所得格差と高校進学率

某メディアで取り上げられた話題で、生活保護を受けている世帯の高校進学率が、ある程度の所得を持ち自立している家庭よりも低く、 そうした状況の中で、ボランティア団体が無料でそういった家庭境遇を余儀なくされている中学生の勉強指導にあたっているという 話題であった。
中学時における学習意欲に与える影響は様々である。低所得層での子供の勉強意欲を削ぐ最大の要因は、 勉強しても親のお金を心配することなく、高校生活を謳歌できるかという不安、将来まだ勉強を続けたい意欲を持つことへの不安や 心配なのではないかと思う。科学的証明があるかわからないが、僕の経験則から判断すると脳内で何ら心配や不安がないという、 束縛感の無さが認識されないと、学習意欲、理解に悪影響があるのではないかと考えている。
低所得により、塾や学習塾にいけないこと、あるいは自由に教材を購入できないことが、進学率を低めていることはないと思う。 中学生になれば、周りの世界は狭いがある程度の自意識をもつ。どういうふうにすれば、理解が深まるか自身で探ろうとするはずである。 僕自身は野球部に所属していた。およそ40年前の中学のクラブ活動は練習時間に何ら制約もなく、監督教師に委ねられていた。 ゆえに、クラブ活動をしない者に比べて、自宅での学習可能時間は当然減った。じゃ、どうするか?授業を真面目に毎日聞くか、 深夜遅くまで他人が寝ている時間に勉強するということである。そして、一つでも得意科目を作ることである。
低所得により、親の関心が教育に向けられない、という要因は関係ないだろう。僕の家庭は完全放任主義であり、通知表も見ず、 模試の成績でさえ関心がなく、仕事の関係上、授業参観も小学校2年生までしかこなかった。それに、勉強や宿題をしなさい、 という一般にはありそうな主張もなかった。親から褒められたいという意識はもちろんあっが、褒められる可能性がなくても 学習意欲を失うことはなかった。親が高所得を保っていたとしても、僕の学習環境はひどかったと思う。旅館のため、 カラオケが鳴るわ、お客のドンチャン騒ぎの音が聞こえるや、であった。
有名高校ではなく、一般の公立高校に行こうと思えば、 本来、真面目に普通に勉強していれば、いけるものである。定員はあるが競争入試であるのは通常だから、所得格差は関係ない。 それに、僕は田舎人だから都市部のように受験競争の現実を肌身で感じる機会もなかった。それでも、なお自分でやれるのである。 田舎人でも社会は全県模試で2回は、およそ2万人中2番であり、最低順位でも11番であった。英語は一年生であれば、誰でも興味を 持ち満点近くとるであろうが、二年生になると定期テストで60点台であった。しかし、これも自省し自力で3年生では全県模試に おいて60点満点で50点以上とれるようになった。
高校入試だけでなく、一般に中学時の勉強は己がいかに自覚して、 日頃の学習をするか、という心構えが大切である。それに、もちろん勉強は楽しいというより、苦痛が大半である。 このことは中学生みんなにほとんど言えることであり、この点について、所得格差などなんの要因にはならない。 むしろ、こういった苦痛にも耐えることも、大人になるための一つの関門なのであるから、甘えさせていては駄目だ。
しかし、最上段の方で言及したように、勉強しても親のお金を心配することなく、高校生活を謳歌できるかという不安、 将来まだ勉強を続けたい意欲を持つことへの不安や心配を払拭するような社会的施策を実行しなければいけないことは確かである。 そして、中学入学時にそういった制度があることを中学生にも理解できるよう事前に知らしめておくべきであろう。 僕が自分の思うまま、壁にぶつかりながらも、勉学に勤しむことができたのは、そのような不安や懸念が一切なかったことが、 やはり大きかったに違いない。


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