数学(楽)

もう、今は肩肘をはらず数学書を読んでいる。高校1年での初めて受けた全国模試の結果を今でも覚えている。200満点中38点。 偏差値も38。予想はしていたが、いやはや、茫然自失。1年生の確か2次不等式を学習していた2学期後半、いてもたってもいられず、 意を決していざ職員室へ。小城(こしろ)先生に「先生、すいません。授業がよくわからないんです。」というと、顔を下にうなだれた 後、非常に困った様子で「本当に、わからんのか。お前がか?」先生は「う~ん。」この後はどうなったか、明確に記憶にはないが、 困惑の表情を浮かべてはいるが、苦笑いの先生の顔ははっきりと覚えている。また、野球部の監督であった大塚先生は休日でも僕の 家庭教師役をかって出て、教えてくれたこともあったが、結局、それほどの効果があがらなかった。いずれにせよ、両先生を責める つもりは無いし、むしろ、悪いことをしてしまったと考えている。あの時、僕は結局はベストを尽くさず、早くできるようになりたい、 という近道を焦って探していたのかもしれない。現役合格には手遅れであったが一本の光が差す。3年生のとき、三角関数の合成関数 の授業中、数学の池田先生が、冨高政治君を指して、これをやってみろという。政治君はにやにやしながら、煮え切らないふうな受け 答えをしていた。その時である。先生が「わからんでもいいから、よく考えてみ。」僕は、ハッとした。わからん、わからん言いなが ら、よく考えていただろうか?わからないことを言い訳にしていないか。現役合格の夢は果たせなかったが、その意識がのちのち報 われる。予備校にはいけず、行くにしてもバスで3時間もかかる。僕が40km離れた、市内にある進学校にいかず、地元の町の高 校を選んだのは父の財布を考えたからであった。そのため、父の予備校には行かせないという判断に逆らわなかった。自宅浪人を選ん だが、教材のお金をだしてもらえず、どうしようかと思っていたところ、町営グラウンドの整備工事のアルバイトがあり、高校卒業後 1カ月間はバイトが中心になった。もらったお金で福武書店(現在のベネッセ)の進研ゼミの数学講座を受け始めた。最初の頃はどうし ても解けず、涙を流す日々だった。しかし、6月のころ、机に向かって、確かベクトル解析の添削問題をやっていたのだが、やっぱり 解けず、布団の上でタバコ(もちろん、両親には内緒)をふかしていたら、突然、頭の中で閃光を感じた直後、 「そうだ、そうだ、こう考えたらいいじゃないか。」もう夢中で解き、解き終えたとき、これはもしや満点じゃないか。 結果、もちろん満点。全国の番付が出るのだが、100点で自分の名前がカタカナで書いてあった。偏差値64!!!飛び上がった。 もう、それからというもの、涙はどこかに行ってしまい、難しい問題があって、解けなくてもへこたれなくなった。毎日5教科7科目 16時間以上、今から考えるとよくやったものだ。
現在はMathematical Methods and Models for Economistsを読んでいる (というか挑戦っぽい)が,著者はPreface and Acknowledgementsの中でこう書いている。
Although the investment does eventually pay off in many ways, the learning process can be quite painful. I know because I have been there. I remember the long nights spent puzzling over the mysteries of the Hamiltonian, the frustration of not understanding a single one of the papers in my second macroeconomics reading list, the culture shock that came with the transition from the undergraduate textbooks, with their familiar diagrams and intuitive explanations, into Debreu's Theory of Value, and my despair before the terse and incredibly dry prose of the mathematics texts where I sought enlightenment about the arcane properties of contractions.
(私訳)数学を勉強することに手間暇かけることは、本当に、様々な点で事実、報われるけれども、その学習過程はかなり苦痛に なり得る。自分が今でもそうなのだから(その事実を、よく)わかる。今でも思い出すのはハミルトン関数(経済学だと行列が正解か) のミステリアスさを困惑しながら費やした長い夜の日々、補助教材であるマクロ経済学の参照にある論文の一本も理解できなかった 鬱憤、見慣れた図表と直観的な説明が載っている学部学生用テキストからドブリュー著「価値の理論」へと変わったときに受けた 衝撃、難解な縮約の性質について明解さを求めた数学書の簡潔で信じがたいほど血の通っていない文章を目にした時の絶望感である。 (訳了)

僕にとっては難解なこの本を書いた人でさえ、今も数学に苦痛を感じているとは驚きさえある。 やっぱり、There is no royal road to learning. 学問に王道なし、か。さて、上述で冨高政治君と書いたが、同級生で既に、 この世にいない。彼を偲んで名前を出させて頂いた。合掌
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