先物市場と資本主義[2011.12.1 Facebookノート転載]

昨今、原油及び穀物市場において、投機資金の流入による価格の高騰が続いている。 経済学を日々考える者としては果たして、そういった先物市場が資本主義にそぐうものなのか疑念を感じざるを得ない。 僕はミクロ経済学を深く勉強したことはないので、そのように感じてしまうのだろうか。 かの有名な数学者フォン・ノイマンは「経済学者は現実をみていない。」と述べていたそうだ。
先物市場が創設された理由はいろいろとあるだろうが、第一義的には、『価格の平準化機能を果たす』ためであろう。 投機家は価格が低い時に安く購入し、価格が高い時に売却をして利益をあげる、つまり、低い価格を押し上げ、 高い価格を押し下げるという価格平準の機能である。現実の原油・穀物の先物市場は、実体経済の攪乱としかとらえられないと 感じるのが一般的ではなかろうか。
投機が攪乱的という主張に対して、経済学者のミルトン・フリードマンはこう反論している。 「投機は一般に攪乱的であると主張している人々は、投機家が損をすると主張しているのである。なぜなら、 投機が攪乱的というのは、全体として投機家が通貨の安いときに売り、高いときに買う場合に限られるからである。」
彼は実体経済に及ぼす要因は貨幣が重要と考えているゆえに、結局は先物取引における投機では、それほど貨幣的要因が見当たらず、 実体経済への影響は何らないと考えているか、それと、市場のクリアリングの速さを念頭に おいているかもしれない。(極端な私見であるが。)
確かに、経済学的かつ数学的に先物市場において(長期的には) 価格が平準化されることは証明されている。しかし、それも情報の完全予見等の仮定があっての話である。
資本主義の基本は需要・供給の世界である。基本となる市場の世界は同質・同等の市場参加者が多数集合した世界である。 通常の財の現物市場では、生産者側は需給で決定される価格をシグナルとして、日々、企業努力を行い、マーケットの厚い信頼の 持続を勝ち取ろうと奮闘している。いわば、『汗の見える世界』である。その世界が現在、在る資本主義を形づくってきた。 これこそが資本主義の原動力のひとつであることは明白である。
現状の先物市場では、豊富な資金力を備えた投機家が 市場支配力、市場決定力を持ち合わせているのは確かであろう。基本となる市場観とは、もうすでに相当、かけ離れていることは 間違いなかろう。投機的行動に関しては恐らく、様々な論文が発表されてはいるだろう。
全ての先物市場が「価格の平準化」に 寄与していない、とは私は言っていない。しかし、明らかに実体経済に悪影響を及ぼす様な制度・システムを資本主義経済に組み込む ことは、極論すれば現世界の社会そのものを破壊しかねないと考える。原油市場が乱高下を繰り返すのを見て 「あ~、価格の平準化だ。」とつぶやいてみても、結局のところ、誰にも、原油がいつ枯渇するのかさえ予想できない不透明な部分が あるゆえに良かれ、悪しかれ意味をもっていることしか考えようがない。
資本主義の原理・原則をもう一度見直し、 「何をなすべきか」、「何をなさざるべきか」明確にする必要がある。資本主義において不要なテコは捨てることも、我々、 人間の知恵であり、勇気でもある。不要なテコにより、さらなる資本主義経済の変動が大きくなれば、実体経済に対する 攪乱は不可避であろう。
 参考文献 館 龍一郎 著 「金融政策の理論」


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