漫画「はだしのゲン」

島根県松江市では、「はだしのゲン」を小学生が自由に読めなくする措置をとったという。その理由は、一部の描写が過激すぎる という意見が寄せられたからである。
僕は小学生のとき、この漫画を読んだことがある。確かに、描写がそう捉えられても しかたない場面はあろう。だが、小学生が読んでマズイと思ったことはない。個々の感受性やイマジネーションによるだろうが、 現実の一つの戦争の悲惨さを作者自らが体験し、漫画を通じて追体験の場を読者に与える、非常に良い手段だと思う。 中学2年の修学旅行で原爆資料館を観たが、誰しもが訪問する機会があるわけではない。原爆の恐ろしさ、戦争の負の側面を認識する 作者が次世代へ遺した叫びである。果たして、聞いただけで小中生にそれだけの想像力が湧くであろうか、疑問である。
ナチスがユダヤ人数百万人を虐殺した。この事実を知って大人でもイマジネーションが湧くであろうか?いや当然、湧くまい。 あの映画、シンドラーのリストで性器もろだしの痩せこけた人々が描かれている。えっ、ここまで描写するかと大人の僕でも思ったが、 これがナチスのやった一部の真の事実だということなのだ、と納得している。漫画であれ、映画であれ、作者の意図にもよるだろうが、 本当の戦争の姿を知るにはリアリティがある程度は必要ではなかろうか。
はだしのゲンが創刊されたのは数十年も前のことである。 僕だけでなくたくさんの少年が読んだであろう。大勢の少年がトラウマになり、社会問題化しただろうか?松江市のような馬鹿な ひどく子供を過敏に保護するような手だてが、ひ弱で精神薄弱な大人を量産化する、あのゆとり教育の弊害と同じようなことと考える。 問題の根本にあるのは、大人が子供に対して眼前と岩のごとく存在する勇気がないことの表れではないだろうか。大人社会が しっかりすれば、かような気使いは全く必要のないことである。
「はだしのゲン」のような悲惨さ、惨めさを敵であろうが、味方であろうが、両者共に容赦なく味わい、味わさせるのが戦争で あることを認識する場は保持しておくべきだ。日本国を破壊しようとする輩には、その覚悟を持って対峙しなくてはならない。


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