほんと詐欺だった。受信速度で30Mbpsあったのに、YouTubeストリーミングまでに5分もかかり、画質においても最悪というものだった。デジタルだけに何らかのトラフィック制御という制約がある。やはり、月間利用に制約量がある、プランを選択するべきだろう。その日本通信で月3GBプランに変えたところ、受信ストリーミングが劇的に変わった。また、支払がクレジットカードに限られる会社が多い点も留意しておこう。端末は自己負担だが、やはり月間コストが少なくて済むのはいいことだ。僕はSIMフリーiPhone 6 Plus 128Gを毎月約4千円払っているが、3年目の端末代支払終了以降も毎月の通信費は現状とほぼ変わらないし。アンドロイドなら今はSIMフリースマホが安くあるから、それを購入すれば良い。


82. 21世紀の資本

私自身はまだ本著を読んだわけでもない。しかし、著者が進言する高額所得者への課税強化に賛成を表明したい。僕は先物取引を引き合いに出し、現代資本主義の姿に疑問を投げかけた。マクロ経済学にあるケインズが初めて提唱した基本理論で、実物経済においてフローの投資と貯蓄の均衡がフローの所得を決定する、とある。投資と貯蓄のアンバランスが財・サービスの超過需要、超過供給をなす。しかし、少数の人間に富が集中すれば、フロー概念での超過供給が常態化し、ストックが実物経済への悪影響を与えると考えるのは自然である。
財・サービスへと流れる資産が金融資産へと巡っている。金融システム の安定とは何なのか。基本なのは実物経済に悪影響を与えないよう貨幣の信認の度合いを保持・安定させることである。そして、経済取引が円滑に進むように銀 行システムを安定させることであり、銀行自体の経営の健全化を図ることにある。
ところが、原油等々に代表される先物取引価格の不安定化が実 物経済に悪影響を与えるがゆえに、先物取引価格が安定、もっと言えば取引が活発化されるようにすべき、というストックとしての貯蓄超過が誉れ、実態経済ではなく金融経済に重点を置くような資本主義の土台を忘却したような主張がされている。
また、経済学者の中には「現代資本主義に内在した経 済・社会システムにおいての成功は必然であり、成功できない者は彼らを邪魔するな。貧困者は素直に貧乏を楽しめ。」と過去に辿ってきた資本主義の歴史を看過する意見がなされている。我々、社会の所得は能力に応じて分配される機能的分配であり、当然、各人が所属する市場の収益率に応じて決まってくる。つまりはお金は天から降って湧くものではない。しかしだ。その機能が現実に機能しているかが問題だ。真面目に働くものがバカを見ていないのかが問題なのだ。
資本主義の原点はイギリスでの強制的な労働者の囲い込みから始まった。資本の蓄積は彼ら無くして始まらなかったろう。労働者の存在無くして資本主義の存立は 毛頭あり得ないのである。現代資本主義は機能的所得分配での『所得の独占』を許してしまっている感がある。所得の独占に対しての一つのあり得る対策として 累進課税が相当であり、相続税強化が必要であろう。成功者だからといって所得の独占を社会が見逃してはならない。社会が与える報酬は一定レベルまでは個人の業績として自由裁量を与え、それを超える額には制限を加えることが肝要である。
資本主義社会の安定は実態経済でフローでの投資・ 貯蓄バランスが上手くいくことにかかっており、経済成長には労働人口の安定、技術開発がかかってくる。資本主義の発展はシュンペーターが創造的破壊と言った技術革新・発明、それも当然、需要を喚起する市場に受け入れられるものがあり、さらに労働者所得の増大が年々とあったからである。
これから以後も資本主義が長らえるには、そういった技術革新と労働者所得増大という両輪が回ってゆかねばならない。21世紀の資本が訴えているのは、我々社会に生み出された所得を実態経済に取り戻す、時間をおくことなく還元させることだと考えている。
ジョン・メイナード・ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』の中で、金利生活者を強烈に批判していたことを、我々は忘れてはならない。


81.住友金属鉱山時代-1

就活から住友金属鉱山時代までを取り上げてみようと思う。僕の就職活動は5回生の7月から始まった。大分大学経済学科の大学院合格を果たしていたのだが、講義への不出席がたたり(大学にいったものはわからないだろうが、必ずしも100%は出席することはしない。ただ、興味のあるものだけに、出席し過ぎた。) わずか一科目が不可になったために卒業できず、父の反対もあり、進学を断念することになったためだ。7月といえば、もうほとんどの学生は内定が決まっていた時期である。就職できるのか?と不安はあったが、悲観的ではなかった。受けた企業は、NTT、中央信託銀行(バブル崩壊を起因とする合併でその名は無くなったはず)、日本銀行、そして住友金属鉱山であった。NTT、中央信託銀行はあまり脈が無さそうだと感じていた。日本銀行は当時の福岡支店の副支店長が大分大学OBで出身大学から来てほしいとの切望もあり、大学へ求人を出していたのかもしれない。次長面接までいったが、結局は採用通知をもらえなかった。しかし、本店にいくまでに、4回から5回、大分支店に足を運ぶというように、すぐに本店にいくとはならなかった。住友金属鉱山はテレビでレアメタルの特集を見て資源産業に興味が出てきて、受けてみようと決めた。福岡支店へ2、3回行ったあと、本社面接に進んだ。20人ぐらいの学生が来ていただろうか。東京6大学出身者がほとんどだったろう。受験偏差値でいえば、僕の大学は負けるだろうが、それは入るときのことであって、出るときはそうとは限らない。僕は就職のことを考えて経済学を学んでいたわけではないが、このことこそ僕の唯一の武器であり、個性だと考えていた。一般の社会通念と現実にはかなりの差があると思うが、地方国立大学から大企業に入ることは珍しいことではない。大分大学のOBに優れた人が多く、企業も取ってみようと考えるのかもしれない。もちろん他国立大学もそうだろうが。
だが、今の学生にはひとつ言っておきたいが、脳の柔らかい若いときこそ、脳をもっと働かせ柔軟な発想ができるようにしておくべきだ。経済学はその最たる良き手段であると思っている。理論が現実を説明できないとしても。
ちょっと脱線したが、その面接で採用されるのは、わずか1人だと事前に知らされた。やるっきゃなかった。専門試験も難なくこなした。100%のできだったろう。その日、ひとりだけ人事に呼ばれ、すぐに採用か否かの結果がほしいかを聞いてきた。日本銀行の結果はわかっていたが、日本銀行を餌にして、すぐに返事をお願いした。そして、採用に至ったわけである。
各種、各場所で研修が行われ、6月兵庫県加古郡播磨町に位置する、鉛・亜鉛工場である播磨事業所の業務部業務課経理に配属された。最初は工場内研修ということで、現場勤務と同じように3勤交代を経験した。主たる目的は、現場で注視している管理内容の認知、設備の働きを知ること、現場作業員との接点をもつことであった。現場研修後も、各設備の名称、それら働きや、原料(海外鉱石が主)がどのような設備を通過して、鉛や亜鉛に変化していくのかを完璧に覚えなければならなかった。当然、誰かが手取り、足取り教えてくれるわけでもない。全ては自分の頭脳にかかっていた。ヘルメット・安全靴を身に着け、毎日、時間があれば現場を見て回った。現場で働く社員の人たちにも積極的に質問をしていった。学卒(大卒はこう呼ばれていた)がまた来たかと、当初、現場勤務社員らは迷惑顔をしていた。僕は変なプライドを持つことなく、接していった。後になって、この経験は十分助かった。現場で何かあったとき、すぐに誰となく情報を集めることができたからである。
しかし、僕の指導員は厳しい人だった。後になって聞いたが、その人が指導員になった新入社員が3名ぐらい辞めていたということだった。強烈な不安にかられながらも、今自分ができることをやるのだ、という気力が以後のモチベーションとなった。現場研修期間が過ぎて、一番、つらい仕事になったのが、予算作業でのコピー作業だった。コンビニにあるようなコピー機ではなく、ガリ版刷りで紙を一枚ずつ合わせてインクを塗ってゆくものだった。予算書は100枚以上あり、立ち続けの作業だった。2,3日間は深夜まで続いたのではないか。

80.経済学の基本的な数学応用編

コラム56で書いていたが、僕が大学2年次に遭遇した、需要の価格弾力性の定義を利用した数学応用を紹介しよう。需要の価格弾力性とは、他の経済条件を所与とみなして、価格上昇に伴う、その増加割合に対して需要量減少の割合を比で示したもので、定義式は以下のごとく表現される。

ε=-(⊿Q/Q)/(⊿P/P)

マイナスを使っているのは、通常、議論される需要曲線の傾きは負であるから、絶対値で考えているのである。⊿は増分記号で、微分は微小変化であるから、⊿を微分記号dに変えて論じる。

需要の価格弾力性

少々、議論として荒っぽいが鉄道会社の運賃値上げを考えてみる。利用者が通勤で用いる鉄道会社が運賃を10円値上げした場合、代替財が問題だが、考えられるのはバスとの競合であろう。しかし、10円の値上げでこれまでの鉄道の利便性を捨てて、バスに替えるとは考えにくいだろう。こうようなことから、その場合の需要曲線は価格のわずかな上昇に対して、反応が鈍い、すなわち非弾力的であると考えられる。ゆえに、鉄道会社の値上げは需要の価格弾力性が1より小さいので増収となる。なお、代替財でバスをあげたが、もちろん他の鉄道会社との競合も考慮すべきではある。
ここでは、特定の値を求めての議論ではない。この分析を定性分析といい、特定の値を求めての分析を定量分析というが、経済学では計量分析というのが妥当だろう。それには計量経済学が利用される。

79.バブル以後の日本経済の記述分析 一考察

デフレ脱却と新たなる成長を求めて、いわゆるアベノミクスが実行中である。日本経済がデフレと言われてきたが、一般国民には分かり易く説明されてきた試しがない。僕自身、深く考察したことがなく、ただ、そうだと感じていたに過ぎない。自分が論じることが読み手に理解されるか自信はないが、マクロ経済学を学んだ者として以下に試みようと思う。
大蔵省の総量規制に始まった地価の暴落は株式市場へと波及し、株価の暴落へとつながった。経済理論にもある逆資産効果が強烈に影響し、国内総需要はスーパーショックというほどの減少へと転落する。
理論で乗数効果というものがある。ひらたくいえば、総需要の例えば100単位の増加は、他の経済的影響が不変とすれば、単に100単位の増加をもたらすのではなく、数倍の需要増大をもたらすのである。したがって、これの逆のことが生じれば、100単位の減少はその数倍の減少という負の効果をもたらすのである。通常、乗数には消費、投資、輸出が考えられるが、負の効果での最近の事例でいえばリーマンショックがこれにあたる。米国の著しい景気減速が日本の輸出の激しい減少の起因となり、負の乗数効果を通じて日本経済の総需要を減退させたのである。
さて、バブル崩壊で企業は総需要の早期の回復が見込めない中では、最大限の営業努力を実行しても、もはや事業展開が困難であり、早期退職優遇措置(早期退職すればそれだけ退職金を積み増すこと)や整理解雇、時間外労働の禁止、ベアカット、賞与削減・カット、という労務費削減、国内投資の先送り・撤回し、間接費用の削減を徹底化した。ミクロ的なものであるなら、さほどの問題ではないが、全産業で行われれば、上述した消費や投資の負の乗数効果が吹き荒れる。そうなると、輸出が頼みになるが、これに追い打ちをかけたのが、円の急騰、すなわち円高である。国内総需要の減退と円高が企業の海外進出を加速させた。国内各事業での以前より在る、余力ある供給体制に見合わない、需要の減退を補うには海外展開も考慮せざるをえなかった。そして、従来の価格設定では期待売上が見込まれず、家計所得が減少していることが、消費者の低価格志向へと意識を変え、これに対応すべく相対的に安い賃金の海外に生産拠点を築くことへと企業を行動させた。さらに、円高は海外企業の安い製品、すなわち輸入品との競合も厳しくした。
総需要の増加に足踏みが続く中、これまでの労働構造を変える法律が施行された。いわゆる労働者派遣法の改定である。これにより、正規雇用者の対義語である非正規雇用者の増大を生じさせた。このことが、家計所得のさらなる減少を生み、消費的側面での総需要増大は見込まれなくなった上に、バブル崩壊以前に日本が国際経済において、内需拡大への経済構造転換の約束が不毛となった。
以上、記述分析してきたが、要約すると、家計所得の減少、新規国内投資の減少による財やサービスに対する総需要の減少、円高等が日本経済のデフレ要因となったのであろう。最近論じられるようになった生産人口減少による総需要減少問題は20年前には考えられなかった要因であり、これはデフレ解決いやそれよりも経済成長にとって新しいリスク要因になっている。
アベノミクスは金融の異次元緩和により、円高を是正し海外企業との競争を少しでも緩和し、かつ為替リスクのあるドル建て損益を益化し、企業のキャッシュフローを健全化し、労働者の賃金上昇の原資とし、その増大が総需要の増加を生み出し、企業の国内での期待売上を助長し、新規投資を誘発させ、さらに総需要を増大させる、という車輪を回し価格転嫁が自律的に経済に組み込まれることを狙ったものである。そして、企業の財政基盤を盤石として、将来有望な事業へと経営資源を向けさせる成長戦略を企図している。
しかし、東日本大震災以後、福島事故によるエネルギー問題が暗い影を落とす。原発の稼働停止による主として火力発電への転換は円高是正もあって、予想どおり大きな貿易赤字をもたらしている。短期的なものであるなら、不安ではないが、現在、巨額の借金を抱える財政状態には脅威である。僕は以前、原発廃止を訴えた山本太郎氏に賛同(100%ではない。)の意を表したが、あくまでも長期的な意味での廃止論である。過去に貿易赤字と財政赤字という双子の赤字で、苦しんでいた米国の姿は覚えている。大部分の国民が現状以上の生活水準を望むのであれば、より経済的合理性を踏まえて判断されることを望む。貿易赤字が経常状態になれば、金融市場での円の信頼度が低下し、信頼度が低下すると日本国債の人気が無くなり、もし、信頼低下前に海外投資家の国債保有率が大きくなっていた場合、日本国債の売却が始まり、国債価格の減少、すなわち長期金利の上昇を生むことになる。そして、日本財政は破綻への道に突き進むことになるだろう。

78.消費税率上昇に伴う価格上昇についての一考察

消費税分の価格上昇は当然、価格上昇は伴うので、ここでは増税部分以外の価格上昇、即ち純粋な価格の転嫁について考察する。閉鎖経済とし、ここでの増税は全て消費税の増税とする。
消費税額は企業が産み出す付加価値に消費税率を乗じて求められる。
付加価値とは企業の産出額から原材料や加工材料費等を差し引いたものである。残る付加価値が労務費、その他間接費、役員報酬、配当(オープンカンパニーの場合)、企業のその他投資金、消費税以外の税金、企業の剰余金、引当金へと配分される。
価格転嫁が生じるとすれば、最大の事因は労務費であろう。増税に伴う付加価値の減少は企業のキャッシュフローの減少であるから、キャッシュフローに占める労務費の相対的度合いが増大する。従来の価格設定のままでの、これに対する企業行動はどのようなものが列挙されるであろうか。

  1. 非正規社員の雇用割合を増大させる。
  2. 正規社員の給与ベース、労働時間(特に残業)の見直し
  3. 諸経費のコストカット(新規投資案件での想定額も含めて)
  4. 減価償却のストップ

等々が挙げられるだろう。

消費者サイドでは、所得の増加や消費行動に増税が影響を与えないほどの所得のストック(貯蓄や資産ストック)が無ければ、増税分の価格上昇により、購入数量すなわち需要量を減少せざるを得ないだろう。そうなると、企業では増税によるキャッシュフローの減少、さらに消費減退による売上減少によるキャッシュフローの減少というジレンマに陥ってしまう。この観点からして、上に挙げた企業行動は現実味を帯びる。一つずつ観ていこう。
非正規社員の割合を増やすことは、正規社員の解雇あるいは降格処置としての勤務形態の変化が考えられるが、労働法に対するコンプライアンスから考慮すると相当の困難が伴う。正規社員の給与カットは社員の士気に影響し、労働へのインセンティブを奪うことになるだろう。全社的な経営不振が明白でない限り、組合が存在する場合、相当の抵抗を受けるだろう。そうすると、困難なくやれるとすれば、それら以外の列挙した方策となる。問題はそれら方策を通じて増税分のキャッシュフローを賄えるかにある。
こうして、総じてみると、最後に行き当たるのが価格転嫁となる。しかし、上述したように需要の減退は明白である。更なる価格転嫁は更なる需要減退を生み、それによる、さらなる売上減少に企業が直面というジレンマからトリレンマに自ら陥る可能性もあり得る。企業間の価格転嫁は交渉のパワーバランスであり、転嫁が実行されるかは不明である。これは事業が独占状態にあれば転嫁は行われやすいだろう。なぜなら、競争状態であれば相手の動向を伺う、いわゆる睨み合いが続くと考えられ、独自の価格転嫁は相手に有利なカードをきることになる。だがこれは、需要の価格弾力性が1より小さいと当該企業が判断すれば、転嫁による値上げは増収を意味する。ただ、そのリスクをどう判断するかによるだろう。
また、中小規模の企業では大企業と違って増税は間違いなく相当の痛手である。地方密着型企業であって、競争企業の存在が希薄であれば価格転嫁はされ易いのではないかと考えられる。
総合的に考えると、キャッシュフローに余裕のある、あるいは資産ストックの豊富な企業は短期的には価格転嫁は行動には織り込まないだろう。しかし、そうでない企業は価格転嫁も視野に入れながらも、実行動に移すことに踏み出すには時間がかかるのではなかろうか。ミクロ的には価格転嫁はあり得ても、マクロ的に価格転嫁による物価上昇は個人的には、さほどはないと考える。

77.所得格差と高校進学率

某メディアで取り上げられた話題で、生活保護を受けている世帯の高校進学率が、ある程度の所得を持ち自立している家庭よりも低く、そうした状況の中で、ボランティア団体が無料でそういった家庭境遇を余儀なくされている中学生の勉強指導にあたっているという話題であった。
中学時における学習意欲に与える影響は様々である。低所得層での子供の勉強意欲を削ぐ最大の要因は、勉強しても親のお金を心配することなく、高校生活を謳歌できるかという不安、将来まだ勉強を続けたい意欲を持つことへの不安や心配なのではないかと思う。科学的証明があるかわからないが、僕の経験則から判断すると脳内で何ら心配や不安がないという、束縛感の無さが認識されないと、学習意欲、理解に悪影響があるのではないかと考えている。
低所得により、塾や学習塾にいけないこと、あるいは自由に教材を購入できないことが、進学率を低めていることはないと思う。中学生になれば、周りの世界は狭いがある程度の自意識をもつ。どういうふうにすれば、理解が深まるか自身で探ろうとするはずである。僕自身は野球部に所属していた。およそ40年前の中学のクラブ活動は練習時間に何ら制約もなく、監督教師に委ねられていた。ゆえに、クラブ活動をしない者に比べて、自宅での学習可能時間は当然減った。じゃ、どうするか?授業を真面目に毎日聞くか、深夜遅くまで他人が寝ている時間に勉強するということである。そして、一つでも得意科目を作ることである。
低所得により、親の関心が教育に向けられない、という要因は関係ないだろう。僕の家庭は完全放任主義であり、通知表も見ず、模試の成績でさえ関心がなく、仕事の関係上、授業参観も小学校2年生までしかこなかった。それに、勉強や宿題をしなさい、という一般にはありそうな主張もなかった。親から褒められたいという意識はもちろんあっが、褒められる可能性がなくても学習意欲を失うことはなかった。親が高所得を保っていたとしても、僕の学習環境はひどかったと思う。旅館のため、カラオケが鳴るわ、お客のドンチャン騒ぎの音が聞こえるや、であった。
有名高校ではなく、一般の公立高校に行こうと思えば、本来、真面目に普通に勉強していれば、いけるものである。定員はあるが競争入試であるのは通常だから、所得格差は関係ない。それに、僕は田舎人だから都市部のように受験競争の現実を肌身で感じる機会もなかった。それでも、なお自分でやれるのである。田舎人でも社会は全県模試で2回は、およそ2万人中2番であり、最低順位でも11番であった。英語は一年生であれば、誰でも興味を持ち満点近くとるであろうが、二年生になると定期テストで60点台であった。しかし、これも自省し自力で3年生では全県模試において60点満点で50点以上とれるようになった。
高校入試だけでなく、一般に中学時の勉強は己がいかに自覚して、日頃の学習をするか、という心構えが大切である。それに、もちろん勉強は楽しいというより、苦痛が大半である。このことは中学生みんなにほとんど言えることであり、この点について、所得格差などなんの要因にはならない。むしろ、こういった苦痛にも耐えることも、大人になるための一つの関門なのであるから、甘えさせていては駄目だ。
しかし、最上段の方で言及したように、勉強しても親のお金を心配することなく、高校生活を謳歌できるかという不安、将来まだ勉強を続けたい意欲を持つことへの不安や心配を払拭するような社会的施策を実行しなければいけないことは確かである。そして、中学入学時にそういった制度があることを中学生にも理解できるよう事前に知らしめておくべきであろう。僕が自分の思うまま、壁にぶつかりながらも、勉学に勤しむことができたのは、そのような不安や懸念が一切なかったことが、やはり大きかったに違いない。

