英語

英語をやり始めて、影響が大きかったのはカレン・カーペンターさんである。あの癒される、美しい発音。僕も彼女みたいな美しい 英語を発音できるようになろう、と考えた。中1ぐらいは興味津々で頑張るけど、中2ぐらいから楽しいはずの英語が、あのドライな 授業法で理解度も落ちてゆき、単語も頭に入らない。定期テストも60点台だった。これじゃ、始めに掲げた目標も達成できないという 危機感から、ある日、姉が高校で使用していた英語文法書を読んでみた。その中に日々、疑問に感じていたことの解答が書かれていたし、 こうじゃないか、という自分の考えが正しいことも確認できた。それからというもの単語を記憶することが億劫ではなくなった。 高校は進学校ではなかったこともあり、中だるみしたが、進研ゼミをやっていたことは良かった。 別に進研ゼミを広告するわけじゃないが、とにかく、赤文字で書かれた文章に暖かさがあった。 問題に小説が出ていたと記憶するが、それを読んで、著者の何がしかを80文字ぐらいで要約せよ、との問題があった。 恐らく、レベル的に東大クラスの問題だったろう。添削課題は辞書や他の書を見ても構わなかった。 しかし、各単語がわかったところで、文としてのつながりで文意が決まってゆくのだから、そうそう単純な問題じゃない。 英文に対しては同じ人間が書いてる文だから、日本の小説のように読み込んで、読み込んでやれば、きっと答えが浮かぶ、 そう、「読書百篇、意、自ずから通ず。」という信念があった。その問題ひとつ10時間以上、格闘した。添削が帰ってきて、 その問題部分を見ると、「よく考えられ、練られた解答になってます。相当に問題文を読みこんだんでしょう。」と、 ねぎらいの言葉とともに、5重〇をしていてくれた。そういうこともあって、自宅浪人中まで続けられた。 今も英語をやっているのは、高校3年生時、金谷(かなや)先生との出会いが大きい。先生は早稲田大商学部をご卒業後、 脱サラ(アフラックで有名なアメリカン・ファミリー生命?)して、ハワイ大を出て英語教師になった方で、 とてもユニークなちょっと小柄な先生だった。僕の英語に興味を持ち、先生が高文連主催の英語スピーチ大会に出てみないか、 と勧めてきたのである。いっちょ、やってみるかとの思いで出場したが、入賞もできなかった。でも良い経験をさせてもらった。 その大会でひとつエピソードがある。大会終了後、車イスで出場した女子高生がいて、今のようにバリアフリーという状況はなく、 階段でまごついていたのが見えた。その時、僕はただ見ていたのだが、先生が「何を見てるんだ!早く手伝ってあげなさい。」と 怒鳴られてしまった。困っている人を見かけたら、見て見ぬふりはしない、とこのとき決めた。どぎまぎした、ほんとただの 青二才だったな。「先生、いろいろ教えてくれてありがとう。」大学に入学したら、サークルは英語会話研究部に入ろう、 ともう心に決めていた。
英文に慣れようと思ったら、迷わず、まずは自分が興味のある分野の書物を徹底的に精読することが 最も良い、というのが僕の経験則である。
60歳近いが今も英語の記事や洋書は読んでいる。英文に慣れてきたら、英英辞書を利用するべきであろう。それに、今になって痛感 するのは、やはり国語の勉強も大事だということ。小説も多く読んでおいた方が良いだろう。
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