John Maynard Keynes 1

一般理論出版以前のケインズの貨幣論
A Tract on Monetary Reformにおいて、安定的な物価水準を持続するために、貨幣当局が介入することを主張した。 ケインズにとって、物価上昇(インフレーション)や物価の下落(デフレーション)は経済に非常に大きな痛手を与えていたことから、 介入が非常に重要な案件であった。ケインズによれば、 「インフレーションは不公正でデフレーションは不適切だ。 中略 今日の個人主義的な(自由主義に偏った;介入が妥当というケインズの思惑に鑑みて) 資本主義は安定的な価値を測る尺を暗黙に前提としている。当然、その尺度が存在しなければ、 その資本主義は効率的にはなり得ないし、恐らくは存続し得ない。」A Tract on Monetary Reform より抜粋私訳
当時、ケインズは為替政策は物価安定を脅かしているようにあると著わしていた。というのも、イングランド銀行の目標は他国の通貨、 例えば、ドルのような通貨に対してスターリング(英国貨)の固定価値を維持しようとしていたことが理由に挙げられる。 戦争以前、多くの発展諸国(1920年代なので、限られる国々だが)が金本位制度を通じて、固定為替を運用していた。 金本位制とは19世紀に展開された通貨制度である。各国は金に応じて、ある通貨価値に固定した。 勿論、各国のそれぞれの通貨価値をそれぞれの他国の通貨価値に固定していた。 この制度の下、1ポンドは4.86ドルに 固定していた。金本位制は戦時中に機能を失った。しかし、各国政府は金本位システムの復活を切望し、その方向性への一歩として、 各国通貨を懸命に安定化しようと努めていた。ケインズは賛同しなかった。なぜならば、固定為替レートの下では、 各国の輸出入の如何なる不均衡も固定為替レートの動きでは修正調整できなかったからである。この調整を肩代わりしたのが、 インフレーションやデフレーションを通じての国内物価水準の変化であった。具体的に見てみよう。
今、イギリスのみがアメリカと貿易し、イギリスがアメリカよりも(価値基準で)多く購入するとする。 前提から、アメリカとのイギリスにおける収支バランスは赤字である。通貨市場では、スターリングの供給は需要を超過する。 イギリスはアメリカで作られた製品を購入するためには、スターリングを支払って(供給して)、ドルを購入(需要)し、 ドルで支払わなければならない。他方、アメリカはドルを支払って(供給して)、スターリングを購入(需要)し スターリングを支払わなければならない。イギリスの収支が赤字であるから、スターリングでみた貿易価値では、 イギリスのスターリングの支払いが、スターリングの受取りを超過している。 即ち、スターリングの通貨市場では供給が需要を超過する事態となる。そうして、需要・供給法則が教えるように、 スターリングの価格(価値)は(ドルに対して)下落する。例えば、1ポンドが4.86ドルから3.5ドルの価値になるだろう。 このポンドのドル価値の下落はアメリカでのイギリスの財をもっと安くさせ、他方、イギリスでのアメリカでの財はもっと高価に なっているだろう。取引コストがかからないと仮定すれば、アメリカでは輸入業者はイギリス財を国内でドルで販売するわけであるから、 1ポンド価格の商品は4.86(ドル/ポンド)から3.5ドルへと安くなる。イギリスでは、業者がアメリカ財1ドルの商品を ポンドで販売するわけであるから、価格は1/4.86(ポンド/ドル)から1/3.5へと販売価格が上昇する。 そうして、他の事情を一定にして、3.5ドル/ポンド以下でのあるレートでイギリス財の価格下落によりアメリカ国内の イギリス財への需要が増加するならば、アメリカのイギリス財への購入量(輸入量)が増えスターリングの需要が増加する。 一方、イギリス国内での1/3.5ポンド以上でのあるレートでのアメリカ財の価格高騰がイギリスでのアメリカ財への 需要減少となり、イギリスではアメリカ財の購入量(輸入量)が減退し、支払減少であるから、 ドル需要減少に繋がりスターリングの供給が減少する。すなわち、スターリングの超過需要になり、 スターリングのドル価値が再び上昇するだろう。これは輸出入価値の均等化をもたらす傾向となる。 かようにして、柔軟つまり変動する為替レートが機能する。
しかし、これは金融当局が思い描いた世界ではなかった。 彼らは、固定のままの為替レートに固執したのである。これが機能するためには、アメリカ国内でのイギリス財の需要増、 イギリスのアメリカ財の需要減しかない。前者ではイギリス財の価格が安くなり、後者ではアメリカ財の価格が高くなることである。 固定為替レートであるから、変動制理論のそれではない。その帰結はイギリス国内の物価下落とアメリカ国内の物価上昇である。
その帰結の背後にあるのが、貨幣数量説のMV≡ PYである。Mが貨幣供給、Vが回転速度、Pが物価水準、Yが実質産出量である。 ここで、考慮された変数はMとPである。Pの変動はMに規定されるとみていた。金本位制であるから、 イギリスの貿易収支の赤字は金(Gold)のアメリカへの流出であり、逆にアメリカは流入である。 金本位制により金量が貨幣供給量の決定要因であるからM↓↑ → P↓↑という同方向の因果で捉えていた。 これにより、イギリス国内の物価水準は下落、すなわち、デフレーションになり、アメリカはインフレーションになる。 こうして、両国内での貿易財価格の調整で収支は均衡へと向かうであろう。 イギリスはデフレーションを経験することになり、 ケインズが回避したかったのは、まさに、この固定為替レートによるデフレーションであった。 当時、現実にアメリカとの収支バランスの赤字を被っていた。彼の解決策は固定されていたポンドの価値を下落させることであった。 経済的繁栄にダメージを与え、失業をもたらすように経済を摩耗させるような意図はしていなかった。 当然、経済のデフレーションは長期において物価を減少させ、均衡を回復するだろう。 しかし、彼のもっとも有名な言及の中の一つで、こう説いている。 「長期という言葉は、現状の問題に対して誤った解釈の指針である。長期において、我々は皆、死んでいる。」 "the long run is a misleading guide to current affairs. In the long run we are all dead." 従って、戦時中に展開していた管理変動為替レートをイギリスが保持し、レート固定の金本位制に戻る尽力をするべきではないと 主張した。1925年にチャーチルが4.86ドルという戦前のレートで金本位制に復帰するとした決定に彼が論駁したのは、 彼のこの金本位制に対する敵意であった。このレートは過剰評価であり、イギリスは自国経済に損失を与えるデフレのさらなる 段階に突入せざるを得ないと力説したのであった。
経済学を専攻していない者はケインズの思想・政策についてあまり知られてはいないだろう。彼の著書「雇用・利子及び貨幣の 一般理論」は既に古典になっているが、総需要管理政策理論の支柱を築いた学者である。のちに、彼の考えた理論を紹介したい と考えている。


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