76.企業の不祥事

反社会的勢力とのつながり、詐欺まがいの商法、談合、不当労働行為、安全追求の不備等々コンプライアンスに対する低い意識、モラルの無さが問われる。
僕は法律に詳しくないけれども、企業は法人と呼ばれるが、そもそも法人とは法人格という言葉に由来すると自分では解釈している。法人格というのは、実個人が権利・義務を法律に則り、法行為をなす能力を有するように、企業もあたかも一人の人間のように看做された人格を有するものと考え得る。現実に企業経営者が法人格という言葉をいかほどに念頭を置いているだろうか。昨今、社会的に注視されている過労死を基に論じてみよう。
経営者は経営資源の最適配分を考え、その上での経営組織の在り方を踏まえ人材を配置し、その使用者たる人材の下に人員を配置し、利益の最大化や逸失利益の最小化を図ったりする。しかし、そこには一つの大前提を置くだろう。それは最少費用での最大効果である。期待利益あるいは期待売上が見込まれない限り、労働集約型業務であれば極力、人員すなわち働く駒の増加を嫌悪する。現場内で業務効率を維持あるいは向上させるに人員不足が認識されようとも組織内でそのような報告がされ得ないか、報告が無視される状況は容易に想像できる。では何がそうさせてしまうのか。もちろん、上で述べた組織としての法人格の意識の低さや無さである。労働契約は個人と企業の契約であるが、人格対人格の契約である。一個人と組織と鑑みると、どうしても個人の弱さが浮き彫りにされてしまいそうだが、現法律状態がどうであるか不明だけれども、社会的に労働契約に関して、その契約は対等であり、組織だからこそ個人との間の労働契約上、組織が優るということはない、と個人的に痛切に感ずる。それを経営者は深く憂慮すべきである。
現在、雇用政策において、労働流動性を高めるために、企業の解雇権が緩和されるようなことが議論されているが、労働者の権利が十分満足にいくような状況に無い中で、かような政策が論じられるには憤慨する。
僕自身が大企業でサービス残業をしていた経験があることから、ワタミ社員で過労による自殺をした女性について至極、遺憾であり残念でならない。むしろ彼女が一番残念であるかもしれないが。簡潔すぎるけれども、彼女にこの文面を捧げよう。

75.先物市場と資本主義[2011.12.1 Facebookノート転載]

昨今、原油及び穀物市場において、投機資金の流入による価格の高騰が続いている。経済学を日々考える者としては果たして、そういった先物市場が資本主義にそぐうものなのか疑念を感じざるを得ない。僕はミクロ経済学を深く勉強したことはないので、そのように感じてしまうのだろうか。かの有名な数学者フォン・ノイマンは「経済学者は現実をみていない。」と述べていたそうだ。
先物市場が創設された理由はいろいろとあるだろうが、第一義的には、『価格の平準化機能を果たす』ためであろう。投機家は価格が低い時に安く購入し、価格が高い時に売却をして利益をあげる、つまり、低い価格を押し上げ、高い価格を押し下げるという価格平準の機能である。現実の原油・穀物の先物市場は、実体経済の攪乱としかとらえられないと感じるのが一般的ではなかろうか。
投機が攪乱的という主張に対して、経済学者のミルトン・フリードマンはこう反論している。「投機は一般に攪乱的であると主張している人々は、投機家が損をすると主張しているのである。なぜなら、投機が攪乱的というのは、全体として投機家が通貨の安いときに売り、高いときに買う場合に限られるからである。」
彼は実体経済に及ぼす要因は貨幣が重要と考えているゆえに、結局は先物取引における投機では、それほど貨幣的要因が見当たらず、実体経済への影響は何らないと考えているか、それと、市場のクリアリングの速さを念頭においているかもしれない。(極端な私見であるが。)
確かに、経済学的かつ数学的に先物市場において(長期的には)価格が平準化されることは証明されている。しかし、それも情報の完全予見等の仮定があっての話である。
資本主義の基本は需要・供給の世界である。基本となる市場の世界は同質・同等の市場参加者が多数集合した世界である。通常の財の現物市場では、生産者側は需給で決定される価格をシグナルとして、日々、企業努力を行い、マーケットの厚い信頼の持続を勝ち取ろうと奮闘している。いわば、『汗の見える世界』である。その世界が現在、在る資本主義を形づくってきた。これこそが資本主義の原動力のひとつであることは明白である。
現状の先物市場では、豊富な資金力を備えた投機家が市場支配力、市場決定力を持ち合わせているのは確かであろう。基本となる市場観とは、もうすでに相当、かけ離れていることは間違いなかろう。投機的行動に関しては恐らく、様々な論文が発表されてはいるだろう。
全ての先物市場が「価格の平準化」に寄与していない、とは私は言っていない。しかし、明らかに実体経済に悪影響を及ぼす様な制度・システムを資本主義経済に組み込むことは、極論すれば現世界の社会そのものを破壊しかねないと考える。原油市場が乱高下を繰り返すのを見て「あ~、価格の平準化だ。」とつぶやいてみても、結局のところ、誰にも、原油がいつ枯渇するのかさえ予想できない不透明さがあるゆえに、良かれ、悪しかれ意味をもっていることしか考えようがない。
資本主義の原理・原則をもう一度見直し、「何をなすべきか」、「何をなさざるべきか」明確にする必要がある。資本主義において不要なテコは捨てることも、我々、人間の知恵であり、勇気でもある。不要なテコにより、さらなる資本主義経済の変動が大きくなれば、実体経済の攪乱は不可避であろう。
 参考文献 館 龍一郎 著 「金融政策の理論」

74.失敗論

失敗学という学問があるそうだが、これから論じようすることは、そこまで掘り下げるようなものではない。
企業というチームの中で失敗をいかに、上手く活かしていくかが主題である。現在はデジタル世界となり、あらゆる情報が保存可能となった。社会的に見れば、ビッグデータという言葉が現れるようになった。企業は成功論ばかりが、もてはやされるが、企業内部の中で最も重要なのは失敗の蓄積ではなかろうか。蓄積には勿論、それらデータが共有されることが前提となる。
企業の時系列的行動には過去と類似した問題が多々起こり得ると考えられる。人も変われば、方法論も変わりうる。だが、発想の何がしかには何かしらのclueがあろう。我々は過去・現在の書物を読み、それらを糧として思考、行為を巡らしているのが通常だろう。
生じた行為の錯誤は必ず文書化、明確化すべきである。どこが問題であったのかという所在を認識し、原因を追求し、結果として何がまずかったのか、論理分析を展開すべきである。しかし、問題がある。組織において個人やグループで提案された議案が役員会で決定承認され、担当執行役員がいたとしても全社的になされたものであった場合、責任の所在をどこに置くかという問題である。常識的には代表取締役が引責辞任の方策がとられるだろうが、失敗が単なる辞任で終わってしまえば、ここで論じる点は皆無となり、一つも企業の糧となりはしないだろう。通常、大企業では、プロパーで勤務した社員が出世してリーダーとして選ばれるのであるから、失敗例を蓄積・共有するとは重要である。
上記問題を回避する一つの方法として、役員会の機能とは切り離された独立の部署を設置することが考えられよう。大企業には財務上の監査役がいるが、いわば、この種の実行為に関する監察的役目を設けるのである。さらに、当該部署の機能に即して、組織の在り方を根本的に考察することも必要であろう。
不思議なことに、公的にはこういう部類の部署があるが、企業には存在していないように思える。ただ、株主からの批判を受け、謝罪・辞任では脳が無かろう。
私的意見だが、これからは成功例に浸るのではなく、失敗例を蓄積・共有した企業が成功を確かにし、成長してゆく可能性が高いのではなかろうか。もちろん、このデータは企業財産であり、機密に相当するものであるから、外部に公表する必要はない。また、全社員への公表ではなく、企業で定めた一定の社員、例えば管理職あるいは課長級以上とするのも良いだろう。そして、秘匿に関して十分な契約関係を敷いておくことは言うまでもない。

73.漫画「はだしのゲン」

島根県松江市では、「はだしのゲン」を小学生が自由に読めなくする措置をとったという。その理由は、一部の描写が過激すぎるという意見が寄せられたからである。
僕は小学生のとき、この漫画を読んだことがある。確かに、描写がそう捉えられてもしかたない場面はあろう。だが、小学生が読んでマズイと思ったことはない。個々の感受性やイマジネーションによるだろうが、現実の一つの戦争の悲惨さを作者自らが体験し、漫画を通じて追体験の場を読者に与える、非常に良い手段だと思う。中学2年の修学旅行で原爆資料館を観たが、誰しもが訪問する機会があるわけではない。原爆の恐ろしさ、戦争の負の側面を認識する作者が次世代へ遺した叫びである。果たして、聞いただけで小中生にそれだけの想像力が湧くであろうか、疑問である。
ナチスがユダヤ人数百万人を虐殺した。この事実を知って大人でもイマジネーションが湧くであろうか?いや当然、湧くまい。あの映画、シンドラーのリストで性器もろだしの痩せこけた人々が描かれている。えっ、ここまで描写するかと大人の僕でも思ったが、これがナチスのやった一部の真の事実だということなのだ、と納得している。漫画であれ、映画であれ、作者の意図にもよるだろうが、本当の戦争の姿を知るにはリアリティがある程度は必要ではなかろうか。
はだしのゲンが創刊されたのは数十年も前のことである。僕だけでなくたくさんの少年が読んだであろう。大勢の少年がトラウマになり、社会問題化しただろうか?松江市のような馬鹿なひどく子供を過敏に保護するような手だてが、ひ弱で精神薄弱な大人を量産化する、あのゆとり教育の弊害と同じようなことと考える。問題の根本にあるのは、大人が子供に対して眼前と岩のごとく存在する勇気がないことの表れではないだろうか。大人社会がしっかりすれば、かような気使いは全く必要のないことである。
僕は基本的に反戦主義だが、愛する者、大切な者を守るためには、守り抜く気概はある。しかし、現実に戦争が生じれば、「はだしのゲン」のような悲惨さ、惨めさを敵であろうが、味方であろうが、両者共に容赦なく味わい、味わさせるのだと我々は肝に銘じておくべきであるし、覚悟が必要となる。

72.インフレターゲット

アベノミクスでの第一手段として、日本銀行とタッグを組み大規模な金融緩和策へと乗り出した。想定しているのは経済が自律的にインフレーションを組込むようにすることである。インフレ値を目標にして経済の好況を作り出すことを意図している。このベースにある考えはフィリップス曲線である。この曲線は1960年代から俄かに注目を浴び始めた。X-Y座標平面の第一象限で、縦軸に物価上昇率、横軸に失業率をとると、右下がりの曲線が描けることを、イギリスの過去の統計データからフィリップスが最初に発表したのである。しかし、これは驚くほどの発見ではなかった。常識による直感から考えると、経済の好況期には失業率は低下し、物価上昇率は増加する傾向にあり、不況期には失業率の増加、物価上昇率の減少が生じると予想されるからである。したがって、この常識論を科学的に裏付けしたものにすぎなかった。
アメリカでケネディ大統領の時代、ケインジアンと呼ばれるケインズの考えを信奉する経済学者が、フィリップス曲線を土台にして、ポリシーミックスに応用しだした。ポリシーミックスとは財政政策と金融政策を融合して経済の総需要を管理することである。物価の安定と雇用政策には、上述したようにフィリップス曲線が右下がりであることから、二律背反、つまりトレード・オフの関係が存在する。すなわち、物価上昇率を抑え込もうとすれば、失業率の上昇を伴い、失業率の低下を目指すならば、物価上昇率の増加を覚悟しなければならないのである。物価と雇用の両立は困難なのである。
フィリップス曲線の応用は本来インフレが通常状態の経済を想定している。アベノミクスは現在の日本経済がフィリップス曲線を描くような経済構造になっているかが問題である。ましてや、フィリップス曲線はあくまでも経済統計の結果を述べているだけであって、これについてのバックグラウンド分析が示されていない。そしてまた、これは短期的な話であって、長期的となれば話が違ってくる。異次元の金融緩和を行なったことは短期を考慮にいれて、時間をかけることなく、デフレからの脱却を図ったことが意図されているのかもしれない。長期的戦略として、成長戦略いわゆる残る二本の矢を政策に掲げたのかもしれない。経済学者の中にケインズ政策、いわゆる上記した総需要管理政策が短期であっても無効、あるいは長期では無効だと論ずる者もいる。長期の話でいえば、このフィリップス曲線が垂直、すなわち経済構造自体がもつ失業率に収まるというのである。ケインズ政策が有効か否かという結論を一括りに断言することはできないだろう。しかし、リーマンショック時の過渡な経済の落込みのような状況下ではある程度の効果があると断言できよう。
だがアベノミクスの行われている日本経済はどうなのかが問題だ。日本は外生的要因が色濃く反映された円高の影響を過渡に受けているといえる。円高を協調して是正する国際環境は期待できない。本来、在るべき円レートの姿からいえば、いわば不況の煽りを受けていると考えるのが妥当である。この論点からすれば、大規模な財政政策の手段を打って出ることができない中で、金融政策を講じる外はないと言えるだろう。 日本の総需要は生産人口の減少により、可処分所得の減少を伴い消費が縮小する傾向にあるという。理論からすれば労働供給の減少(左方へのシフト)は他の事情が不変であれば賃金の上昇をもたらすはずだが、そうはなっていない。ということは、供給の減少より労働需要がそれよりも減退している(下方へのシフト)と考える。その要因の一つが過渡な円高にあると言うのは至極自然なことではなかろうか。
アベノミクスが円レートの適正化を図り、企業所得の増大が労働需要を励起させ賃金上昇を生み出し、内需を拡大させ、長期的な経済環境の好転という期待感を持てるかが重要である。そうでなければ、デフレからの脱却はできない。

71.法人税制度の周知

今日、初めて弁護士や税理士等の報酬にかかる源泉徴収税率が本年1月分から10%から10.21%に復興税の関係で変わっていることを知った。大企業であれば経理関係の冊子が購読できるため、自分なりに情報が得られるが小企業はそうはいかない。税務当局から税制の変更点につき小冊子もくるが、もっと良い方法はないのか。国税局が中心となって全企業を管理下において、サーバーに登録しておき、メールで法人税制度の周知徹底を図ってもいいのではないか。情報社会といいながら、こういったシステムの有り様は前近代的な感じがする。

70.死刑制度

私は死刑制度を肯定する。 死刑を廃止しようとする国際的団体が存在することは承知している。死刑制度は理性的に語ろうとしても無理なものではないか。感情的にならざるを得ない。死刑判決を下した経験のある元裁判官が、冤罪の疑いがある死刑囚を生み出す可能性のある現在の司法制度において、死刑制度は肯定できないと論じていた。しかし、全きの証拠で100パーセントの確率で殺人を犯した者を、そういった理由で死刑を回避させる理由があろうか。私自身では知人のお嬢さんが交際相手に絞殺されたという体験がある。自分の身内でなくても、それは衝撃的である。親としての彼の心情はいくばくのものであったろうか?想像を絶するものであったろう。彼にかけてやる言葉がなかった。 死刑は率直にいって、語弊はあるが我々が合法的に手にかけた者を抹殺する唯一無二の手段である。この唯一無二の手段を保持することが野蛮なことであろうか。進歩していないことになるのであろうか。死刑を宣告するのは被害者家族ではない。あくまでも第三者である。その手続きにおいて感情論は極力剥ぎ落とされ、理性で確定してゆく。それはまさに、石ころを被告に向けて皆で寄って集ってぶつけてなぶり殺すという、それこそ野蛮なやり方ではない。 現状、原則一人の殺人であれば、殺意が認められず、計画性も無ければ死刑は回避される。なぜ、死刑に殺した数が判断材料になるのか?一人であろうがなかろうが人間という同胞を殺したことが問題なのではないか。私自身の奥底にある感情は決して殺人は許さぬことである。主眼は殺人であって、殺人数ではない。もう一度、人が生きること、生を受けたことの社会的意味を掘り下げる必要がある。罪を憎んで、人を憎まず。これは基本的には殺人に包含されるような論理ではない。社会自体が人間性にも劣る殺人に対しては、絶対に容赦はしないことを社会システムに組み込んでおくことは今後とも必要だと考えている。

69.I am

iTunesより、" I am "という映画を観た。そこには、普段のニュースでは知る由もない、科学的事実と精神的事実がある。ぜひとも、鑑賞を薦めたい。I am の後にくるワードが何なのか?観ればわかるだろう。あとは、あなた方ひとり、ひとりの考え方次第である。

68.一般消費税

消費税は別名、一般消費税という。一般とは財・サービスの種類に関わらず、平等に課税する意味である。67での需要曲線の導出での図において、所得(この場合、可処分所得が厳密である。)が増減すると、家計の予算線は平行移動する。特定の財源を求めて、例えばx財に重く課税するよりは、軽い負担割合でx及びy財に課税した方が、家計は前者より後者において実現される満足度が大きい、という理論が消費税に係る経済学上の基本理論である。

67.ミクロの需要曲線

ミクロ経済学での理論上の需要曲線は極めて厳密な理論構成をもとに導出される。需要について論じるならば、そういうことを知っておいても損はないだろう。

無差別曲線需要曲線導出

66.コード 2

仮想運輸会社運送料金表

上表での向先や荷姿・重量の規格に応じた単価を瞬時にはじき出すために、こういう方法をとっている。向先である、大阪を1、京都を2、愛知を3としての百位、荷姿2合や3合の数2や3を十位、重量の数を一位と考える。そうすると、3桁の数としてのコード、122=A1、123=A2、222=B1、223=B2、322=C1、323=C2という対応関係ができる。逆にコードを見るだけで向先や荷姿・重量の規格も容易に理解できる長所を持つ。

65.原子力発電

化石燃料資源の少ない日本においてエネルギー問題は重要であることは誰しも周知のことであろう。不幸なことに、あの巨大地震で人間による安全性管理の甘さが露呈してしまった。このときから反原発市民団体活動が盛り上がりをみせるようになった。俳優 山本太郎 氏の抗議活動を僕は排斥しようするつもりもない。人間として至極、当然で、かつ勇気のいることでもある。ネットでアノニマスで書き込みをすることは誰しもできるゆえに、立派だ。だが、彼の主張に100%は賛成しない。政府の行動として問題だったのは、メタンハイドレートとという有望な資源や他再生可能エネルギー資源の研究・開発を怠ってきたことだろう。つまりは原発を長期、何世代も渡って利用していくことが国策としてあったかもしれない、地震国という負の側面を忘れて。原発が火力発電より、総原価方式で決められた電力供給単価で安くいくなら、電力事業で生み出される付加価値は全て日本国にとどまり、原子力産業に携わる企業が恩恵を受け、総原価方式がいくら批判を受けようとも、供給単価の安価さに対して需要者の満足度があれば、問題は無いと考えられていたかもしれない。
僕の主張はやはり新規エネルギーの商業的利用段階に応じて、原発の発電に占める割合を段階的に下げる方向しかないと思っている。原発廃止という点で山本氏とは同じであるが。予想通り、エネルギー資源の輸入額増大により貿易赤字が膨らんできた。国内でエネルギーを賄うことと、輸入エネルギーに頼るという、経済的違いは、後者の場合、付加価値、つまりGDPであるマクロ的な我々の年間所得が海外に漏えいしてしまう、すなわち国内総需要が減少することにつながるのである。国内で新エネルギーの電力供給単価が割高になっても、マクロ的所得自体は国内循環、つまり、需要者の支払うお金は必ず国内供給者に流れる、我々の所得が我々に戻ることになって、この方が経済にとって良い(もちろん、ベストではなくベターな意味。付加価値額が最大限国内に残ることの方がいいだろうとの考え)。ただし、メーカーなど電力多消費産業への助成策は必要であろうが。エネルギー革命が本当に起これば、日本の経済が高度成長したように、再び奇跡が起きる可能性が無くもない。
今後、原発再稼働はされるだろう。だが、今まで通りの供給単価ではないだろう。もし、技術的担保を超える事態が生ずれば、福島事故が教唆するように、巨額の損失が出る。事業者サイドは価格に、そのリスク分を上乗せし、引当(将来に生じる費用を賄う原資を積み立てること)をする必要があるからだ。今までにされていたかは知らない。そのリスク負担割合がどのように決定さるのか?需要者がゼロだとはなるまい。

