写像と関数
関数を習いたての時、一体、何なのだ?という印象を持っていた。結局は完全理解しないまま、あるいはイメージを上手くとれないまま、進んで行ってしまった。
いや、逃げてしまった、受験には関係ないや、とタカをくくったのであろう。
現在、”Real Analysis”という洋書での実数解析なる本を読んでいるが、写像概念や集合概念の確実な基本理解を保持していなければ完読は難しい。
あれから、凡そ50年近く経って理解した写像の基本を自分なりに論じてみようかと思う。凡人には数学はやはりイメージが重要であり、少しでも湧けたら
投稿した甲斐がある。
自身が一定の位置に微動だせず立っていて、背後から時間経過で太陽の明かりが頭上近くから足へと移動するとしよう。身長のずれは考慮しない。
そう考えると、太陽の明かりの照射角度と自身の影の長さが決まってくる。ここでは、物理のことは考えなく、仮想データとする。
太陽がなければ影は存在しない(そもそも我々が存在しない(笑))ので照射角度を定義域として、影の長さを終域とする。照射角度を集合A、影の長さを集合Bとする。そうして、得られた結果が
D = {90°, 60°, 30°}, E ={ 0, 80cm , 120cm}
とし、それぞれが順序よく対応していると考える。
この事例ではDの各原像(各要素[各元])がEの各像(各要素[各元])の全てに対応している。対応自体が写像である。この写像には2つの視点がある。90 → 0 , 60 → 80 , 30 → 120 というようにDの互いに相違なる要素がEの相違なるただ一つの要素への写像となっている。もっと言い換えると、等しくない原像の各像は等しくない。これを単射という。一対一対応とも称し、中への写像とも言われる。中への写像は、こう捉えている。終域集合の範囲を持った面として、その面の一部の領域が、この事例での集合Eに当たる。面の一部と読んであれ? っと思うかもしれないが、単射において終域には像とならない余りの要素が存在しても構わない。像の集合を今まで慣れ親しんだ値域と呼んだ。ここの事例では単射でも、たまたま終域と値域が一致しているだけである。
写像で数を扱うことが関数であり、x∊Dを満たす各々の要素がある方法でEの一つの要素に結合されると考え、それをf(x)と表現する。そのとき f はDからEへの関数と呼ぶ。その事実をf: D → E と示す。そうして、単射を一般的に定義する。集合A = {x | x∊A} , 集合B = {y | y∊B}とすれば、関数はf: A → Bである。このとき、Aを f の定義域、Bを f の終域と呼ぶ。そして集合{ f(x) | x ∊A }を f の値域と称す。
単射の定義 ; f(x\(\tiny_{1}\)) = f(x\(\tiny_{2}\))が x\(\tiny_{1}\) = x\(\tiny_{2}\) を満足するとき関数f: A → Bは単射である。対偶で示せばx\(\tiny_{1}\), x\(\tiny_{2}\) ∊Aにおいて、x\(\tiny_{1}\) ≠ x\(\tiny_{2}\) ならば f(x\(\tiny_{1}\)) ≠ f(x\(\tiny_{2}\))を満足するとき関数は単射である。
最後の視点は全射と呼ばれるものである。接頭辞の「全」は終域に係るものである。終域の全ての元が定義域の全ての元の像になっている。この場合、終域と値域は一致する。全射には終域に余りはない。ここでの例ではそうではないが、終域のひとつの元に定義域の元が2つ以上対応しても構わない。全射は上への写像ともいう。面の例でいえば面を面で上から重ねる、あるいは被せるイメージと捉えている。
全射の定義; 関数f: A → Bにおいて、集合Bの全ての(任意の)元に関して、f(x) = y を満足する、ある元xが存在するとき、その関数は全射である。
ここでの例では、単射かつ全射、即ち、上への一対一写像となっている。そのような写像を保持する関数は逆関数を導出可能であった。そして、関数によっては定義域を制約すると逆関数になるものがあった。定義域や終域の見方で関数の写像方式にどういう違いがでるか、具体的に観察しよう。グラフで示すことが良いことと思われるが、ホームページの容量制約から描写は読み手に任せる。
例1. \(f\)(\(x)\) = \(x^{2} \) この写像は区間で示せば、\(f\) : \(\left( -\infty , \infty \right) \longrightarrow \left[ 0 , \infty \right)\)である。以下の考察する定義域、終域で考えてみる。
\(\bullet\) \(f\) : \(\mathbb{R} \longrightarrow \mathbb{R} \) (注) \(\mathbb{R}\)は実数全体の集合を表す。終域に着目して、余りがある。単射の可能性があるが (-1 , 1) , (1 , 1)であるから、単射でも全射でもない。
\(\bullet\) \(f\) : \(\mathbb{R} \longrightarrow \left[ 0 , \infty \right) \) 終域に着目して、余りが無い。ゆえに全射である。しかし、上述のように単射ではない。
\(\bullet\) \(f\) : \(\left[ 0 , \infty \right) \longrightarrow \mathbb{R} \) 終域に着目して余りがある。そして定義域の元が終域のすべて異なる元にひとつづつ対応しているので単射である。ゆえに、単射であるが全射ではない。
\(\bullet\) \(f\) : \(\left[ 0 , \infty \right) \longrightarrow \left[ 0 , \infty \right)\) 終域に余りが無い。ゆえに全射。直上の例から単射でもある。したがって全単射(上への一対一写像)である。このとき、与関数は逆関数が考えられた。
余談だが、無限集合の議論で濃度という概念がある。濃度は集合の元の個数で考える。集合\(A\)の濃度は|\(A\)|で表現する。これまでの議論から、単射であれば、定義に用いた集合で表せば、\(|A| \le |B|\)が成り立ち、全射であれば、\(|A| \ge |B|\)が成り立ち、上への一対一写像ということは、\(|A| = |B|\)が成り立つことが理解できよう。