64.数学の素養のすすめ

企業によりますが、事務屋ではそれほど高等な数学ツールは用いることはないでしょうが、何にしても数学的素養は必要ですね。僕は経理をやってますが、中小企業でも数学ツールは用います。まっ、経理自体、等価を用いて勘定仕訳するので、間違った場合の原因を見つけることもひとつのそういった素養なんですが。パートタイマーの時間給与計算をしてますが、TIME関数は用いず、60進法を10進法へ直しています。sum(時間)例えば、SUM(6:00)=0.25が出ます。SUM(12:00)=0.5です。SUM(時間)は24時間を1とみて数値が出るわけです。出社時間6:00、退社時間12:00なら、(0.5-0.25)×24=6時間がでます。僕の所では、分まで時間に直してますから、端数があれば、時間(HOURS)を除く,差としての小数に60分を乗ずれば、求める分時間が出ます。小数の桁は5桁で十分でしょう。これだけじゃ、脳がありません。月3回締めですので、抽出日を指定すれば、その期間での集計された時間と分が、タイムカードを入力するだけで、自動計算できるようにしてあります。別にソフトやマクロを用いずとも簡単にできます。現在のコンピューターは容量やメモリーが大きいので業務に支障はないですし。PC導入以前は、前任者は手計算していたので、さぞかし大変だったのではなかろうか。ただし、現状でも、ヒューマン・エラーは起こり得るので、原始データ入力や期間抽出日入力に注意しなければなりませんが。

63.高校の極限から大学の極限へ(ε‐δ論法)

数式をHTMLで記載する方法があるが、面倒くさいので、ここでは、関数の極限をlim[関数式]( x → a)と記載とする。ε‐δ論法をちょっと紹介しよう。lim[f( x )]( x → a )=bで考えてみる。高校では関数 f(x) でx がaと異なる値をとりながら、aに限りなく近づくとき、f(x)が一定値bに限りなく近づく場合、x がaに近づくときのf(x)の極限はbである、というものであった。「限りなく」、「近づく」という言葉は直観的・主観的である。「xがaに限りなく近づく」という状態はxを表す点とaを表す点との距離が限りなく小さくなる状態であることがわかる。まず、xとaの距離は絶対値記号を用いて、|x-a|( 数直線上でx=-5、a= 2だとすると、その距離は7である。x < aだから、|x-a|=-(x-a)=-{(-5)-2}=7ということ)。|x-a|という量が限りなく小さくなるとは、どんなに小さい正数dを与えても、|x-a|はdよりも小さくなることであるから、任意の正数dに対して|x-a| < dが成り立つ(任意の正数dとは好き勝手に、(このケースでは)いくらでも小さくとれる正数d)。そして、xはaと異なる値を取るのであるから、0 < |x-a| < dとなる。「f(x)がbに限りなく小さく近づく」という状態は、任意の正数rに対して、|f(x)-b| < rが成り立つ。これはf(x)とbが一致しても構わないので、|f(x)-b| < r以外には何の制約条件はつかない。ここがさらに重要であるが、x がaに近づくということは、f(x)の極限がbにならなくても、bになっても関係なく、いつでも操作できる。しかし、f(x)がbに近づくのは、f(x)の極限がbのときだけである。すなわち、任意の正数rに対して、|f(x)-b| < rが成り立つことが、lim[f( x )]( x → a )=bの決め手となっている。では、「xがaに限りなく近づく」という不等式の部分は何を意味するのか。それは、その決め手となる不等式|f(x)-b| < rが成り立つようなxの範囲を指定しているということ。すると、lim[f( x )]( x → a )=bになるのは、問題の決め手の不等式が成り立つような、0 < |x-a| < dというxの範囲が見つかるということ。そうでなければ、いくらxをaに近づけても、f(x)がbに近づくとは言い得ない。まとめると、『 lim[f( x )]( x → a )=bというのは、どんな正数rをもってきても、そのrに対して、いつでもdという正数が見つかって、0 < |x-a| < dという範囲のxに対して、|f(x)-b| < rが成り立つ。』を意味する。ここでrの代わりにε、dの代わりにδを用いて表現するならば、任意のε > 0に対して、δ > 0が存在して、|f(x)-b| < ε(0 < |x-a| < δ)が成り立つとき、xがaに近づくときのf(x)の極限はbであるといい、lim[f( x )]( x → a )=bまたは x → a のとき f(x)→ bと書く。具体的なテクニックの例を示そう。
問題 lim[x^3](x → 2)=8(x^3はxの3乗)を証明せよ。

ε-δ論法テクニック

62.線分の不動点定理

クイズです。今、一本の紐がある。その一本の紐は学習したことがある、閉区間[a , b]を持つと考えます。紐と言いましたから、もちろん切れ目がない、数学的に言えば連続な区間です。そこで、紐をぐちゃぐちゃにして、その元の区間上に(ぐちゃぐちゃの形が崩れないように)垂直に押し付けたとする。さて、ぐちゃぐちゃにする前にあった一つの点で動かない点はあるかどうか?意外なことに、必ず1つはあるんですね。偶然じゃなく、必ずですよ。驚きです。この動かない点を不動点という。聞いたことがあるかもしれません。必ず1つがあるとは、数学的に少なくとも1つは存在するということ。1つだけ、とは言ってませんよ。だから、本当は( )に入れた崩れないように、との文言は必要ないんですね。崩れても、どこかに動いてない点があるわけですから。これを保証する定理を『線分の不動点定理』という。

線分の不動点

この証明は高校の微積分で学習する、「最大値・最小値の定理」および「中間値の定理」を用います。まず、線分の不動点定理をきちんと示すと、『 線分Aがあって、f:A → A(例えば、線分Aが閉区間[c,d]で、その中の点がfで写されるとしても、その写された点は、必ず閉区間[c,d]の中に収まるということ。この時点で f(x) = xとは言ってないことに注意、あくまでも x は区間の一つの要素である。例えば、f(x)=cとなることを言っている。) がAの点xをAへ写す任意の連続関数であるとする。すると、この f はどんな関数であろうと不動点をもつ、つまり f(x) = x となるような線分Aの点 x が少なくとも一つ存在する。』 f:A → Aは「写像」を表す記号法ですが、関数は写像に含まれます。ここでは関数を扱いますので、写像という言葉にそれほど注視する必要はありません。ただ、この記号法は知っておいてください。後の証明に少し出ます。
関数をちょっと再復習しましょう。説明が前後するようで申し訳ないですが。x = 3 → 7, x = 4→ 9、x = -2 → -3のデータが得られたとしましょう。そのとき、偶然、2x+1の関係ではないかと特定できたとしましょう。つまり、x → 2x+1 → [ x に代入して得られた値]になっていると。このとき、2x+1が関数 f のことで、3 が 2x+1 により 7 へ写された、-2が2x+1により-3へ写されたというわけです。xを関数 f で写すことを f(x) で表現し、x に対応する値 y とこの f(x) が等しければ、y=f(x)であり、この場合f(x)=2x+1がわかったわけですから、中学で学んだ y=2x+1 という1次関数が出てきたのです。すなわち、抽象的表現 x → f → f(x)が、この場合に具体的表現 x → 2x+1 → y[ = f(x) ]になったということ。x=3でy=-9だったら、もう、その関数ではないですね。したがって、本来、関数は形はわかりません。教育現場では、役に立つ?であろう特定の関数の形を最初から定めておいて、その関数の性質を勉強してもらうのが狙いなのでしょう。さらに、関数は一つの x に一つの y が対応するものをいいます。x=3にy=6と-4がでれば関数とは言いません。連続関数とは切れ目のない関数であり、別にその曲線がギザギザでも、一つの x に一つの y が対応しているなら立派な関数です。
さて、証明に移るとしよう。上で述べた用いる定理は言葉のみ記述する。参照図やその証明はネットで検索して下さい。
最大値・最小値の定理『 閉区間で連続な関数の、その区間内でとる値には最大値と最小値がある。』、中間値の定理『 閉区間 [a,b]で連続な関数 f(x) に対して f(a)≠f(b) のとき、f(a)とf(b)の中間の任意の値をkとすると,f(x)=kとなるような[a,b]の点x が少なくとも一つ存在する。』中間という言葉は、日常用語上の「中間」ではなく、単なる「あいだ」のことに注意。
線分の不動点定理の証明
線分Aは閉区間[a,b]で示されるとする。定理の条件より、関数fは写像の記号を用いてf:[a,b] → [a,b]で示される。ここで[a,b]の任意の点 x に対して、g(x)=f(x)-xとして、新しい関数g:[a,b] → Rを定める。Rは実数のことです。f(x)-xの値は必ずしも、[a,b]の区間に入るとは限らないため、g(x)が他の実数値を取り得ることを示したわけです。g(x)はもしf(x) > xならg(x) > 0で、もしf(x) < x であると、g(x) < 0である。f(x)=xである、つまりx が f の不動点であると、g(x) = 0、つまりgのゼロ根(gの値を0にする解)となる。そこでgの根が[a,b]の中にあることを示す。線分の端点であるa、bの内のどちらかが不動点であれば、g(a)、g(b)のどちらかがゼロになるので、証明は終わる。ゆえに、a、bとも不動点ではないとする。すると、f により端点 a が写される値 f(a) は a よりは大きい値になる。つまりa < f(a)。fにより端点bが写される値f(b)は b よりは小さい値になる。つまりは、b > f(b)となる。これにより、g(a) > 0,かつg(b) < 0となる。したがって、(中間値の定理にあったkは任意の値であったことを利用して)g(b) < k=0 < g(a)として中間値の定理を用いると、g(x) = 0となる x が[a , b]の中にあることが示される。[証明終わり]
証明に用いた定理、証明した定理の文言には、「連続関数」が入ってます。連続関数は重要なんですね。この定理ではないですが、別の不動点定理が経済学、特に数理経済学で扱われています。

61.経済学雑学

ケインズの有名な著書「雇用・利子及び貨幣の一般理論」に、なぜ「一般」という名が付与されているか、その理由を説明しよう。近代経済学(今はどうか知らないが、僕らの時代、日本の大学では経済学はこの近経とマルクス経済学のマル経が存在した。)を学んだ人でさえ、意外と知らないかもしれない。
その著書の中でケインズが批判的に論駁をしようとしたのが、ケインズ自身さえ学んだ当時の主流経済学であった。批判のやり玉にあげた理論は特殊的な状況で成り立つものであって、一般的な状況下では成立しないと断罪した。彼の理論こそが『一般的』という意味で、その著書に「一般」という名が付けられた。

60.労働市場に関する試験的理論

経済学の基本理論について学んでいくと仮定が至極、現実離れしていると感じるところがあった。特に労働市場である。現代経済学の基本的な労働についての解釈は、端的にいうならば我々の体、頭脳は商品であって、すべて労働者は同質とみなし、企業はその商品を購入することができ、労働の対価として賃金を払う、というものである。したがって、商品は資本財と同様に、好き勝手に処分されて良いとなる。マルクスの出現があって、現代の経済学は進歩?に向かって邁進してきたが、核となる部分に変化はない。労働者階級が民主主義政治の一部になることで、社会的に労働者保護の道が開けてきたわけで、この点については残念ではあるが、これまでの経済学の成果ではない。
私がこれから説明する理論は個人的な理論である。どうしてこれから説明するような理論を考えたのかという理由は非正規労働者の存在である。このよう労働者が多数、存在することの社会的・経済的根底に何かあるのではないかと訝ったからである。ただ、ひとつ述べておきたいことは、ここでは労働市場だけに焦点を当てての論理展開を行う。しかし経済学は労働市場のみならず、財市場、貨幣市場のトータルでの論理一貫性を忘れることはない、ということである。したがって、労働市場のみを展開することは片手落ちだと考えてほしい。また、これまでのコラムと違って専門用語を連発する。即、退席することになるかもしれないが、その点について考慮はしない。本コラム最下方に図をつけているが、見にくいことはご勘弁願おう。
まず、ここで扱う用語について簡潔に説明しておく。
非自発的失業
自発的失業者は自ら失業を選ぶ者である。したがって、非自発的失業者は失業を選ばない、働こうとする意思のある者で、労働市場で働く意思があると需要者に手を挙げても、選ばれない者である。かような失業こそ非自発的失業である。
労働の限界生産物
労働一単位あたりの追加的労働による、生産物の増加量をいう。労働は生産要素のひとつであるが、他の生産要素や技術を一定にしてのもの。偏微分(関数が多変数のとき、一つだけの変数とし、他の変数を固定値と考える)で定義される。名目賃金率(実質賃金ではない)は限界生産物価値に等しい。fを生産関数、生産物価格 p 、限界生産物 ∂f/∂N (∂は偏微分記号で微分記号dxのごとく分離しての計算はできない、Nは雇用量)、名目賃金率をMとすると、p・(∂f/∂N)=M → (∂f/∂N)=M/p=w(実質賃金)であり、実質賃金は限界生産物に等しいとされる。Nを次々に投入していくと、限界生産物は逓減すると考える。つまりN ↑ ならば(∂f/∂N)↓である。(∂f/∂N)=w(実質賃金)であったから、Nは実質賃金について減少関数である。
労働の需要曲線
縦軸に実質賃金をw 、横軸に雇用量Nをとれば、先述のようにNは w の減少関数であるから、右下がりの曲線となる。Nが一定のとき、限界生産物が大きいほど、そのNに対応する実質賃金も大きくなるので、限界生産物が大きくなると、この労働需要曲線も上方にシフトする。図では曲線で描いているが、直線でも議論の本質に影響はない。
さて、本題に入る。マルクスは搾取があるとした。これを認める。限界生産物の情報は企業しか持ち合わせておらず、社会との共有も果たされないとする。全ての企業がそうではなく、搾取する市場参加供給者(企業間でもどこの企業が搾取をしているのかしらない)の集計供給量が仮に一つの独占体と考えた場合、市場の価格に影響を及ぼすぐらいの当該市場参加供給者の数であればよかろう。労働供給者には w が限界生産物だと嘘の情報を与える。そして、見かけ上は図のN(w)の労働需要曲線を描くのである。本来は、搾取分のαとw の和が限界生産物であり、真の労働需要曲線はN(α+w)であるが、しかし、一労働需要者は他の企業が同様のことをしていることは分かっていないので、その真の労働需要曲線は誰にも見えない、ベールを被っているのである。景気後退が起こり、w1のときの労働供給量は横軸原点からEP(equilibrium pointから)1に対応するN座標の値であり、見かけ上、横軸に平行な太線の部分が非自発的失業となる。通常であれば、価格調整により市場均衡点EP0に行くはずである。だが、搾取する企業にとって、それはあくまでも見かけの労働需要であるから、気にもかけないだろう。景気後退での財市場での不振をN(α+w)の変数αか w での調整( w と情報を流していても実際どちらかはわからない)が行われ、あたかもN(α+w)の労働需要曲線が下方にシフトしEP1の均衡点に移るという、市場の調整が現実には目の見えないところで行われているが、現実経済ではその調整が行われずにいると考えてしまうのである。そして、経済は完全雇用ではなく、過少雇用で安定するのである。したがって、経済学の基本となる価格シグナルは財市場、貨幣市場において、その役割を果たしても、労働市場には何の効果もないのである。労働市場には、目に見えぬ真の労働需要曲線と(仮想的)目に見える労働需要曲線という二面的労働需要曲線が存在するのである。
非正規労働者の存在は、それは法律という制度があるから在るのではないか、という主張がされるだろう。だが裏を返せば政府が搾取の存在を暗に示したことになる。正規社員であってもサービス残業はまだ現実にある(僕も現実に体験した)。これも一種の搾取である。経済学は使用者・労働者双方がwin-winであるかのごとく想定するが、現実を見ない理論である。なぜ、今までそういった基本理論が生きてきたのかを考えると分析者自体が生活に現実には困窮したことがない者たちであり、理論展開上、数学技術の駆使が容易であること、自由市場の価格シグナル機能が非常に優れているために、共産主義イデオロギーという全体主義が自由主義イデオロギーとは全く相いれないと過渡に反応し過ぎたことにある。財も労働も同じであるという思想の核を根底に持ち続けてきたのである。
だが僕の理論でも、「搾取自体が全て悪」とは言い切れない。基本的に自由主義を支持するからであり、搾取ありとして見えてくる理論上のあるべき社会と経済の姿と現在の資本主義社会の有り様との深い分析が必要となる。僕が考えることは、現実には搾取が存在することを経済学が認めて、理論の再構築を図るべきとの思いなのである。限界生産物と実質賃金が一致することは特殊なことであり、ケインズ風にいえば「一般的」ではない。
経済学理論は観察事実との合致性が見出せなくても、何かしら新しい理論にとって替わらない。それは一般的受容性があるからである。一般的受容性があり続ける限り、コアとなる基本理論も変わりはしない。ただ、このことが経済学自体のフリーズを生じさせることになり、ただあるだけの存在になるだろう。残るは経済技術だけである。

労働市場における二面的労働需要曲線

59.H25.4.4日銀強力金融緩和実施へ

やっと日本銀行が本格的な金融緩和へと動き出した。なぜ、バブル崩壊して早めに実行しなかったのだろう。12年ほど前、僕が5回生時、主催した大学での近代経済学研究会で唯一、学者になった後輩である、当時、九州産業大で教鞭を執っていた佐藤君(ゲーム理論専攻)と話をしたことがある。バブル崩壊から6、7年経っていただろうか。僕は彼に言った。「もっと金融緩和して、インフレ政策を実行していいんじゃないか。」佐藤君曰く「いや、そうなんですよ。学者仲間の間でも、そういう意見で一致しています。」バブル崩壊時、もっと強力に日本銀行が手段を講じていたら、間違いなく、急激な円高に日本は悩まされていなかったことは、僕は自信を持って言える。

58.続 消費税

平成24年度予算での消費税歳入額は10兆円であった。実質GDPを500兆円とすると、これに消費税率5%を乗ずると25兆円である。10兆円÷25兆円=0.4。実現消費税収入÷(実質GDP×消費税率)=0.4の関係が不変と仮定する。2014年実質GDPが500兆円として、2015年からの実質GDPが毎年、1%、2%、3%各々成長するとして、消費税率10%、15%の2ケースで、コラム57で述べた不足額22兆円を消費税歳入で完全に賄えるのにどれほどの期間を要するのか、エクセルで計算し、調べてみた。

税率及び実質GDPで観た基礎的財政収支対象経費の消費税での完全補填までに要する期間

消費税率10%の場合、どの成長率でも15年以上かかっている。1%はあまりにもネガティブにとられるだろうが、その場合は50年もかかる。税率10%では手の打ちようがなく、国内・国際マクロ経済の好転を望む、一種、神頼みみたいなことになるのではないか。一方、税率15%の場合、どの成長率も10年はかからない。政府は相当の反発を恐れたことと、急激な税率アップは内需が落ち込むと懸念して10%にしたのかもしれない。いずれにせよ、前コラムで述べたように、歳出削減、国・地方の行財政改革が急務であることは、もう財政の立て直しには必要不可欠である。改革、対策の遅延、繰り延べ、不進行があれば消費税率は段階的に20%になる可能性は大いにあり得ると、至極、残念だが思っている。何故、こんな状況になってしまったのだろうか...。分析していて、何かしら怒りが込み上げてきた。結局は、このうまみの経済で生活してきた我々が、ある程度の苦痛に耐え、将来世代のためになる役割を果たすという覚悟が求められるのかもしれない。「馬鹿で、愚かな政府」と揶揄しようとも我々が選択した結果である。あの細川内閣時に創設しようとした税は歴史的にみて正しい選択だったといえるかもしれない。しかし、それが巨額な財政赤字の歯止めをかけることになり得たかは、評価できないが。
実質GDPについて少し説明を加えておく。数学的関係から、実質GDP成長率=名目GDP成長率マイナス物価上昇率となることが自明である。別に以下の導出が理解できなくても、この実質と名目の関係を分かっておけばよいだろう。名目GDPをQ、物価をP、実質GDPをYとする。Q=P・Yが成り立ち、コラム56で説明した、両辺で自然対数をとり、対数関数微分をすると、⊿Q/Q=⊿P/P+⊿Y/Yが出て、⊿Y/Y(実質GDP成長率)=⊿Q/Q(名目GDP成長率)-⊿P/P(名目物価上昇率)が求められる。アベノミクスで物価上昇率の目標を2%としているが、それ以上に⊿Q/Q(名目GDP成長率)が大きくなるかがキーポイントになる。下手をすると1970年代以降に経験した、不況下のインフレ、いわゆるスタグフレーションになる可能性がないとは言い切れまい。ただ、いまの経済構造は海外進出が当時より進んでいることと、適度な円安下でのメーカー輸出企業の業績好転が生じてきているので、まだ安心感があるが。

57.消費税(注)下図画像の著作権は財務省にあります。取り扱い注意!!!財務省HPを参照のこと。

平成24年度一般会計予算概要 歳出 平成24年度一般会計予算概要 歳入

消費税の増税は2014年4月から8%になる予定だが、景気弾力条項により実行されるかはわからない。消費税に関して、たいていの人々は周りの雰囲気から増税もやむを得ない、と考えているのではないか。実際どうなのか、財務省ホームページ『日本の財政を考える』から引用した上図を分析してみる。金額単位は億円である。東北・福島の震災関連予算は別枠の特別会計で管理されており、一般会計からの繰入もあるかもしれないが、微々たるもので、ここで考慮に入れる必要はない。
歳出のうち、国債費を除いたものを、基礎的財政収支対象経費と言い、68兆円になる。一方、歳入で公債金を除く歳入額は46兆円で、その基礎的財政収支対象経費の支出にも届いていない状況である。この不足額は22兆円になっている。歳入での消費税額は税率5%で10兆円である。税率と消費税歳入額の関係が一定であれば、15%で30兆円(15%÷5%×10兆円)であるから、30兆円-10兆円=20兆円の消費税による税収増となる。しかし、これでも先の不足額22兆円に2兆円足りないのである。2015年に税率を10%にするが、それでも、ますます国債残高の増加は免れない、借金は増え続けるばかりである。68兆円を決め打ちの歳出にしているが、税率10%でゆくなら、恐らく15兆円ぐらいの歳出削減を絶対に行う必要がある。財務省によれば、毎年、社会保障費が1兆円増加するとしている。これは嘘実ではないだろう。党利党略に絡む政治の空白はもはや許されまい。経済成長は無視しているが、景気動向を気にして財政の立て直しを考えても仕方がないだろう。それに、これは佐伯市にも影響のある話かもしれないが、地方交付税の歳出が16兆円あるけれども、厳しい主張をすれば、将来的には、親の金を頼る大人の子供(地方公共団体)を突き放すことが必要であるかもしれない。地方議員の定数削減、地方公務員の給与削減も財政状態の改善には必要不可欠であろう。さらに、仮に基礎的財政収支対象経費を公債以外の歳入で対応できても、国債の利払いと償還を公債収入で賄う、借金で借金を返すという問題が残る。まずは、神風は吹きはしない。アベノミクスで短期的な景気浮揚の動向に目が注がれているが、我々、国民は中長期的視野に立って日本財政を考えていくことが大切であるし、次世代へ良いバトンパスをしなければならない。

56.コラム31補足

経済学者は数学者ではないゆえに、あくまでも数学をツール(道具)と捉えており、扱う関数は通常、考慮に入れられる定義域において微分可能なものと考えている。もちろん、数学者であり経済学者である人も存在するだろうが。コラム4の英文にあるように、数学ツールの理解は必ず報酬を与えてくれるだろう。物理学もそうだろうが、仮説に基づき導出された数式はうまく変形できる可能性を持ち合わせているかもしれない。これについては、後日、自分が大学2年時に遭遇した数式を紹介したいと考えている。さて、為替レート決定理論の文末で対数関数微分で説明すると、すんなりゆくと述べたが、それを紹介しておこう。
用いる数式は

($/¥)=PU/PJ---①

ここで、($/¥)をZとします。経済変量は通常正数を扱っていることは留意してください。ゆえに絶対値記号を考える必要はありません。①の両辺の自然対数をとる。自然対数とは底がeのこと。Z、PU、PJが時間tの関数とする。LogZ(t)=LogPU(t)-LogPJ(t)である。この両辺を微分します。用いる数学ツールはy=logxではなく、y=log{|f(x)|}の微分である。まず、全体をf(x)で微分し、それに、f(x)をxで微分したものを乗ずることである。結果は(dz/dt)/Z---②=(dPU/dt)/PU---③ -(dPJ/dt)/PJ---④である。増分記号⊿を使えば、⊿Z/Z=⊿PU/PU-⊿PJ/PJであるから、②は名目為替レート上昇率、③はアメリカの名目物価上昇率、④は日本の名目物価上昇率である。③>④のとき、②>0であるから、つまり円の値が小さくなるので円高になる。③<④のとき、②<0である。Z>0、dt>0だから、dz<0で$=1で考えて、変化後の円の値を¥1、変化前のそれを¥0とすると、増分値は1/¥1-1/¥0<0 → 1/¥1<1/¥0 で逆数をとると、¥1>¥0、すなわち円の値が大きくなるので、円安になる。ここであつかっている数学ツールは高校3年理系の基本レベルであろう。

 

55.コード

会社でエクセルでのLOOKUP関数を用いてコード検索に利用している。デジタルということで数字だけを用いてやる方法もいいが、長い桁を用いると記憶するのが難しくなる。そこで僕は文字を絡めている。ただ、コードが文字列になるという短所はあるが。母音の「あ」「い」「う」「え」「お」をそれぞれ「1」「2」「3」「4」「5」に対応させ、「ん」を「0」に対応させる。あとはアルファベットを使うだけである。佐伯はS12K2,大分は552T1と大きいカテゴリーを5文字ぐらいで表現し、佐伯市役所はS12K2S,大分土木事務所は552T1d、ホテル金水苑なら、k20s3h(hがhotelのh)という具合である。これだと、漢字入力よりは手間も省けるし、記憶しやすい。また、仮に他の人が担当することになっても、業務上早く覚えられる。僕のところではレコード件数は1,000件もいかないので十分である。全部母音を用いても、順列計算すると5の5乗で3,125であるから。

54.実績・予算差異分析

重工業の工場では数量・単価の他に原単位分析をしているだろう。工業簿記を学んだ経験のある人は聞いたことがあるかもしれない。僕は企業に入って知り、原価計算のテキストを見て、へえ~であった。初めての人に説明しよう。実績数量Q1、実績単価P1、予算数量Q0、予算単価P0とする。数量差は項(Q1-Q0)を持ち、単価差は項(P1-P0)を持つから、Q1・P1-Q0・P0=(Q1-Q0)・P0---①+(P1-P0)・Q1---②と右辺のように分解される。①が数量差、②が単価差である。単価差には実際の取引単価には限らないかもしれない。企業によるけれども、仕入品によって原価法で決めているだろう。移動平均法とか、FIFO(先入れ先出し;First In First Out)とかLIFO(Last In First Out;後入れ先出し法)等。工場では、主要生産品の数量に関連づけて操業資材の管理を行う。MQを工場での生産量とする。実績をMQ1、予算MQ0。統計学の手法を用いて、過去の実績から、ある操業資材の生産量単位当たり使用量、すなわち原単位を推定しておく。それを予算原単位U0とする。実績上の原単位をU1とする。つまり、上述QがQ=MQ・Uとなる。これを頭に入れてやると、Q1・P1-Q0・P0=(Q1-Q0)・P0+(P1-P0)Q1=(MQ1・U1-MQ0・U0)・P0+(P1-P0)MQ1・U1={(MQ1-MQ0)・U0+(U1-U0)・MQ1}・P0+(P1-P0)・MQ1・U1=(MQ1-MQ0)・U0・P0---③+(U1-U0)・MQ1・P0---④+(P1-P0)・MQ1・U1---⑤ これが新たに、③が数量差、④が原単位差、⑤が単価差となる。
例えば、亜鉛工場で予算亜鉛生産量6000t、予算コークス原単位0.8t(亜鉛を1t作るのに800kg必要ということ)、予算コークス単価14,000円/tとし、実績亜鉛生産量6800t、実績原単位0.7t、実績コークス単価13,000円/tとする。
実績コークス使用金額=6800×0.7×13,000=61,880千円---⑥、予算コークス使用金額=6,000×0.8×14,000=67,200千円---⑦、⑥-⑦=△5,320千円---⑧。数量差(6800-6000)・0.8・14,000=8,960千円、原単位差(0.7-0.8)・6,800・14,000=△9,520千円、単価差(13,000-14,000)・6,800・0.7=△4,760千円。この各差異の和が⑧に一致する。一般的な名称かどうかわからないが、数量と単価だけの分析を二元分析、原単位を考慮したものを三元分析という。さらに細かく何らかの重要な要因があるとすれば、4元、5元も可能である。また、差異分析は物に限らない。労務費にも応用できる。数量差は人員差、人員差も役職ごとでの差、いわゆる構成差とでもいうべき分析ができようし、単価差もそれらに分けた構成単価差とでも言うべき分析ができよう。
工場(どの大手企業もそうだろうが)では決算期間末だけでなく、月次決算で月ごとに分析・議論をしている。工場費用は規模にもよるが、年間ん億を超える費用を支出することから、確実な費用把握と分析は大切である。200人ぐらいの小規模な工場でも、電力代だけで5千万円は毎月かかるのではないだろうか。

53.北の挑発

戦争状態との声明を出したらしいが、子供の考えだろう。中国がやる手段と同じじゃないか。国内問題で揺れる時は外に目を向けさせるために、日本を利用することと。北朝鮮軍兵士が中国国境を越えて脱北し、送還されたニュースがあったとの事実があるわけだから、軍の内部統制のために士気を向上させること、かつ、国民に緊張させることが主たる理由だろう。北国内ではそれほど海外事情が流れているとは考えられないので、ある程度の効果があるのかもしれない。もし、そうでなければ、トップが本当にビビッテいるのかな?

52.定額税分析

市場の分析で簡単な数学を用いて有意味な分析ができる。需要曲線が右下がり、供給曲線が右上がりの常識的な形状で、一次関数形だとする。このとき、需要関数D(p)=a+b・p(b<0)---①、供給関数S(p)=c+d・p(d>0)---②、また需給の形状関係による切片の位置関係から、a>c---③は確定している。さらに、この市場での供給参加者は多数いるもの(完全競争)とする。
今、政府が供給者に対して、販売している商品の1単位当たりに定額税Tを設けたとしよう。まず、定額税が無い状態での市場均衡価格は均衡点で①=②であるから、a+b・p=c+d・p → p=(a-c)/(d-b)---④[③及びd>0>bから、ちゃんとp>0は保証されている。もちろんこれは前提で第一象限での市場均衡価格である、需給の交点の価格が必ず正数を言っているわけだから当然のことである。]
次に定額税が課された場合を考える。供給者サイドでは1単位当たりpの収入であったのが、p-Tとなる。したがって、供給関数②はS(p-T)=c+d(p-T)---⑤へと変わる。需要者にとっては①のままである。新しい均衡価格は①=⑤より、a+b・p=c+d・(p-T) → p=(c-a-d・T)/(b-d)=(a-c+d・T)/(d-b)=(a-c)/(d-b)+d・T/(d-b) ---⑥ となる。⑥の右辺第二項のTを除いた部分、d/(d-b)の値の状態を調べると、1-d/(d-b)=(d-b)/(d-b)-d/(d-b)=-b/(d-b)>0[∵b<0]ゆえに、(0<)d/(d-b)<1とわかる。この事実と共に、④と⑥を見ると、市場均衡価格はd・T/(d-b)だけ上昇するが、Tすべてが、そのまま価格に反映されない、すなわち、驚くべきことだが、供給者に課せられた税金分が需要者に100%転嫁されないという事実がわかるのである。まさに、この事実は完全競争下での需給調整の結果である。
参考文献 MATHEMATICS FOR ECONOMICS AND FINANCE written by MARTIN ANTHONY AND NORMAN BIGGS ; Cambridge University Press reprinted 2000

51.デジタルとマシーンの融合

恥ずかしながら、今日からOffice OneNoteを使い始めた。個人用途だけだが。すごいんだね、もうここまでWebでできるとは。そりゃ、そうだね、と自己確信している。以前、論理数学はその専門外の数学者からは華やかさのない、有用性のないものと考えられていた。ところが、あたかも陰に隠れて活動していた論理数学者のおかげで、こうもデジタルが活躍するようになるとは。行き着くところは、どういったところになるか?僕が若ければ、心躍るみたいに感じるだろうが、この歳で考えるとちょっと恐怖感もあるな。

50.生産可能性辺境線

コラム8でも少し述べたが、資源は有限であり、その資源をどのように、どうやって、誰に配分するかがキーポイントになってくる。資本主義では現代は全てがそうではないが、価格シグナルを通じて市場がみごとに、うまく解決している。この点については今ここで詳しくは言及しない。これはミクロ経済学に関わる問題である。今日はマクロ的な、社会的な生産の在り方を説明しよう。タイトルにあげたのは、ノーベル経済学賞を受賞したポール・A・サミュエルソンが著「経済学」で取り上げたものである。

生産可能性辺境線

ある国がバター(以降B)と鉄砲(以降G)を生産していると仮定する。そして、労働力、資本、技術等は所与(定数とみなすみたいなもの)とする。座標平面の縦軸をバターの生産量、横軸を鉄砲の生産量とする。経済量は通常、非負であるから第一次象限での議論となる。その中の適当な場所で点Q0をとる。このQ0はこの国で生産可能で最適なB0とG0の組み合わせとする。つまりQ0(B0,G0)である。ここで、B0一定でGを増やすことが可能か?否。なぜなら、Q0は最適といったわけだから、活用できる資源が全くないか、どちらの生産にも寄与できない、ある程度の余剰分があるだけだろう。結局は、G0から増やす、つまり鉄砲の生産を増加させるには、Bの生産を減少させ、その未利用資源をGに投入しなければならない。新しい最適点Q1(B1,G1)[B0>B1,G0<G1]が得られる。この議論を繰り返すと線が右下がりになると理解できる。次に、Bに用いていた資源をGに追加したときの、Gの生産量の増加はどうであろうか。これを理解するために、田んぼでの米の生産量を考えると、労働力を増やしていくとそれに応じた米の追加的生産量は最初は増加していくが、ある労働力量を過ぎると米の追加的生産量は減少すると考えれるだろう。ゆえに、相対的にGの生産が少ないときは、Bから追加的資源によるGの追加的生産量は増えるが、徐々にBからの追加的資源によるGの追加的生産量は減少してゆくと考えられる。すなわち、BとGの最適な生産の組み合わせの座標を結んで得られる曲線の接線の傾きが、Gの正方向でみると減少してゆくことを意味する。ゆえに、BとGの最適な生産の組み合わせの座標を結んで得られる曲線は原点に対して凹の曲線になるのである。これを、生産可能性辺境線と呼ぶ。先進国は途上国よりも、曲線が上方に位置しているのである。Bをバターとしたが、これを国家での消費財、投資財とし、Gを軍事力と考えると、このバランスは結局は国民の選択となる。しかし、議論の前提で技術を所与としたが、新技術、機械装置の開発により、相対的に軍事以外の財に集中しておいた方が、この生産可能性辺境線を上方へシフトさせることになり、国家の豊かさを高めることになる。アメリカが軍事技術で開発したインターネットやGPSの解放がどれほど大きな影響を与えたかを考えると理解できよう。日本が軍事力にそれほど資源を投入していなかったことにも意味があるのだ。
現在、バカ国が国民の経済的困窮に目もくれず、核兵器開発に没頭している。生産可能性辺境線が原点に近いところにあるにもかかわらず、軍事へ資源を大量投入し、本来、飢える必要もない国民が飢えに苦しみ、軍事以外に資源投入することが最善の道であることも理解できぬ独裁政治の帰結なのである。日本は尖閣問題で中国に対抗し、防衛予算の増大への道に進むことがはっきりしている。国家の威信をかけることもわかるが、我々、国民はどこにバランスを置くのかしっかりと考える必要がある。

49.ものを言える日本へ

イラク戦争のニュースをみて、ふと考えたことがある。歴史的にみて、過去もそうだろうが20世紀に、ほとんどの国際問題で発言権を有してきたのは大国である。日本も戦前は国際社会に対するそれを持っていた。第二次大戦後、アメリカの占領下におかれ、東西冷戦の影響があり、アメリカの極東政策もあって国際復帰も早められた。ソ連の盾となるために日米安保が構築された。石原慎太郎氏が言った「NOといえる日本」の重要性が響いてくる。国連安全保障理事会でイラクが大量破壊兵器を保持していると言及したアメリカが先制攻撃をして始まったイラク戦争。アメリカの言葉を信じた英、日本等。しかし日本はやはり武力での解決に対しては苦言を呈するべきではなかったのか。大量破壊兵器は結局は存在せず、イラク国民は不安定となった国内のテロにより、今も苦しんでいる。2001年9月11日同時多発テロの首謀者とされたウサマ・ビン・ラディンは殺された。日本人も犠牲者になっているのだから居場所がわかっていたなら、パキスタン政府と秘密裏に協力して、生きたまま身柄確保をして、国際的に裁くこともできたはずである。殺してしまったことに日本政府、メディアも強力に抗議をしていない。アメリカが彼から証言されては困る何かがあったのではないか、と勘繰りたくもなる。国際政治において国家の行動には確実な国家利益の推進がある。慈善的なものもあろうが、ほんの一部と考えた方がよい。必ず因がある。日本人はもっとそのことを意識すべきだろう。
安倍政権が憲法改正を意識しているが、基本的に僕は賛成である。今まで日本は”なあなあ”でやってきた感がある。しっかりと民意を反映をさせた新憲法を制定し、国際社会に対し、アメリカに対しても堂々と発言する国家になってもらいたい。

48.舌足らずのESET更新

Eset smart security 5.2を使っていて、更新手続きとバージョンアップを行った。バージョンアップ前、販売先HPのマニュアルを参照しておいた。インストールは成功したが、ウィルス定義の更新が失敗し続けた。ログファイルを見ると、NT AUTORITY/SYSTEMとあった。これは、もしや製品のアクティベーション化が必要なのか?マニュアルでは、それは必要ではないとあったが。試しにやってみよう。ユーザー名、パスワードはアップ前のデータが既定済だったので、「次へ」をクリック。成功。定義データ更新は、やはり失敗。ソフト内部のユーザー名、パスワードをみるとちゃんとはいっている。どうなっとんじゃ、と試行と思考を重ね、8時間経過。もしかしたら、製品のアクティベーション化で、きちんと最初からユーザー名、パスワードを入力せにゃあかんのかと考え、やってみたら定義更新が成功した。どうなってんでしようか?41で書いた東芝だけじゃなく、なんかシステムがおかしいですね。特に人間の手続きに対する思考がね。PC等々のハードやソフトに対する思考が良くなっても、基本的に物を売る、サポートする体制がカスタマー、ユーザーにUNFRIENDLYですね。売ってしまえばそれでいい的考えが強く、PC等の扱いに弱い者はそのまま捨て置くみたいなね。これじゃ特にPCはタブレットやスマートフォンに追い越されちゃいますね。

47.私訳 Lyrics2,J.D.Souther"You're only lonely"

WHEN THE WORLD IS READY TO FALL ON YOUR LITTLE SHOULDERS, 君の小さな両肩に世界が重く圧し掛かろうとするとき AND WHEN YOU'RE FEELING LONELY AND SMALL, そうして、孤独を感じ、膝を抱え込みたくなりそうなとき YOU NEED SOMEBODY THERE TO HOLD YOU. 君は自分を支えてくれる人が必要になる。YOU CAN CALL OUT MY NAME...WHEN YOU'RE ONLY LONELY, そんなとき、僕の名を呼ぶことだって、できるさ。NOW, DON'T YOU EVER BE ASHAMED, YOU'RE ONLY LONELY, とても寂しいからと言って、もう、恥ずかしがることはないよ。WHEN YOU NEED SOMEBODY AROUND ON THE NIGHTS THAT TRY YOU, 君を試そうとする夜が来るたびに、君が誰かを必要とするとき (REMEMBER) I WAS THERE WHEN YOU WERE A QUEEN,(覚えているかい?)君が輝いていたとき、僕はずっと君のそばにいたよ。AND I'LL BE THE LAST ONE THERE BESIDE YOU.僕は君から決して離れないで居るよ。SO YOU CAN CALL OUT MY NAME...WHEN YOU'RE ONLY LONELY.だから、とても孤独なら、僕の名を呼びなよ。NOW, DON'T YOU EVER BE ASHAMED, YOU'RE ONLY LONELY, とても寂しいからと言って、もう、恥ずかしがることはないよ。WHEN THE WORLD IS READY TO FALL ON YOUR LITTLE SHOULDERS, AND WHEN YOU'RE FEELING LONELY AND SMALL, YOU NEED SOMEBODY THERE TO HOLD YOU. SO DON'T YOU EVER BE ASHAMED, YOU'RE ONLY LONELY.AH, YOU CAN CALL OUT MY NAME...WHEN YOU'RE ONLY LONELY, WHEN YOU'RE ONLY LONELY... AH, IT'S NO CRIME...DARLING, WE'VE GOT LOTS OF TIME. まだ、生きる時間がたくさんあるってことは罪なことじゃない、愛しい人よ。 AH, THERE'S NOTHING WRONG WITH YOU...孤独を感じる君のどこかが、悪いって訳じゃない。DARLING, I GET LONELY, TOO. 愛おしい人よ、僕だって寂しいんだ。 SO IF YOU NEED ME, ALL YOU GOTTA DO IS CALL ME.だから、僕が必要なら、僕を呼びさえすればいいんだ。YOU'RE ONLY LONELY孤独な愛しき人よ。

46.私訳 Lyrics,Journey"Faithully"

Highway run ハイウェイを走るInto the midnight sun 太陽の明りのように照らされた真夜中の道に向かってWheels go round and round 車輪は駆け巡ってゆく You're on my mind 君を心に灯しながらRestless hearts 休むことを知らない僕らの心Sleep alone tonight 夜、一人で床につくSending all my love along the wire 全ての愛を君に届けた後にThey say that the road 周りの者たちは言う Ain't no place to start a family僕らの行く道は家族を始める場所では無いとRight down the line it's been you and me 最後の最後まで、君と僕は必ずいるAnd loving a music man 音楽家を愛するということはAin't always what it's supposed to be 必ずしも想像ていた通りじゃないOh Girl ああ、君よYou stand by me 僕のそばに居てくれI'm forever yours 永遠に僕は君のものだFaithfully 心から正直にCircus life混乱した生活Under the big top world 最高のものとはかけ離れたWe all need the clowns to make us smile 僕らには笑わせくれる道化師が必要なんだよThrough space and time 時空の中では Always another show いつも別の側面があるWondering where I am lost without you 君を失い彷徨う別の次元はどんなものだろうAnd being apart ain't easy on this love affair離れ離れでいることは、この愛には簡単なことじゃない Two strangers learn to fall in love again 見知らぬ二人が、再び愛に落ちることを知るI get the joy of rediscovering you 君とまた会えたことの喜びを感じているOh girl You stand by me I'm forever yours Faithfully Oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh Oh oh oh oh oh oh Faithfully I'm still yours いまだ、なおも僕は君のものだI'm forever yours Ever yours ずっと君のものFaithfully

45.企業

僕は企業社会を至極、良い物であるとは考えてはいない。意識の中で一歩下がって観ている。ニュースを欠かさず読んだり、観たりしている人はご存じだろう。最近では、マツダの非正規社員を長期に労働させるために一時的に正社員とし、後に非正規へ戻すこと。リコーは早期退職の勧告に応じなかった技術者を畑違いの部署へ異動させ、まるで精神的消耗戦へと持ち込むやり方。そんなリコーがCMで「家族的な雰囲気のする会社を見つけました。」矛盾だね。そういうことが出来ない企業が発信するCMじゃない。オリンパスでは内部告発者をやはり他部署へ移動させ窓際族にすること。昔じゃ日本IBMもごたごたがあってたな。調べればまだまだ様々な不当労働行為がある。
我々、労働者はもちろん給与をもらうわけだから、労働義務は果たさなければならないし、常日頃から改善意欲、コスト意識、チーム意識、向上意欲等々を持ち合わせなければならない。しかし、体という資本しか持ち合わせない我々は、やはり基本的には弱い存在であることは認識すべきものである。これから100年、200年経とうがその弱さは不変であろう。人間の、社会の自然状態から始まる形から、議論が重ねられ、民主主義国家は三権分立という権力の抑止と均衡が打ち立てられた。企業、特に大企業では組織内部の労働者への権力に対する抑止・均衡が未だ不十分ではないのではないかと思う。No.36のコラムで正社員の解雇を容易にすることが議論されているが、その不十分さが存在する限り、そういった施策はますます労働者の権利を弱体化させるだろう。また、極端な話だが、労働インセンティブの低下にもつながりかねず、少子化が問題視される中、結婚観に悪影響を及ぼし、婚姻率を減少させ、ますます少子化が進み、経済が縮小し求職もままならず、優秀な人材は海外へ流出し、一般労働者の労働市場環境が悪化し、ますます労働者の弱体化を招くというシナリオもなくはないだろう。
僕がひとつ考えるのは、企業に転職課を設けることを義務付けるのである。ライバル企業であろうがなんであろうが、ハローワーク等の求人情報を企業内で閲覧できるよう国策で求人網を張り巡らす。労働市場の流動性を活性化したいのなら、これぐらいのことをすべきだ。

44.節倹の逆説

大企業でのボーナス満額回答が相次いだ。他企業では給与アップを図るところもある。安倍政権の思惑どおりに一応は進んでいるようである。だが、こういうような状況が2、3年続く必要があると僕はみている。消費税増税は景気弾力条項から、景気判断して決定されるところだが、先送りした方が良い気がする。なぜなら、いくら(名目)給与がアップしても、8割から9割が消費に回らなければ、総需要の増加につながらないだろうと思われるからである。一人が貯蓄に回しても大丈夫と思っても、周りの人も貯蓄に回すことになれば、結局、需要の回復につながらないのである。これを『節倹の逆説』という。このような可能性が生じないためには、やはり消費者が実感かつ期待感として、景気が上向いているという心理的状況が必要であろう。

43.Self Disclosure(自己開示)

Youtubeで偶然見つけわかったことがある。人間は自己開示する欲求が強く、自己開示することで大脳の線条体という部分に刺激が加えられるらしいのだ。このことからtwitterやFacebookをするのが自己開示のひとつの手段として流行るのではないかと。僕のこのホームページも実のところ自己開示であり、脳が喜んでいるんだな。なるほど。

42.人間万事塞翁が馬

下記、41にてPCのBD不具合でBD再生プレーヤーを購入したと書きました。これをネットでみたところ、楽天やアマゾンの価格より2千円以上も安く手に入れていることがわかりました。まさか、片田舎の激安ショップでそんな価格だなんて。レコーダーの機能はないですが、MP4も再生可能とわかり満足しています。これで少し気持ちも晴れました。

41.日本のコンピュータ-メーカーに望む

僕が20年前、最初に購入したPCはWindowsOSの日本IBMのAptiva(アプティバ)という製品だった。あるときPCが起動するものの途中でフリーズを起こしてしまう現象に見舞われた。サポートセンターに連絡したが、Windowsソフトに対してメーカーサイドも完全に理解していないことがわかり、結局は初期化でリカバリーをするということで一件落着をみた。だが原因が解明されぬままだったので、どうも後味が悪かった。そして今回。昨年3月東芝のダイナブックQosmioT551を購入して、昨年にこのPCで書き込んだブルーレイディスクが認識されるものの空BDと判断され再生不能となった。再生ソフトを削除、再インストールするが駄目。次にディスクドライバーを削除、再インストールするも、これも駄目。仕方なく、サポートセンターに現象説明すると、再生しようとする書き込んだブルーレイディスクそのものが悪いのではないかと。仕方なく、本日3月12日に4,980円でBD再生プレイヤーを購入し、再生してみると案の定予想通り再生された。今畜生と思いながら、もしてかしてAACSキーの不具合じゃないかと疑っていたが、プレーヤーと一緒に買っていたサラのBD-Rに、PCで録画していた地デジ番組を書き込んでみると、書き込み用ソフトがAACSキーが更新されていないので、更新しますとメッセージが出てきた。結局、書き込みが成功し、その再生も本PCで再生できたのである。だが実をいうと、昨年12月3日東芝のソフトのバージョンアップでそのソフト更新にAACSキーの更新も含んでいたもので、僕は当然、AACS更新していたはずなのだが。地デジの録画ソフトと書き込みソフトが違うので、もしかしたらソフト同士のインターフェースがうまくいってなかったのではないかと個人的に感じた。サポートセンターにいうとBDについてはっきりと明言できないような口調だった。これじゃ、あの20年前の日本IBMと同じじゃないか!その書き込みソフトはCorel Digital Studioというもので、東芝は自分たちの思想に合うものを、ただくっつけて、ソフトの整合性が確実になっているか、なんてやってないんじゃないか。不信感が湧いてくる。
Windowsが登場する前、日本語でのすばらしいOSが出てきたというニュースを聞いたことがある。日本IBMの互換機に四苦八苦していた日本にとっては良い出来事だったろう。だが、アメリカの圧力にやられてしまった、との記憶がある。円高で電気メーカーは苦しんでいる。コンピューターソフトに関して統合事業を模索しないのだろうか。ソフトはアメリカ、インドでしか駄目なのか。昔、コンピューターの国策で元大分県知事平松守彦氏が通産省官僚時代、共同でやるか、競争でやるかの選択で、競争主義によりハードは成功を収めたと聞いたことがある。素人目だが、今度は協調主義で産・官・学でソフト・ハードがしっかり両方ともサポートできるようなPCは日本には出てこないものか。世界に通じるとかじゃなく、日本ですばらしい、世界が追随したくなるほどのものを構築するという観点があってもいいんじゃないか。

40.東北太平洋沖大地震

あの悲惨な日から今年で2年が経過した。やはり、ここで語らずにはいられない。サイレンと合わせ、東北方向へ合掌と黙祷を捧げた。アメリカの9月11日テロと同様、目の当りにした衝撃な日は、そのとき自分がどうしていたか忘れないものである。復興が着実に進んでいるとは言えないだろうが、安倍政権にはしっかりと目を向け、遅滞なき行政力を発揮してもらいたい。福島原発も課題が多く残されている。これから、福島で生まれ出る子らのためにも放射能の心配が無きよう、取り計らってもらいたい。ある作家が新聞で「人間は忘れる生き物である。だから忘れないように努めよう。」と述べていた。同感である。立派な復興を遂げた東北があることを信じてやまない。

39.親バカ

他業者に雇われての家庭教師を10数年前にしていたことがある。30万円~40万円もする教材を買わせ、かつ、僕が家庭教師として紹介され、家庭教師代も支払うのだ。自分の見解では、親の子供にたいする心に付け込んだ悪徳教育業者しか言いようがない。それに加担してしまった。親が業者の説明にほだされて、ついつい洗脳されてしまうのかもしれない。もし、身の周りでわが子(特に中学生)の成績を心配する親がいて、そんな勧誘があったとしたら、勉強でそんな高額な教材は絶対に必要がないと言ってあげてほしい。お子さんがすすんで、教材が欲しいといったなら、あるいは何がしかの教材が必要と感じたなら、数千円でも渡して、お子さん自らが本を取って自分に合いそうなものを買うという姿勢が必要だ。それでも、家庭教師や塾が必要と感じるなら検討することだ。しかし、結局は子供に本当にやる気があるのかが重要だ。
僕自身が募集して、来てくれるよう依頼されたご家庭があり、中2の女生徒を教えることになった。教えている最中、居眠りをするんだから、一対一の教授で。ありえないね。その事実を伝えることもできず、中途でやめさせられてしまった。自分の子供に原因があったとは考えもしていないだろう。
現在はネットでボランティアのごとく、うまく解説しているサイトが多くある。うらやましい限りだ。高校生レベルでは大学も数学を公開しているし。公共機関を除けば、正解が絶対と言えない部分もあるから、補助的に考えて、自ら購入した教材と合わせて勉強しても効果は絶大だろう。

38.英語 2

昨日、朝日新聞で「無料のオンライン学習が注目されている」という記事を読んだ。アメリカが発祥らしい。テストの成績・講義ノートを開示してのチームワーク能力をデータ保存しておく。そのデータを参画している企業に提示し、人材を紹介しているということだ。オンライン講義の使用言語はもちろん英語であろう。世界中で学習者が増加中である。要は世界的な人材獲得競争がもう既に始まっていることだ。日本にいるのだから、英語は必要ではない、という固定観念はもう捨て去る時代になりそうだ。英語は相対的必要性ではなく、絶対的必要性になりつつある。この10~20年で大学卒業者の就職戦線は、また一段と様変わりするであろう。僕らはまだ気楽でよかったが、今の小学生には気の毒な気もする。僕自身はそれほど英語能力を気にする必要もないと考えていたが、この記事で180度意識を変えねばなるまいと痛感した。

37.英語

英語をやり始めて、影響が大きかったのはカレン・カーペンターさんである。あの癒される、美しい発音。僕も彼女みたいな美しい英語を発音できるようになろう、と考えた。中1ぐらいは興味津々で頑張るけど、中2ぐらいから楽しいはずの英語が、あのドライな授業法で理解度も落ちてゆき、単語も頭に入らない。定期テストも60点台だった。これじゃ、始めに掲げた目標も達成できないという危機感から、ある日、姉が高校で使用していた英語文法書を読んでみた。その中に日々、疑問に感じていたことの解答が書かれていたし、こうじゃないか、という自分の考えが正しいことも確認できた。それからというもの単語を記憶することが億劫ではなくなった。高校は進学校ではなかったこともあり、中だるみしたが、進研ゼミをやっていたことは良かった。別に進研ゼミを広告するわけじゃないが、とにかく、赤文字で書かれた文章に暖かさがあった。問題に小説が出ていたと記憶するが、それを読んで、著者の何がしかを80文字ぐらいで要約せよ、との問題があった。恐らく、レベル的に東大クラスの問題だったろう。添削課題は辞書や他の書を見ても構わなかった。しかし、各単語がわかったところで、文としてのつながりで文意が決まってゆくのだから、そうそう単純な問題じゃない。英文に対しては同じ人間が書いてる文だから、日本の小説のように読み込んで、読み込んでやれば、きっと答えが浮かぶ、そう、「読書百篇、意、自ずから通ず。」という信念があった。その問題ひとつ10時間以上、格闘した。添削が帰ってきて、その問題部分を見ると、「よく考えられ、練られた解答になってます。相当に問題文を読みこんだんでしょう。」と、ねぎらいの言葉とともに、5重〇をしていてくれた。そういうこともあって、自宅浪人中まで続けられた。今も英語をやっているのは、高校3年生時、金谷(かなや)先生との出会いが大きい。先生は早稲田大商学部をご卒業後脱サラ(アフラックで有名なアメリカン・ファミリー生命?)して、ハワイ大を出て英語教師になった方で、とてもユニークなちょっと小柄な先生だった。僕の英語に興味を持ち、先生が高文連主催の英語スピーチ大会に出てみないか、と勧めてきたのである。いっちょ、やってみるかとの思いで出場したが、入賞もできなかった。でも良い経験をさせてもらった。その大会でひとつエピソードがある。大会終了後、車イスで出場した女子高生がいて、今のようにバリアフリーという状況はなく、階段でまごついていたのが見えた。その時、僕はただ見ていたのだが、先生が「何を見てるんだ!早く手伝ってあげなさい。」と怒鳴られてしまった。困っている人を見かけたら、見て見ぬふりはしない、とこのとき決めた。どぎまぎした、ほんとただの青二才だったな。「先生、いろいろ教えてくれてありがとう。」大学に入学したら、サークルは英語会話研究部に入ろう、ともう心に決めていた。
英文に慣れようと思ったら、迷わず、まずは自分が興味のある分野の書物を徹底的に精読することが最も良い、というのが僕の経験則である。

36.正社員の解雇を容易にすることを検討!

さあ、またまた、馬鹿げたことを考えた法律が検討されてますよ。正社員の解雇を一定の現金給付で良し、としようと。第一義的目的は成長産業への人材移動を促進させるということ、第二義的には若年労働者の失業増加を食い止めること、にある。これってつまり、良く言えば、長年勤務して培った経験を異業種でも発揮してもらい、空席を若年者に譲るってことなのか。いや~馬鹿げてる、アホか。極端な話、国家による職種強制移動じゃないか。企業に解雇されたからって、当該成長産業の労働市場が活性化することが確実になるという保証はない。職種は自由に本人が選ぶのだから。政府は本当に保証できるのか。50歳で解雇されたら、その人本人の個性にもよるが、通常、保守的でそれほどチャレンジ精神が高揚化するとも思えない。それに、日本では「解雇された」という状況は、本人には相当の精神的ダメージを与え、自殺者が出る可能性だってある。一人でもでれば、絶対に政府の責任だ。また、解雇された事実は「無能」と思われる可能性があって、そんな人を雇用する企業は日本じゃ今はまだ特殊じゃないのか。僕のHPタイトル「冷徹な頭脳と暖かい心」で言えば、冷徹すぎる考えであって、暖かみに欠けている。バランスを考えなきゃ。
成長産業とはどんな産業を念頭に置いているか知らないが、最初から若年者でいいじゃないか。何も即戦力でなくても。人を育てるのも企業の力であって、そんなこともできない企業が成長産業の中にあるとしたら、そんな企業は存在しない方がいい。みなさん、絶対にこんな法律は賛成しちゃ駄目ですよ。本当、もっと智慧をだせっつうの。猛烈に腹が立つわ。

35.美人投票

美人投票。コンテストの話ではない。投資の話である。誰が美人であるかを予想するとしたら、どうだろう。あの子が豊満な胸だ。いや、この子は美脚だ。と考えるか。ケインズは言った。自分の主観ではなく、人が一番だと思う女性に一票を入れると。僕は株式等投資をしたことはないが、なるほどと思った。他人が高くなりそうだと考える株を買う。そして、他人が下がりそうだと思ったら売る。キャピタルゲインの基本。むかし、有名な経済学者が計量経済学を駆使して、株価予想を行い投資を行ったが、期待するほどの結果は出なかったらしい。自分の思いより、周りの雰囲気を考慮しながら投資をした方が良い結果が得られるかもしれない。それと、一つに集中して投資するより、リスク分散から分散投資が良いらしい。

34.限界利益と経済学

企業に入って初めて「限界利益」という言葉に接した。もちろん、誰かが教えてくれるわけでもなく、自分で理解をしなければならない。これは管理会計に用いられる、企業の採算あるいは経営分析のひとつのツールとなっている。既存企業の費用は大別して、販売あるいは生産に伴って変化(とか変動、可変、比例)する費用と全く変化しない固定的費用に分けられる。前者の費用は変動費、比例費とか可変費用と呼ばれる。後者は固定費、不変費用と言われる。売上額(あるいは生産額)から変動費を引いたものが限界利益額である。「限界」という接頭辞は、数学の微分概念に由来する。一単位当たり限界利益はΔ(デルタ)xを1単位あたり売上量として、Δyをその増分利益と考えたものであり、トータルで観たものが限界利益額(なぜ、限界としたのだろう。本来これは限界利益曲線での積分値なのだが、利益とすると固定費を引いたものという誤解を招くことと「単位当たり限界利益」の総和だと明確にするために『限界』をのこしたのかもしれない。ただし、あくまでも自説。仮に名称をつけるとしたら、「固定費控除前利益額」とでもなるか)ということである。限界利益額が固定費を上回っていれば、安全圏だが、下回っていると赤字の状態であり、限界利益がプラスでも相当の利益余剰がなければ事業あるいは企業の存続が難しい状態になる。と、このように勉強したが、経済学を学んだ僕にはちょっとしっくりこなかった。経済学では限界利益という用語は出てこないからだ。このつながりについて、今は少しはそうか、と言う状態か。短期を考える。(短期という期間の定義は通常、与件[理論展開する上での前提]が変化しない期間をいう)企業は完全競争下前提での利潤最大化を行うとする。そのとき企業の供給曲線は限界費用そのものである。完全競争下では企業はPrice Taker(プライス・テイカー)となり、市場の需給均衡価格で利潤最大となる。これがミクロ経済学の基礎理論である。限界費用とはやはり微分概念で一単位あたり増分費用を意味する、つまり変動費曲線の微分値である。市場均衡での価格PE(price of equilibrium)、均衡販売数量QE(quantity of equilibrium)、変動費VC(variable cost)、固定費FC(fixed cost)、利益R(return)としたとき、

QE・PE-VC-FC=R


が成り立つ。このとき、QE・PE-VCが限界利益額である。経済学ではもう利潤最大化が前提されており、等式上のRがプラスとして、必ず限界利益額が固定費を上回っているのである。ところが、管理会計ではRの符号(+や-のこと)は前提とはしていない、ということに後になって気づき少しスッキリしたのである。

33.行動知

僕は今の哲学界がどういう状態であるかは知らない。僕が学生時代、ポスト・モダニズムで「構造主義」により話題となった、浅田 彰氏が有名であった。大分県立美術館に彼も参加しての共同講演があった。もう話の内容は一切、記憶にないが、(失礼ではあるが)背が低い人という印象は記憶にある。ずっと昔の大学では「デカンショ」が流行っていたというが、現在の学生はピンとくるであろうか?90%以上はないのではないか。デカルト、カント、ショーペンハウエルの名前の冒頭部分を繋げた合成語である。若い時には知識欲旺盛で哲学にもはまってゆく。はっきりわからなくても。ニーチェ、サルトル手当り次第、精読、積読をしていった。パスカルの言った「人間は考える葦である。」を実行しようと。
人間の「知」と言えば、今はノーベル賞受賞者らが該当するのだろう。「知」というより「科学知」であろうが。思想はどうなったのだろう。哲学はどうなったのだろう。そんなものは、もう存在しない、いや不要、それとも、脈々と受け継がれているのだろうか。僕が思っていることは、昔も今も変わらないのは「行動知」だと考えている。夢に向かってゆくこと、決意をもって約束を果たすこと、信念に沿って行動すること、技術に思いをぶつけて創造すること、家族を愛すること、人を愛すること。まだまだ挙げれば切がないが、パスカル風に言えば「人間は行動する知性体である。」か。至極、当たり前なことを書いてしまったようだ。

32.TPP-環太平洋経済連携協定

僕はこれは唐突に出てきた感じがしたので、どういう経緯でこの自由貿易構想がでてきたのか調べてみた。まず、経済産業省のホームページでAPECについて見た。その中で1994年にインドネシアのボゴールである合意がなされた、とあった。それは「自由で開かれた貿易と投資を達成する」というものである。その基本理念は3つ挙げられる。

  1. 貿易と投資の自由化
  2. ビジネスの円滑化
  3. 経済・技術協力

である。APEC先進国は2010年までに、APEC途上国は2020年までに達成を目指すというものであった。このような土壌もあり、FTA等の二国間協定が進められていたわけだ。そして、2006年ニュージーランド・ブルネイ・シンガポール・チリの当初4か国のTPP協議に2010年から米国・オーストラリア等が加わり会合を重ねてきたのである。突然、降って湧いたものではない、と理解されよう。米国は2010年からのオバマ政権の政策で2015年までに貿易輸出額を二倍にする目標を掲げている。太平洋における軍事的影響力は既に達成しているが、経済的影響力・発言力をもAPECエコノミーズの中で保持するという中長期的視野に立った国益に政策がものの見事に追随しているのである。この具体的事実は当時のアメリカ国務省キャンベル次官補が2011年3月31日(米国時間)に下院の外交問題小委員会で行った証言を読んでみるとよかろう。アメリカ国務省HPでAsia Overviewとキーワード検索すればわかるだろう。非英語圏を意識しているのか、英字新聞の社説で見られるような難しい単語はそれほど出ていないので、割とスイスイ読めるだろう。これを読んで驚いたことは、東日本大震災直後であったかもしれないが、真っ先に日本について語っている。同盟国とはこのことなんだ、と感じるだろう。一度も、米国政府部局のHPにアクセスしたことが無い人は一度はアクセスしてみるのもいい。僕はクリントン大統領とモニカさんとの不倫報告もプリントアウトして読んだことがある。ヒラリーさんもあれ読んだんだろうな...。

31.素人為替レート決定理論

堅いことを言わず、脳ゲームと考えてやってみよう。アメリカで財やサービスを外貨交換すると日本と同様に何でも買えちゃえますね。そこで、マネーを介さず、日本での同じ物で交換、すなわち物々交換が出来ちゃうとしましょう。ネット世界ならダブルクリックかドラッグアンドドロップで簡単にできるかも?そこでは、当然、アメリカの価格($)=日本の価格(¥)×為替レート=日本の価格(¥)×($/¥)が成り立ちますね。ここで、意味を拡張して、アメリカの価格をアメリカの物価水準、日本の価格を日本の物価水準にします。ゆえに、アメリカの物価水準=日本の物価水準×($/¥)となります。そして、等式変形して

アメリカの物価水準÷日本の物価水準=($/¥)

となります。ここで我流理論、「二国間の為替レートは二国間の物価水準の比(商と同意)で決定される。」次に分析してみよう。文字だと冗長になるので、アメリカの物価水準をPU、日本の物価水準をPJとしましょう。すなわち、

PU/PJ=($/¥)---①

分析のために、PJを一定としましょう。何らかの理由で、PUが上昇したならば、①の左辺も上昇し、右辺の為替レートも上昇します。すなわち、右辺で$は基軸通貨1$で不変で、¥の値が小さくなることですから、円高を意味します。PUが下落すれば、右辺も下落することで、¥の値が大きくなることを意味しますので、円安となります。PUを一定にすれば、分母にある、PJと¥は同じ方向に動きますから、PJの上昇は¥の値の上昇、すなわち円安、PJの下落は円高です。PJ一定のPU上昇と、PU一定のPJの下落は①の左辺の比の方向が同じゆえに、同じ結果、円高であり、PJ一定のPU下落とPU一定のPJ上昇は①の左辺の比と方向が同じゆえに、同じ結果、円安です。これらの結果から、日本とアメリカでみたとき、相手国の物価上昇は自国通貨の切り上げ、相手国の物価下落は自国通貨の切り下げとなるということ。さらに言えば、両国で物価上昇があっても、PUの値<PJの値のとき、①の比は低下であるから、つまり円安、逆であれば円高。すなわち、相対的な相手国の物価上昇は自国通貨の切り上げ、相対的な相手国の物価下落は自国通貨の切り下げになる、ということ。例えば日本の物価上昇率が1%、米国のそれが4%だとすると、円が3%以前より切り上がる、つまり3%円高方向に進むということです。さあ、さらに拡げよう。アメリカとしたけれど、基軸通貨はドルだから、他の国の物価水準はドルで評価できます。つまりは、日米で得られた結果が、そのまま、他国とも同様に言い得るということです。世界にくらべ物価上昇の圧力が弱かった日本にとって、円高圧力は、やはり、あったと思えますね。でも我流理論はあくまで、非経済学我流理論であって、脳ゲームですよ。少し、経済学らしくすると、ここで言った物価水準は名目物価水準で、為替レートは名目為替レートと言えます。名目とは「目にそのまま映る値」とでも考えて下さい。経済学では実質と名目は峻別します。①において、この3変数を時間の関数と考え、対数関数微分を用いると、説明のすんなり度が増加します。脳ゲームお疲れ様でした。

30.債券市場における国債価格と長期金利

僕が理解して、簡潔に説明できる範囲内で論じようと思いますが、興味の湧く方は他の書物や読み物等で理解アップ・正確さの向上を図って下さい。実際に発行される金利固定型国債において「償還に伴う利息÷券面価額=表面利回り」といいます。償還に伴う利息は固定値です。市場では需要・供給の法則により、国債価格が決定されます。「償還に伴う利息÷市場の国債価格=長期金利」です。国債の償還は5年、10年という長いスパン(span;期間the average life span:平均寿命)ですから、『長期』という接頭辞がつきます。市場の価格が券面価額と一致することもあり得ますが、償還に伴う利息÷市場の国債価格=長期金利という定義づけられた関係式より、国債価格 ↑ならば 長期金利 ↓、国債価格 ↓ならば 長期金利 ↑という関係が表現されるのです。中学数学程度で表現するなら、償還に伴う利息は固定値と先述したように、償還に伴う利息を一定値aとおくと、a=市場の国債価格×長期金利が得られ、これは、みなさんが学習した反比例の関数(一般には分数関数と呼ぶ)で、市場の国債価格と長期金利が反比例の関係にあると理解できます。日本ではこの長期金利と連動したものがあり、我々の生活に影響を及ぼすこともあり得るわけで、マクロ・ミクロ両面、経済全体に少なからず波を与えるのです。
国際マクロでは、再度、イタリアでの政局絡みでの国債価格の動向がEU内紛を顕在化されるのではないかという危惧が円安の上振れを削ごうとしています。国債を新規に発行し続ける限り、この価格動向を無視するわけにはいきません。価格の低下が続けば、必要な資金の手当てもできず、そのような状況で、表面利回りを上昇させても、償還利息の負担が重く圧し掛かるからです。そのような状況を投資家が見逃すはずもなく、イタリア国債の人気が下がり、国債への需要曲線は下方へシフトし、国債の供給曲線も国債を手放そうとすることで下方へシフトし、価格の下落圧力が強まることになります。下図のように、P1からP2へ均衡価格が下落します。

国債価格需給作用

確か、経済予測で2050年インドやブラジル、ロシアが台頭します。やはり、将来有望な国々を巻き込んだ新たな世界金融体制の構築を早急に推し進めるべきではないかと考えます。将来有望でない日本がいくらEUの外債を買うといっても、一時しのぎ程度と投資家は観るんじゃないだろうか。マネーの取引はもうほとんど自由に国境に関係なく動くわけですから、一つの経済ブロックでの金融不安がグローバルな不安を煽ることを防ぐ、実物の協定に似た金融協定を結ぶことが必要ではないのでしょうか。IMFの役割には疎いのでIMFがそういったものの機能をすでに持ち合わせているかわかりませんが。
国内に話を戻すと、(償還策が策定されていることから)復興債を除く償還を超える国債の新規発行は新たな借金になるので、やがて国内総貯蓄(1,500兆円ともいわれる)で賄っている(これは過去の労働世代が儲けた所得を元手に、政府が強制的に現在の全世代へ所得移転させているとか、※ストックの強制的フロー消費とも解釈できる)という言い訳はできなくなる。そうは言っても、ストックも個人自身で消費されるのであるから、ストックが無くなった時点で、ストックを元手に残された国債残高は現役労働世代のフローで賄われてゆくことになる。そして外国人投資家による日本国債の保有比率が上昇し、いよいよ、日本の実体経済の在り方が外国投資家に、以前より増して注目され、財政の健全化や財政への規律が問われ、安倍政権以後にまたもや、リーダーが短命な政治の混乱が続くようであれば、恐らく、イタリアのごとく日本国債の価格が下落し始め、それに乗じた投機家の禿鷹どもが莫大な利益を得ようと、日本国債という餌にむらがり、日本財政がIMFの管理下に置かれるというシナリオが一気に映像化されるだろうと、の可能性はゼロではない。
危機感を持っておくことは大事である。企業は日々、経済学者シュンペーターが言ったがごとき『イノベーション;創造的破壊』を行い、他企業と競合、あるときは組しながら、市場からの厚い信頼の獲得とその持続性に究極的目的を持つ。市場の信頼が消え去ることはたちまち企業は倒産か清算かの憂き目にあう。では国家はどうか。国家利益を追求するには、当然、自国の経済そのもの、在り方、が磐石でなければならない。現代ではグローバルマネーが飛び交い、一つの運用先として日本国債に向かってくる。日本という一国を商品として差し出しているわけである。ギリシャ危機はギリシャ会社が粉飾決算したために、親会社のEUが信頼を失い、とばっちりを日本が受けているといったところか。日本国債を購入する海外投資家は日本のお客様であり、日本株式会社の議決権を持たない(ただし売ることで意思表示できるが)特殊な株主である。WIN-WINの関係が損なわれない、日々、快晴の中を走行する日本丸を操縦できるよう行動することも、これからの政府は意識してやっていかなければならない。
※ストックとは、過去からの積み上げで残っているものの残あるいは残高、フローとは期間での入ってきたり、または、出ていくもの。

29.インフルエンザ

フルにかかり、思考能力が落ち、書くのを止めた。フルで病院へ行ったのは、20年ぶりかな。頭痛がひどすぎ、睡眠がままならないので重い腰をあげた。しかし、対処法が昔と違うのに驚いた。体温計で38.4度の熱があったことに自分でもビックリして、これはもう即座に注射をするのかと思いきや、医者は慌てることなく、フルのタイプテストをした。そして、タミフルを渡され、5日間、無用な人との接触を避けるべきとのこと。「この薬だけで、高熱に対処できるのか?」そう思ったが、朦朧としてて早く横になりたくて、要らぬ質問はしなかった。タミフルは服用による副作用が問題になっていたことは知っていたが、とにかくも、この頭痛を何とかしたい思いが薬に手をつけさせた。効果に半信半疑だったが、2錠目から切望した効能が現れ始めた。ようやく、奇妙な頭痛が無くなり、体温も37度中ごろに低下したかな。だが、やはり両足の太ももから膝にかけて、大小の発疹が出ている。これは、副作用だろう。私は薬が良薬とは限らないという意識は持っている。この薬自体が相当の効果を持つことは、人体に相当の負担を、実のところ、強いているのではないか。私のは軽微か、継続服用の中止を訴えているのか。いずれにせよ、なるべく、フルに感染しないよう予防対策をしたほうがいいな。ティッシュを2箱、2日で使い切ってしまった。

28.過程が大事

高校卒業時、野球部の後輩みんなと下のコラムにも書いていた大塚先生より、彼らのメッセージを書いた色紙を頂きました。もう、薄れて読むのもままなりませんが、先生は私が自宅浪人をすることを知っていたので、そんなメッセージをくれたのかもしれません。「急いで結果を追い求めることはない。どうなったのではなく、どうやったかが大切だ。」宅浪中、何度、このメッセージに助けられただろうか。私の周りにはそれほど人が取り巻いていたわけではないが、生きていく上で、仕事をしていく上で、良い人たちに恵まれたのではないかな。

27.硬派 銀次郎

漫画のタイトルである。もう今は、漫画を読むということは、ほとんど無くなってしまった。友達から借りた本に載っており、初めて読んだ時から、はまってしまった。だが、いかんせん、友達も自分もお小遣いがそれほどあるわけでないから、ところどころの積読みたいで終わった。設定は、ハチャメチャだが、世話になっている周りのために、自分より体の大きい悪の番長を殴り倒すは、大木を引き抜くは、ヤクザとやりあうは、もうスゴイ。女性に疎いっていうか、ちゃんと理性で動いてるところもある。正義感というより、信念が一本入ってるんだな。う~ん、考えると、また、のめり込むな。一番、心に残る文句がある。「男ってなあ ふだんなんか 茶色だろうと 灰色だろうと かまやしねえんだ いざって時に 黄金色に かがやきゃなあ わかったかーっ!!」いや~、たまらんか。俺はルックスもスタイルも良くなかったけど、やるときゃ、やるぞ!って仕事を東京時代には頑張ってた。ある時、ある女の子から言われました。「私、○○さん見てわかりました。男って顔じゃないんですね。」でも、その子、3日後には結婚したんですけど。
ただ、僕が目指せなかったのは硬派ですかね。女性に対して心がなよりっぱなしでしたから。現実はうまくいかんもんですたい。

26.若い未就労の労働世代への対応

2・3年前かそこらにTBSの報道特集で、北海道で職に就けず、32、3歳でホームレスになっている若者を取材・放送していた。彼はノートPCを持っており、それが一番大切なものと言っていた。私は思った。彼はそのPCを有効に活用しているのかと。PCで日本全国にまたがる求人募集を探すことができるだろうに。さらに、やる気があるなら、ネットを使ってコンピューター言語等を学ぶことだってできる。
彼だけでなく同様の境遇の者たちは、実社会に出て、初めて資本主義社会の真の姿を知っただろう。だが、私は彼らに同情はしない。むしろ、叱咤激励を込めて「甘ったれるな。」と言いたい。幸運に恵まれた者もいるだろうが、多くは自分らのように、自分へ投資(お金だけでなく時間も)をしたからこそ今がある。何かを掴むのに、努力もしなかった者に運がくるとは思えない。これは以前よく言われた勝ち組(私は負け組の部類にはいるだろうが)の論理ではなく、これが資本主義の論理である。商才が無いなら、企業に入っても恥ずかしくない己をつくる、という気構えも必要だ。15年前、高卒の子が、就職状況もそれほどいいわけでも無い中で、派遣社員を辞め、職業訓練校へ行き、コンピューター言語を学び、現在、システムエンジニアとして立派に役目を果たしている、という話を聞いたことがある。
だが、私は経済学を学び『非自発的失業者』(労働市場において、働きたい意思があると示しても雇用されないもの)が存在することを認めている。ある時点でこのカテゴリーに入る失業者が存在しない時がある、とも想像ができるが、資本主義では一般的ではなかろう。
しかしながら、このカテゴリーには「労働能力の同質性」が仮定されている。上で批判した者たちは、厳しく言えば、この「労働能力の同質性」を満たさず、むしろ、労働市場に参入できない、排除された者だと言える。生活保護費を与えることは、むしろ、労働市場の排除からくる社会的疎外感を自ら本末転倒で感じる者から労働インセンティブを奪う、という負の効果が絶大であると考える。現在、ハローワークと企業で連携し、求職者の試験雇用を行い企業が雇用するかどうかを決定するということが、一部、行われているらしい。これは大いに進めてもらいたい。試験雇用であれ、まず、実社会との接点を保持することは重要であろう。職業訓練校を出たものの就職率がいかほどのものか実情はわからないが、定員の増員、カリキュラムの充実、やはり企業との連携、広報活動(私は実態をしらない)等をすること、訓練校設置場所を最適にすることを挙げておこう。ただし、困難なことではあるが、行政には最少費用での最大効果を常に忘れないでもらいたい。

25.2と1は等しい?

あるサイトで次のような数式(中学生もわかる)をロシアの学者が提出し、反証されていない、との記事を 出していました。数式は以下の通りです。
a = b → a2 = ab → a2 -b2 = ab-b2 → ( a + b)(a-b) = b(a-b) → a + b = b → 2b =b → 2 = 1
なお、a2 と b2 は、各々、aの2乗、bの2乗と読んでください。
もう、お分かりですね。この記事はパロディ記事で、嘘のことです。しかし、中学生の論理思考の訓練にはいいかもしれません。

24.中学数学でのつまづき経験

私の記憶にある,中学数学での悩み経験を語ってみよう。ある者は、簡単に素通りできるが、ある者ははっきりと理解できなくては気持ち悪く、後々まで残り、数学への劣等感を持つ。私はもちろん後者の方であった。
1.整数証明問題
例えば、3桁の各位の数の和が3の倍数であれば、その3桁の数が3の倍数であること、あるいは3で割り切れることを証明せよ。解答で3・nの形になって、だから3の倍数だとか、3で割り切れる、という。どうして、この結論を即座に言えるのか?にハマってしまった。いつこれに解放されたかは記憶がない。原因としては、小学校での理解が不十分だったのだろう。ある自然数Aをある自然数Bで除したとき、自然数で商nがでれば、そのときAはBで割り切れる、またAはBの倍数、BはAの約数という(もちろん、小学校では文字ではなく、〇や□を用いていたのかもしれない)、定義を認識していなかったと思う。だが思うに我々の当時のテキストでは小学校とのつながりが不十分だったと思うし、教師まかせになっていたのではないだろうか。
2.2n+1、2n-1
どれも奇数を表すことはわかったが、どういうケースでどっちを使えばいいのか、迷ってしまったのである。結局、これは数学をやっていくうちに無意識に解消されたが。家庭教師で2n-1や2n+1がどうして奇数かという理由を私はこう教えた。さて、1.2.3......と並べてみる。偶数の一つに着目してみよう。例えば4に着目。そして右向け右をする。さあ、右には何がある?「奇数。」正解、では左向け左。はい、左側の数は?「奇数。」そうだね。じゃあ次は8。他の偶数でやっても同じことがいえるよね。だからすべての偶数は奇数ではさまれてるのがよくわかるね。そこでだ。偶数の右側の奇数をみると3=2+1、5=4+1、...偶数+1だよ。じゃ左側は、1=2-1、3=4-1、5=6-1、...偶数-1だね。すべての偶数は2nと表現できるから、奇数は2n-1か2n+1って表現できるんだよ。あなたは、お子さんらには質問されたら、どうご説明されるだろうか?
今、このとき、はっと思ったのだが、中学生が卒業する前に、どういった部分で悩んだかアンケートをとったらどうだろう。はっきり言って、数学ができなかった人の声が教科書作成に生かされていないと思うので。

23.カール・ラインリヒ・マルクス

マルクスの名だけは聞いたことがあるだろう。資本論を著したことで著名である。別に私はマルクス主義者でもないことは、前もって言っておく。労働者の惨状を見て、当時の経済学の分析ツールを用い資本主義がやがて共産主義へと革命によって変革されると説いた。「搾取」という言葉は有名だ。学派では彼は古典学派に属する。現代の経済学が科学的になった、あるいは加速度的にそのように早められたのは、マルクスの出現によるものである。また、現代資本主義で我々、労働者が法律により過酷な労働、賃金未払い、若年者労働等から守られ、選挙権・被選挙権、労働組合の結成、団体交渉権等の権利を獲得していることも彼の影響があるだろう。資本主義VS共産主義といった冷戦、日本赤軍等の過激な思想の出現という負の要素も、もたらしてきたが、歴史的にみて、我々、労働市民の今、ある幸福は彼の考えが批判されようとも、彼の存在があったからである。そういったマルクスを含めた活動家が存在していなければ、はたして現代に労働者の自由はあっただろうか。歴史は個々の事項で教えられるが、本質的に歴史にからまる多々の要素が結びついて、過去、現在、未来へとつながってゆくのである。ここで、言っておくが、アメリカは「民主主義的自由」を叫ぶけれども、政治学的に観て、それを最初に標榜したのは共産主義であることを忘れてはならない。おそらく、この点において先入観が入り込み、いつしか資本主義=民主主義的自由が昔からそうであったと誤解される人が多いだろう。歴史的には間違った認識である。

22.目が点になる

2日前、「所さんの目がてん」という番組で面白いことをやっていた。目が点になる、とは科学的にどういうことか、というものである。実験で、サンプル被験者にTVモニターの画像を見せる。しかし、実はモニターが置かれた土台の箱から、鬼の面を被った人が出てくるというもので、被験者はそのことを知らされていない。被験者は驚いて、目を丸くするが、黒目の部分より、白い部分が目立ち、目が点らしくなるというものであった。しかし、重要なことは、その危険を感じるパニクル状態で、人間の黒目が大きくなり、目視される対象物の情報を人間は本能的に瞬時に見極めようとする、ということであった。僕はこの結果に頷いた。通勤途中で、トンネルを抜けてすぐ坂道の箇所があるのだが、ある日、車でそこを走行中、いきなり僕の対面に向かってくる、大型トラックを追い越しにかかった2tトラックが見えたのである。1秒もなかったと思うのだが、もう死んだと思った瞬間、そのトラックの左脇をカスリもせず、無事に通り抜けていたのである。不思議な感覚であった。まるでトラックを通り過ぎたような。よくもまあ、あんな超人技ができたな~と自分に感心していたが、この番組を見て初めて、人間誰しも危機的状況下では必死に、しかも瞬時に情報を分析する能力があるのだと知ったのである。自分の目に感謝である。

21.連帯保証人

連帯保証人を頼まれても、本当に、本当に、信頼できる人物でない限りなってはいけません。連帯保証人になれば、債権者は原債務者に返済余力があっても、原債務者に構わず連帯者に弁済を請求できるからです。さらに、連帯保証人が死んでも、それを知らなくても、法定相続人に返済義務が生じます。つまり、子々孫々に負の連鎖をもたらすものです。厄介です。ただ、この連鎖を防ぐ方法があります。連帯保証人が亡くなったら、14日以内に相続放棄をして下さい。放棄の仕方は2種類あるはずです。裁判所へ行って、事情を説明すれば書類をくれ、説明してくれるでしょう。費用もそれほどかからないです。裁判官が決定を下します。恐らく、官報に記載されるのではないかな。放棄決定の書面を受け取れば、後日、債権者が連絡をしてきても、胸を張って「もう、相続放棄をしたので、お好きにどうぞ。」と言うことができます。何も取られる心配がなければの話ですが。放棄者は法定相続人の全部ができます。一人でもやっておかなければ、その非放棄者に返済義務が生じることになるので注意が必要です。一般に、弁護士や司法書士に相談しようと考えるでしょうが、法務局でも親切に相談に乗ってくれると思います。この場合、相談に費用は掛かりませんから。一応、簡単に相談内容を伝え、相談日を決めましょう。僕が20年前にやったことです。法律的な問題が生じたら、素早いアクションが肝要です。悩んではいけません。ただ、相談ごとは包み隠さず話す必要があります。

20.「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」

これは全米ライフル協会(National Rifle Association : NRA)のスローガンである。アメリカにおいて銃乱射事件により銃規制への関心が高まっていることは日本人のたいていの人々が知っていよう。このスローガンに違和感を日本人は感じるのではないか。実際に、過去、日本人も銃により犠牲になっているので、このスローガンに対して日本人として批判したいのだが。まずは、このスローガンはもっときちんと読み込むとこうなるか?「人が銃を向けるとき、銃が人を殺すことを選択はしない。人の意思が人を殺すことを選択をするのだ。」直接的に読んでも、ぐうの音もでない。では、この文の前に、「人が銃を持って」を入れる。これも、『武器を所持して携帯する権利が憲法で保障されている』(連邦最高裁判所でも個人の武装権を認定)≪ウィキペディアより≫ことから、やはりTVインタビューでも個人はこれを挙げており、批判ができない。あきらめるか?いや、銃犯罪犠牲者の弁護になったつもりで。このスローガン自体への反論は諦める。しかし、僕は陪審員へこう訴えよう。かの元NRA会長チャールトン・ヘストン氏は人種差別運動では、キング牧師と共に人種差別反対の大行進で共に歩んだとある。アメリカ合衆国建国の原風景は開拓精神もさることながら、先住民族であるインディアンへの銃による殺戮と土地の略奪であったはずである。黒人と白人の差別は無いという一方で、今やアメリカ人となったインディアン子孫の先祖に対する弔いは、一体、どこにあるのか!!!彼らの命を奪い、生活・人生を狂わせたのは、正しくそのものである。アメリカ合衆国は多民族国家である。真の多民族国家であろうとするならば、建国における過去を正(ただ)しく清算する、すなわち、ここで銃規制の断行を決意することであります。そのときこそ、アメリカは真の合衆国になるでしょう。

19.生と死

日本では少子化が問題となり『生』がキーワードとなっている。僕は、ある時『死』にも目を向けてみた。総務省統計局のデータを参考にしてみると、人口の自然増減にかかる平均死亡者数は19個のデータ(昭和30年~平成22年の間のデータ)平均で910千人となっている。この平均をとった期間の死亡者数は単純計算で910千人×55年=50,050千人≒5千万人である。ちなみに、この期間でのオギャーと生を受けた人口は平成22年の総人口が127百万人で、昭和30年の人口が90百万人であるから、およそ9千万人である。平成15年からこの事象での死亡者数が毎年100万人を超えている。世界中での死者数をこの期間で考えると、ものすごい人々があの世へと旅立っている。逆に考えると全世界人口は今も増加しているわけだから、相当にオギャーの声が地球に広がっていることになる。人口が増え続けることは地球資源が有限で、宇宙への進出がそれを解消するに追いつかないとしたら、危機的な問題である。だが、一日ごとに誰かひとりの死を補うかのように、その数倍の命が誕生している事実は、その危機的状況を考えるよりも、嬉しさを覚えてしまう。身勝手な発想とわかっているにしても。
僕も多くの人々と同様、名も知れず、そう遠くないうちに、サヨナラを言う。死者の数を観ると、その数を思い知ることで、なんとなく死の恐怖から解放され、「僕もまだまだ」という『生きる』ことへの意欲が湧いてきそうな気がする。あなたはどうだろう?

18.校内暴力

僕の通った高校においても、校内暴力がありました、1年生から2年生にかけて。昼休みに2年生か3年生の男子トイレに、人数を分けて職員室からは死角の階段を上がって行きました。トイレに1年生4~5人で入ります。暴力を実行しようとするもの(主犯格としよう)と5,6人の手下がいて、1人か2人がトイレの前に立って見張っていたでしょう。僕らが大きい方をするドアの前に立っていると、主犯格が向かって右側の同級生から順番にドスの利いた声で質問をしていきます。「おい、こら、お前挨拶をしよるんか?」と。素直に「していません」と言ってしまうと、主犯格がお腹に向かって、ボコ・ボコ・ボコ...。5発は喰らったでしょうか。バカどもは、こういうことには知恵があります。決して顔を殴らないんですね。何故か?顔にアザをつけると、先生にバレる危険があるからです。ほんと、バカどもです。体育館も利用してたんじゃないかしら。時効がなかったら、民事損害賠償請求でもしてやるんですが。お金はとれなくても、昔にやらかした事がいかに法的にどんなものか、わからせてやりたいもんです。まっ、どうせバカもん共ですから、理解する知恵もないでしょうが。
しかし、昨年の仙台の高校でのイジメは陰湿ですね。それに、高校が被害者に転学を薦めるなんて。僕はこういうことを考えてる。高校生を対象にした、「高校でのイジメ・暴力に対する措置及び処罰に関する法」を制定する。一つの高校ごとに弁護士を1から2人を割り当てる。高校で生じたイジメ・暴力は全て民事損害賠償請求の対象とする。高校入学前に作成されたパンフレットを教材にして、保護者・生徒に弁護士から訴訟請求の方法を教授する。現実に生じた場合、相談は真っ先に弁護士とする。この賠償請求には、学校当局は一切、介入できない。したがって、賠償請求は加害者だけに及び、学校当局、管轄当局への賠償請求は放棄するものとみなす。仮に、学校当局が介入した事実があった時、当該当局への賠償請求を認める。イジメ・暴力の内容が刑事での処罰が妥当かは弁護士の判断とし、刑事罰が妥当と判断すれば、警察当局へ弁護士が被害届を提出する。弁護士への学校での相談費用は国費とする。公判中、被害者、加害者生徒の授業の出席が不可能なとき、学校当局は補修授業を行えるようセッティングし、単位修得に穴が出ないようにする。裁判はプライバシーの観点から密室での裁判とする。裁判で原告側の敗訴となったとき、その費用は原告が支払う。原告の訴えが通れば、被告への請求額は必ず、訴訟費用を超えるものとする。支払は原則、被告自ら行う。支払は被告が進学しない場合、卒業後1年経って開始とする。進学した場合、卒業後1年経って開始とする。しかし、いずれも支払開始日より、支払の滞納が一年経過した場合、実名を公表する制裁を加える。しかし、やむなき事情が明白な場合、原告・被告の双方での話会いとする。被告が海外へ長期滞在することが明白であれば、支払が完済次第、出国を認める。滞納が悪質であれば、刑事罰の処分を科すことができる、と。非常に過激かつ乱暴な素人考えだが、自分も体験した、非常に不愉快なイジメ・暴力が無くなることを願っている。しかし、法的な措置を検討した方が高校生の時から法律へ目がゆくという利点もあるだろう。

17.信賞必罰

聞いた話だが、中小企業の若手ドライバーが一度、事故を起こした。しかし、会社は何も彼に対して処罰はしなかった。初回ということもあり、戒告どまりだった。ある時、友人が勤務中どうも彼の状態がおかしいと感じていた。心配していたことに、彼の予想は的中し、またも事故を起こしてしまった。初回の事故からわずか3年ぐらいしかたっていなかった。今度は、会社も減給処分ぐらいの懲罰を与えるかと思いきや、またもお咎めなしとした。そして、そして3か月後、やっぱりやってしまったのである、事故を。だが、またもや何もお咎めを与えることなく、ただ、二度と運転させないことを決めたのである。何とも、従業員に優しい会社と思うであろうか。いいや、そうではなく、中小企業では家族経営的なところが色濃くあり、従業員が会社に損害を与えても(この場合、保険補償があり、ほとんど貨幣的損害はないが)、なかなか処罰を与えることはしないだろう。これらの事故が人命を奪わなかったのが幸いであったが、思うに、2回目の事故では処罰を与えるべきであったのではないだろうか。結果論になってしまうが。中国史で、孫子が女性の衛兵をこしらえようとしたところ、どうもうまくいかず、リーダシップを取るべき女性を斬首したところ、見事な統制がとれるようになったこと、有名どころでは孔子が命令に背いた馬謖(ばしょく)を斬るというように、チームの統制には私情をはさまず、罰も与えることが必須である。ただし、信賞とあるように、彼の勤務態度はそれほど悪くはなかったと聞いているので、会社がある程度、彼に恩賞を与えていたかは、聞き及ばぬところでもある。

16.このHPについて

youtubeや他の動画で、動画再生回数が何回を数えたと話題になるが、いずれはその再生回数の伸び方は鈍化し、やがてはある数にとどまるだろう。僕のは誰かが少なくとも1日1回は訪れ、読んでもらえれば幸いである。たとえ、カウンターの回数が増えまいと。SNSシンドロームは避けたいところである。本来は在野の経済学者を目指し、地方から意見を発表することが目標であったが、自らの不徳により、それを台無しにしてしまった。良く言えば、趣向が変わっただけのことかな。本、論題ごとにlikeボタンを付けるのも良いかと思ったが、やはり辞めた。プロでもないし。何等かのマーケット調査のごとく、訪問者の嗜好を調べるわけでもない。ましてや、訪問者のことを考えて書くわけでもない。そんなことを考えていたら、僕の思想の自由性が損なわれてしまう。僕が他のテンプレートを使ってHPを作らず、手作りにしたのは広告が嫌で、やはり、自分のHPの自由性を考慮したからである。僕の書いたことを批評してもらうのが目的ではない。僕がこうして書いている間の時空間は完全なる思想の自由を体現できるものだからである。あとのことは、訪問者におまかせするだけである。

15.数学テキスト練習問題

我々が用いてきた教科書と現在のものとは大幅に変わっている。中学用は大きくカラー化され、やる気があれば、自習でも理解可能なようになっている。高校用(進学校で使う普通教科書)は昔の進学校では受験に必要とされ、補充的に教授された標準的な問題が、練習問題として記載されている。そして、当然、内容も追加されている。僕のような就職高校に在籍していた学生にとっては旧教科書は親切なものではなかった。受験に必要とされる標準的な問題は教科書に記載されず、指導者のやり方いかんにかかっていた。就職高校で国立大学を進学する者への差別が実質的にあったと思う。これに関しては、当然無理な話だが、僕らが通った高校に行って見なければ理解はされまいが。
さて、これからが本題なのだが、僕は経済学を学んでいる時ふと思った。社会科学でこれほど数学ツールを用いるのに、中高の練習問題では理数系の問題ばかりが、なぜ、これほど目立つのであろうか?と。数学が生活の足しにもならずと考え、毛嫌いになる者が多いのに。社会と連関した問題を織り交ぜることはできないものなのか?その意識を持ったまま、14年前の36歳のときアメリカの数学テキストはどうなのだろうかと、紀伊国屋書店ネットビジネス部より以下の原書本を購入した。今、手元にある。COLLEGE MATHEMATICS WITH TECHNOLOGY。答えの部分を除いて、1062ページもあり相当分厚い。価格は本体、税抜き¥13,830(うわ、高、よく買ったな!我ながら)。アメリカでは高校での数学内容が落ちると聞いていたので、大学クラスを購入してみたのである。数学内容を列挙してみると、

  1. 初等関数の再復習
  2. 有限数学[金融数学・線形計画法・確率・マルコフチェーン]
  3. 微積分[導関数・グラフと最適化・多変数関数における全微分、偏微分、積分、二重積分・微分方程式(1階線形微分方程式のみ)]

大学の本だが、カラー文字をところどころで用い、グラフも散りばめ、ポイントどころをきちんと押さえ注意を促している。問題数も多いが、副題にFOR BUSINESS,ECONOMICS,LIFE AND SOCIAL SCIENCESとあるように問題を区別化し、応用面として「ビジネスと経済」に絡む問題を用意している。本書は1997年に初版が発行されている。日本では考えられない、文系には良いテキストに見える。
文系の応用数学には問題に絡む、それ専門の用語を理解しておく必要がある。だからと言って、出来ないことはないだろう。何かやりようがあるはずだ。今、初めてわかったが、この本はアメリカの高校2年生と同等の代数に対する能力を持つ学生を対象にしている、とpreface(序文)に明記してある。ならば、やれないはずはない。
僕がひとつ具体例として考えるのは工業簿記で習う、数量差・単価差・原単位差である。これは、実際、企業での予算-実績の分析に用いられ、議論のツールになっているのだから、中学での「式の展開」で取り上げられても良いのではないかと思う。上述の本を購入したころ文部科学省のホームページより、僕の持論をメールで送ったことがあるが、黙殺されただろうな。
これからは、情報端末を利用して学習する時代が来るだろうが、学ぶ手段が変わっても中身が変わらなければ、少々の効果はあっても、結局は同じ状況になるのではないか。状況変化で良い物になったと錯覚を起こすこともあり得るのだから。

14.家庭教師

10年前まで中学生を中心に英語と数学を教授していました。なかなか、人に教えるのは大変でしたが、やっぱり、数学は素直な子ほどハードルを越えると成績は必ず上昇する、といえるでしょう。女子の方がそうなる確率は高いかな。「先生のおかげで、数学が好きになった。」と本人から言われたとき、嬉しかったですね。自惚れかもしれませんが、率直に言って、僕の中学時代の教師の教え方は下手であったと思います。時間も限られていたせいもあるでしょうが。それとも、教師の必死さが伝わらず、ただ、良い印象が残っていないのかもしれません。
人間って不思議なもので、この子はなかなか良さそうだという、そう直観で感じた女子が一人だけいました。友人と3人、一緒に教えましたが、その折、休憩中、これからもっとやるなら、大学に行った方がいいだろう、と話しをしたこともありました。それから、数年経って、勤務する会社の取引銀行に仕事で行くと、何とその彼女が受付に座っているんじゃ、あ~りませんか。いや、もうびっくり。「先生、こんにちは。」(いや、もう先生とは言わないで欲しいんだが。)彼女は取引先の社長の娘で、父親に事情を聞くと、商業高校を首席で卒業後、推薦で僕と同じ大学に入り、銀行に就職したとか。しかし、支店が多数ある中、よくも僕が週に一回は必ず行く支店に配属されたものだと、本当につくづく、不思議な感じがしております。直観も信じてみるものですな。

13.メディアが取り上げない日本の経済学者

あなた方は日本で有名な学者は誰かと聞かれて名前が出てくるだろうか?一人は出てくるだろうか?小泉政権に協力した竹中平蔵 氏ぐらいは。そして、最近では、内閣参与に就任した浜田宏一 氏ぐらいのものか。ジョン・ケネス・ガルブレイスという経済学者が約30年前に『権力の解剖』(原題はThe anatomy of power)を著し、その中でメディアも権力のひとつと彼は位置づけている。30年前に読了し今は手元にない(実家で保管されていた数百冊の本が大雨で失われてしまった。(T_T))ので詳しくは説明できないが、ネットに出ているだろう。僕は彼の主張に賛同している。テレビ東京以外で、学者が説明しているのを全く見かけない。どこかの銀行、研究所のエコノミストの説明だけである。疑問に思うのは彼らが中立性を持って発言をしているのか、である。確かに、学者とて、主観が入り込む余地がある。だが意見の独立性は大きいだろう。何かがあるのか、と訝(いぶか)しくなる。日本にも立派な学者がいるだろうに。それとも、彼ら学者自身が避けているのか。あの、ニューヨークでの公園で行われた抗議デモでは、共に参加していた、著名なスティグリッツさんという経済学者がインタビューに応じていた。日本の経済学者にもどんどん持論をぶちかましてもらいたいものだが。ともかくも皆さん、メディアが全て正しいことを主張しているとは限らないことは肝に銘じておきましょう。ちょっと、論題を外れましたが。

12.Ask not what your country can do for you. Ask what you can do for your country.

本行、タイトルの一節はジョン・フィッツジェラルド・ケネディが行った大統領就任演説の中にある有名(もう今は一部の人だけだろう)な箇所である。格調高く訳せば、「汝らの国家が汝らのために、何を成し得るのかを問いたもうなかれ。汝らが国家のために何を成し得るのかを問われよ。」となろう。
現在の日本財政の状況は、第二次大戦下にあった財政と同様な状況にあるという。当時とは経済の規模が全く異なるので、当時が火の車状況だから今もそうだという命題は当然、成り立ちまい。第二次大戦下では、戦争を遂行するという状況の中で戦費を調達しなければならない。ゆえに、莫大な財政赤字が生じたことは想像に難くない。僕が問題にしたいのは、なぜ、平時の日本でこれほどの財政赤字がでてきたのかということだ。理由は色々あろう。そのようなことについて、ごたごた題目を並べて喧伝する気は毛頭ない。多くの日本人がようやくわかってきた(ぼくの願望も入る)のは、財政規律がいかに正しく守られるかである。さらに、ケインズ政策(ネットで検索しても正しく説明されてるだろう。不況時に市場に任せていても総(有効)需要の増大が見込まれないなら、補完的に政府が財政赤字になろうとも積極的に政府支出を行い総(有効)需要の増大を図る。しかし、いざ、景気が回復したあかつきには赤字の補填(ほてん)を行う政策)の正しい運用である。ただ、ケインズ政策は議会制民主主義では有効に機能しない、という批判が1980年代からあり、ケインズ思想が財政赤字の元凶だとやり玉にされた。
過去の大人たちの財政への無関心も一役、赤字拡大にかっていると思う。我々、現役労働世代は、はっきりと意思表示をせねばならないし、財政への厳しい目を持たなくてはいけない。消費税増税の方策を認めるにしても、増税により正しく財政が運用されているか、注視が必要だろう。。我々の国民として保持されるべき姿勢は、正しく、ケネディが言った「汝らが国家のために何を成し得るのかを問われよ。」であり、お前たちにできるのか?と突きつけられているのである。

11.人生が二度あれば

母は今年で79歳になる。父は63歳で亡くなった。どこの母親もかわりないだろうが、母は一所懸命、自分のために、僕らのために、働いてきた。養殖真珠貝の表面を削る仕事、土木作業、そして旅館業。毎晩のごとく、中断して、風呂も 入ることなく、夜中の1時、2時まで皿を洗っていた。そして、父が釣り船で出港する時間前に起きて父の弁当やお客さんの弁当を作っていた。背は、いつのまにか縮み、腰が曲がり、背骨の湾曲により、歩くことも億劫となっている。そんな母と二人でこたつで向き合って座り、テレビを見る。「『嵐』の桜井君を最近見ないのう」とちょっとユーモラスな母でもある。そんな時、ある歌の一節が浮かぶ。「人生が二度あれば...。」井上陽水氏が作ったものである。小学校時代に聞いた歌だが、その時はピンとこなかった。父も母もまだ、十分、若かったからであろう。だが、今は。「あなたに、人生が二度あれば...」母に感謝。そして、言う機会を失した、亡くなった父にも感謝。

10.I want my respect

大学ではE.S.S.に所属し、一回生は秋に英語劇を行うことが決まりとなっていた。題材はマリリン・モンローの最初?の夫であったアーサー・ミラー著"A view from the bridge"『橋からの眺め』であった。僕が主役を演じたが、セリフが181あったと思う。内容は2人の不法移民をエディー家が匿うことになる。やがて、不法移民者のひとりである若者が、エディーとその妻ベアトリスとの間のひとり娘と恋仲に落ちる。エディーはそれを良しとせず、結局、移民管理局へ通報してしまう。それを知った妻ベアトリスはエディーに問う。What do you want?(何が欲しいの?)エディーは言う。I want my respect! (尊敬[威厳]が欲しいんだ。)何故かわからないが、僕の心にこの時のセリフが残ってるんだ。僕が結婚してて、子供がいたら、そう思うことがあったのかも。内容は記憶が薄れて、不正確かも。お許しくだされ。

9.甥・姪

僕は中学1年生でおじさんとなりました。末弟でしたから、彼らの親も喜んだでしょうが、僕には弟や妹ができた気がして、本当にうれしかったですね。彼らが成長するにつれて、色々、欲しい物が出てくると思い、小遣いをあげました。甘やかせちゃいけないと思いましたが、自分の過去を考えたらあげずにはいられなかったですね。僕の家庭はおこずかい制というものがなかったんですが、くれても月100円ぐらいでしたから。正月のお年玉を初めてもらったのが、大学に入って、お婆さんからでした。だから、小・中学生のころ友達がお年玉で貯金をしていると聞いたとき、驚きました。「お前いくらもらってる?」と聞かれるのが怖くて、そのときばかりはお年玉の話題の中に入らないようにしてました。今は甥・姪みんなが、結婚して家庭を築いています。親もそうですが、僕にとっても甥や姪は幾つになってもかわいいもんです。

8.パキスタン自爆テロ

また今日(2月17日)テロの報道。一体、イスラム教って何なのでしょう。うんざりしますね。いいかげんに止めろって言いたくなる。そんな事ばっかりやってるから国は発展しません。国民も裕福になれない。資源(ここで言う資源は天然資源だけでなく、経済活動で利用できる資源、労働力・資本・技術等々も含む)は有限です。もし仮にほとんどの資源を軍事に、日本が費やしていたら、経済大国にはならなかったはずです。北朝鮮のように特権階級だけが跋扈(ばっこ)して、一般国民の生活水準は向上していなかったでしょう。テロが頻発すれば、海外からの資本は来ず、治安へと資源は振り向けられ、富裕層の海外への脱出が増え、 雇用も増えず、ますます経済的飛躍の条件に到達することもできず、トートロジー(同義反復)的な状況を繰り返してしまう。一体、彼らはどうしたいのだろう。まずは、自国の足元をしっかり根付かせるという発想はないのだろうか。武器は欧米で開発され、進化(あまり人殺しの武器には用いたくないが)してきたもんでしょ。人の作ったもんで殺戮するなんて。だいたい宗教って人が作りしもの。スンニ派、シーア派って派閥が何なのよ。まっ、要は宗派差別があるってことだろうけど、同じ宗教で殺しあうな。それこそ、神に対しての冒涜だ。

7.理想的な監督・体罰

僕は中学生のころ、野球部員であり、国語教師の秦(はた)先生が監督であった。中2まで教えられた。中1のころ、3年生は県内有数の実力を誇る猛者ばかりだった。秦先生が赴任して以降、急激に部員が力をつけ、我、中学に名声をもたらした。練習において、こずいたり、叩いたり、罵声を浴びせることはなかった。身振り、手振りで丁寧に指導された。今、思うと先生は生徒をよく観察しておられたのではないか。一つのエピソードがある。僕はあまり野球が上手くなく、レギュラーには選ばれないと思っていたが、中二の秋の南郡の新人戦に出場することになった。予想通り、僕はエラーをした。僕がエラーを繰り返しても、あれよあれよと勝利し見事優勝に輝いた。後輩からも、同級生からも、「山本先輩、山本がエラーすると必ず勝つな~。今度の県の新人戦もエラーしたら優勝するかも。」そして、県の新人戦で僕は、一つもエラーをせず、しかも、打点を全て自分がたたき出すという大活躍を見せたのだ。しかし、負けてしまった。それから数日後、練習中、秦監督がライト外野の芝生の上に、エンジンを組ませて座らせた。開口一番『みんな、山本を見ろ。試合ではエラーをしてしまうが練習を真面目にやっている。だから、俺は山本を使うんだ。』みんな、シーンとしていた。おそらく、このとき、部員の練習態度に熱気が入っておらず、僕を喩えとして引き合いに出したのであろう。こうして書くだけで、涙が出てくるが.....。秦先生は実に理想的な監督であったと思う。先輩方の残したすばらしい実績に固執せず、今、やっている部員のベストを引き出そうとした。ここでは、中学の話で高校とは趣が異なるが、やはり監督は選手をよく観察することが大切だと思う。監督の人格で練習内容も、指導内容も変わってくる。選手としては体調や精神的な心の波で練習への熱の入り方も日々違ってくる。そうした中で平手打ちを食らわしたり、足蹴りにしたりすることが、タイミングとして良いものか判断はできまい。そういう観点からすると、スポーツの体罰は極力、避けるべきだというのが、僕の結論である。ちなみに、高校でも野球部であった。

6.青 春

浜木綿がある、海岸沿いの道を君と二人で歩いたことを覚えていますか。電話で2時間近く話したことを覚えていますか。合格祈願のお守りをくれたことを覚えていますか。記憶が薄れつつも、君との時間は死ぬまで忘れないでしょう。僕が帰ってきたこと、ここにいること、今も独り身であること、それには何か意味があって、運命であって、宿命であって...。再び君の笑顔に遠くからでも触れることができたら、生きている価値を再度、見出すことができるでしょう。だから幸せを感じていて欲しい。僕はここにいます。

5.サラリーマンの賞与にかかる保険料控除計算

奥様方にとって、ご主人のボーナスの控除が多いのにびっくりするだろう。賞与控除は人事部門の仕事である。僕は経理だが、その業務も遂行している。大企業のボーナスは平社員でも相当、高額なので控除分がハンパない。僕自身は28・9歳で年間120万は額面で超えていただろう。都市銀行では200万円はもらっていたはずだ。旧富士銀行にいた先輩に聞いたことがある。20年ちょっと前の話だが。大企業は全てサーバーでの演算にしているだろうが、原始データの入力は人間が行っているわけで、ちょっとしたミスというヒューマンエラーや、バグによる計算違いも起きうるかもしれない。まっ、もちろん、何らかのフェイルセーフ・システムがとられているだろうが。自分たちで確認するのも良いだろう。
計算はいたって簡単。知っておくべきことは

ただ、①は40歳以上で介護保険料率がかかるので注意。③で労災保険料率と混同しないこと。労災は現状、事業者側の全額負担になっているので雇用される者には関係がない。
控除額計算方法 
額面支給額---㋐に1,000円未満があれば、切り捨てる。それを標準賞与額---㋑という。控除額=㋑×1/2×①+㋑×1/2×②+㋐×③ 雇用保険料は支給額にかかる。1/2は労使折半を意味する。

 

4.数学(楽)

もう、今は肩肘をはらず数学書を読んでいる。高校1年での初めて受けた全国模試の結果を今でも覚えている。200満点中38点。偏差値も38。予想はしていたが、いやはや、茫然自失。1年生の確か2次不等式を学習していた2学期後半、いてもたってもいられず、意を決していざ職員室へ。小城(こしろ)先生に「先生、すいません。授業がよくわからないんです。」というと、顔を下にうなだれた後、非常に困った様子で「本当に、わからんのか。お前がか?」先生は「う~ん。」この後はどうなったか、明確に記憶にはないが、困惑の表情を浮かべてはいるが、苦笑いの先生の顔ははっきりと覚えている。また、野球部の監督であった大塚先生は休日でも僕の家庭教師役をかって出て、教えてくれたこともあったが、結局、それほどの効果があがらなかった。いずれにせよ、両先生を責めるつもりは無いし、むしろ、悪いことをしてしまったと考えている。あの時、僕は結局はベストを尽くさず、早くできるようになりたい、という近道を焦って探していたのかもしれない。現役合格には手遅れであったが一本の光が差す。3年生のとき、三角関数の合成関数の授業中、数学の池田先生が、冨高政治君を指して、これをやってみろという。政治君はにやにやしながら、煮え切らないふうな受け答えをしていた。その時である。先生が「わからんでもいいから、よく考えてみ。」僕は、ハッとした。わからん、わからん言いながら、よく考えていただろうか?わからないことを言い訳にしていないか。現役合格の夢は果たせなかったが、その意識がのちのち報われる。予備校にはいけず、行くにしてもバスで3時間もかかる。僕が40km離れた、市内にある進学校にいかず、地元の町の高校を選んだのは父の財布を考えたからであった。そのため、父の予備校には行かせないという判断に逆らわなかった。自宅浪人を選んだが、教材のお金をだしてもらえず、どうしようかと思っていたところ、町営グラウンドの整備工事のアルバイトがあり、高校卒業後1カ月間はバイトが中心になった。もらったお金で福武書店(現在のベネッセ)の進研ゼミの数学講座を受け始めた。最初の頃はどうしても解けず、涙を流す日々だった。しかし、6月のころ、机に向かって、確かベクトル解析の添削問題をやっていたのだが、やっぱり解けず、布団の上でタバコ(もちろん、両親には内緒)をふかしていたら、突然、頭の中で光が出た感じがして、「そうだ、そうだ、こう考えたらいいじゃないか。」もう夢中で解き、解き終えたとき、これはもしや満点じゃないか。結果、もちろん満点。全国の番付が出るのだが、100点で自分の名前がカタカナで書いてあった。偏差値64!!!飛び上がった。もう、それからというもの、涙はどこかに行ってしまい、難しい問題があって、解けなくてもへこたれなくなった。毎日5教科7科目16時間以上、今から考えるとよくやったものだ。
現在はMathematical Methods and Models for Economistsを読んでいる(というか挑戦っぽい)が,著者はPreface and Acknowledgementsの中でこう書いている。
Although the investment does eventually pay off in many ways, the learning process can be quite painful. I know because I have been there. I remember the long nights spent puzzling over the mysteries of the Hamiltonian, the frustration of not understanding a single one of the papers in my second macroeconomics reading list, the culture shock that came with the transition from the undergraduate textbooks, with their familiar diagrams and intuitive explanations, into Debreu's Theory of Value, and my despair before the terse and incredibly dry prose of the mathematics texts where I sought enlightenment about the arcane properties of contractions.
(私訳)数学を勉強することに手間暇かけることは、本当に、様々な点で事実、報われるけれども、その学習過程はかなり苦痛になり得る。自分が今でもそうなのだから(その事実を、よく)わかる。今でも思い出すのはハミルトン関数(経済学だと行列が正解か)のミステリアスさを困惑しながら費やした長い夜の日々、補助教材であるマクロ経済学の参照にある論文の一本も理解できなかった鬱憤、見慣れた図表と直観的な説明が載っている学部学生用テキストからドブリュー著「価値の理論」へと変わったときに受けた衝撃、難解な縮約の性質について明解さを求めた数学書の簡潔で信じがたいほど血の通っていない文章を目にした時の絶望感である。(訳了)

僕にとっては難解なこの本を書いた人でさえ、今も数学に苦痛を感じているとは驚きさえある。やっぱり、There is no royal road to learning. 学問に王道なし、か。さて、上述で冨高政治君と書いたが、同級生で既に、この世にいない。彼を偲んで名前を出させて頂いた。合掌

3.大学とは

大学を卒業して25年が経とうとしている。父親から県内の国立大学だけを志望しろと言われ、ある地方大学の経済学部に入学した。僕自身はどこの大学であろうと学ぶ場所に変わりはないし、大学を一流にするも、二流にするも自分自身であると考えていた。経済学部では数学が必要だと考え、高校では学習はしなかった理系専攻者が学ぶ数学Ⅲを入学前、事前に独習した。それほど意気揚々としていた。しかし、入って初めて大学の実態を知ることになる。経済学部生の大部分を占める進学校出身の連中の意識が低レベルであった。地方大学に来るのは当然、成績下部の者が入ってくるので、学問に対する高揚感も持てず、自分の可能性も見下している連中であった。そういう者が入ってくると大学教授たちも当然のごとく、講義レベルを下げざるを得なくなる。例えば、入試で数学科目が選択制になっていたかもしれないが、用いられたテキストが社会人がレビューに用いるような20年前に発行された単行本だったのである。さらに、数学もわずかフレッシュマン(一年生)のときでしかなかった。初歩の微分方程式、線形代数、数Ⅲを独習していた者に満足できるわけがない。図書館で見つけた数学の洋書のアメリカ人の著者はsummer seminarで数学を学んだとあった。確か自分の大学にも夏期ゼミがあったが数学はなかった。真剣に経済学を学ぼうとする者を考慮したカリキュラム構成になってはいなかったのである。その数学教授に2回生時、質問に行ったら相手にしてくれなかった。どうせ低レベルの質問とでも思ったのだろう。だが、もちろん真摯に対応してくれた計量経済学の教授もいたことは事実だが。結局はヤル気のない学生ばかりしかいない大学が大学の名を名乗る資格があろうか?学生も卒業証書を就職へのパスポートとしか考えていない。3回生時に演習という一人の教授につくのだが、これもひどかった。誰ひとり予習をしてくるわけでもなく、議論も生まれるはずもない。『雇用・利子及び貨幣の一般理論』で有名なジョン・メイナード・ケインズは、その著書の中でこういっている。「経済学を一人で考えることほど馬鹿げたことはない。」経済学は歴史的にみて、多様な人々が関わって社会科学の名誉ある地位を勝ち得た。社会科学の中でノーベル賞は経済学しかない。弁護士、教授、神学者、企業家等々あらゆる市井の人々が経済学を論じて、経済学の今がある。議論を通じて経済学は突き進んでゆく。議論の場がない大学の経済学部に何の価値があるというのだろうか。正直者が馬鹿をみる社会が、最高学府たる大学に現実に存在した、いや、今も存在しているだろう。大学の第一義的レゾン・デートル(存在理由)は「学び、議論すること」にある。昔から言われているが日本の大学は入るのが難しく、出るのが容易い。一方、アメリカの大学は入学はしやすいが卒業が難しいと。アメリカ式が社会を高く意識していると思う。つまり、社会に対して恥ずべきない学生を送り出すと。
今でも思うが、僕は〇〇大学に行ったわけではなく、あくまでも僕は大学に行ったつもりである。ゆえに、OB,OGで構成される同窓会より大学への寄付の通知が時折あるが、一切、無視している。
相当に怨念じみたように書き綴ってきたが、確かに、上述した計量経済学の教授や、僕らが大学院を目指すために、ケインズ一般理論の原書を一緒になって輪読される時間を作ってくれた経済地理学の助教授もいらした。それら先生方には本当に感謝している。

2.経 理


僕自身は経理における資格を何も持ってはいない。住友金属鉱山での工場経理を凡そ2年半、本社でのスタッフ業務(住鉱では査業と呼んでいた)を凡そ4年というぐらいの経験しか持ち合わせていない。しかし、当然、法人税法、会計書、原価計算、経済性工学等々の本は読んで裏では勉強していた。だが、基本的な意識の部分で在学中、会計学教授の講義でこれだけ押さえておけば、後々に役立つというものをおっしゃっていたことが有用となった。聞けば単純なことなのだ。経理取引をすごく大まかに分解すれば、以下の通りになるだろう。

  1. 資産の増加=負債の減少
  2. 資産の減少=負債の増加
  3. 資産の増加=負債の増加
  4. 資産の減少=費用の増加
  5. 資産の増加=収益の増加
  6. 資産の減少=収益の減少

等々。あとはどういった科目が借方・貸方にくるのかを意識してやれば、初心者でも数か月の実務経験でバリバリやれる。
余談になるが4年前に税務調査で税務署員と税理士との間ででこんなやりとりを傍らで仕事をしながら聴いていた。
税務署員が「期末商品棚卸額は期末に送った商品を含んでますか、含んでいませんか。」と税理士に聞いてきた。このことが、どのようなことを意味するのか?重要なことは、商品を棚卸(在庫)に多く計上することは原価の流れを少なくすること、つまり利益を多く計上することであり、棚卸を少なくすることは、原価を過大評価し利益を過小評価することにつながることである(もちろん期間に対応した売上との兼ね合いもあるが。)。税務署のスタンスは、毎決算期間に適切な利益計上をしてもらうことである。この場合、決算期間末に出荷した商品は会社の期末有高に含めるべきであったので、正答は「含めています。」となる。ところが、実際は含めておらず、当該商品分を期末売上にしていればよかったのだが。実際問題としては悪質ではないということで、今後、適切な会計処理を行う約束をし事無きを得た。

また、他会社でこういう事例があった。会社が事業所がある住民との良好な関係を保つということで、公民館にダンマク(舞台にとりつけるもの)を寄付した。税務調査が入り、寄付金で処理していたが、査察官よりこれは寄付金ではないと言われた。国税局は寄付金ではなく、広告宣伝費にあたるというのだ。何故か?それは幕に会社名が刺繍されていたからである。寄付金は一括、損金処理できるが、広告宣伝費は不確かだが、7年間での定額償却でなければならない。結局、国税局に従い修正申告を行った。

経理は何も毎日デスクにしがみついて帳簿をつけているわけではない。やはり、動き回るのが好きで、観察力が優れていることが求められる。特に工場はそうである。工場全体の設備を把握しなければならない。全てを固定資産台帳に記載し、減価償却を計算し、あるいは償却計算をストップし、あるいは除却を実行しなければならない。それに原価計算を行うには製造工程を正確に把握しておくような、ある種、空間認識力のようなものが要求される(新入社員時、指導員に工程を理解していないとヘルメットの上から叩かれたこともあったな)。また経理に必要とされる能力として各部門との調整能力が必要である。各部門との協力が不可欠な場合もあるからである。もちろん、現代社会ではPCをある程度、駆使できなければならない。

さらに、大企業では経理に関する社内規定があり、それに応じた経理処理が求められ身勝手な判断はできない。企業会計原則のひとつである『継続性の原則』に反することになるからである。話が変わるが、過去、ライブドア事件で決算短信で数字を操作した事例がでたが、言語道断だ。経理は単に数字を自由自在にマジシャンのごとく操っているわけではない。経理屋としては非常に不愉快な事件であった。

1.論 語

在学時、倫理学の講義で最も強烈に記憶に残る孔子の論語に書かれた一節がある。「学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し。」学んでもそこに思考が伴わなければ、明確に認識したことにはならず、思ったことについて学ぼうとしなければ、独善的になって危険である。この言葉の実行は、なかなか意識して行うことは難しい。僕は常に忘れないよう心がけているが。思考は大事だが、その思考に学ぶ態度が無ければ片手落ちなのである。やたら評論ぶっている輩が多くいるが、それではと、何か論じている事実に関連するような質問をし答えられるかどうか、してみれば彼、彼女の本質が見えるかもしれない。
主観として思うようなことがあれば、実際に調べてみる姿勢が必要だろう。主観的分析と客観的分析がcompatibleしていることが大切だ。