津久見のえびす様 


四浦半島先端の間元港から保戸島を見る



江戸時代、現在の津久見市の南半分は佐伯藩の領域でした。


えびす信仰 (津久見市史)  

 不漁に付き漁祭り 「御用日記」

 安永2年(1773)、村浦近年相衰え年々御年貢米納め下り滞り、且つ又元文五申年以来浦々御年貢米、年賦米滞りに相成り居り申し候処村浦共打ち続き不作、不漁傍に付き必死と困窮に及び上納仕る手段これ無く・・・。
 寛政12年(1800)、村々の力弱く相成り余儀なく他借を以って御年貢に入れ候に付き年々利米過分に払い出し候故、自然と御年貢に差し支え申し候。
 享和2年(1802)浦々の儀当春不漁に付き漁祭りを行うこととなった。津久見地区は鳩浦が当番である。津久見浦から保戸嶋まで四浦中の漁民が鳩浦に集まる。鳩浦と落野浦の両浦の蛭子(えびす)と津久見浦の蛭子を勧請して、橋迫右京という神主と八名の社人が祈祷を勤め、神楽が七番奏された。藩からは酒二挺、もち米八斗、小豆一斗が給された。
橋迫右京という神主が祈祷を勤めたとある。神主の橋迫氏とは佐伯市弥生切畑江良の八坂神社(当時は祇園社あるいは牛頭天王社)の社司橋迫氏ではなかったか。臼坪明神社(五所明神社)社司の橋佐古氏ではなかったと考える(五所明神社は、享保七年に切畑村の橋迫氏から出た橋左古主計が祠官となり播磨守に叙され、以後世襲した)。


    京都祇園の夷社と恵比須信仰
     
    佐伯市弥生江良の八坂神社




  深良津の蛭子像  
    津久見市指定有形文化財   
    指定年月日 平成三年三月五日  

 
深良津のえびす様 

 漁業が盛んなこの四浦半島一帯では「えびす様」の信仰が盛んで豊漁祈願のため浦々の神社や岩陰の祠にえびす様を祀ってきました。
 えびすは、七福神のひとつとして、大黒天とともに財宝を育む神として知られています。もともと「宝船信仰」に由来するものとして七種の財宝を積み上げ、この七福神が乗り込んだものが描かれてきました。宝船も七福神も室町時代の末頃から全国的に広まって行った信仰で、現世的ご利益、防災招福を期待するものであったとされています。因みに「「えびす」は、その代表的な神様として全国的に広まりました。人々の心を引き付けていったのは、きっと財福希求を願う、その表情や姿が、実に親しみやすいことにあったのかも知れません。この一帯では、漁の前後にお参りするほか、「十日えびす」などと呼ばれる大祭が、今なお行われています。
 四浦半島の十二の浦々では、浦ごとに蛭子像が祀られていますが、ほとんどが江戸時代の終わりごろのものと考えられています。その中で、由来がわかるものが、ここ「深良津の蛭子像」です。天満社境内に安置されているこの蛭子像は、今から二百四十年余り前の安永三年(一七七四)五月、佐伯藩第八代藩主毛利高標公(一七五五~一八〇一)の時、当時、親交のあった江戸の柳沢大炊介公から献納された九体の蛭子像のうちの一体とされています。高標公はこの時、「浅海井浦浪太埼、日向泊浦一組、四浦組深良津浦、津久見浦千怒埼、沖松浦浦野崎、羽出浦宇戸崎、米水津浦白浦夷岩楠本と畑野浦の間の堺崎、蒲江浦名護屋崎に安置し、前に祀られていた星竹島の一体と合わせて「十浦蛭子」と呼び、豊漁を祈る地とした。」といいます。
 木像で高さ四十七センチメートルのこの像は、烏帽子に立て襟のついた長衣、指貫袴、釣り竿を持ち、釣り上げた鯛を抱える姿は一般的。ふくよかな顔立ちに笑みを浮かべるその表情、どことなく気品を感じさせます。全般的に保存状態も良好です。
 二百数十年という長い間、豊漁を願う深良津の人たちにより大切に守られてきたこの蛭子像、伝わる祭礼行事とともに「地域のたからもの」として守り継いでいってもらいたいものです。
         所在地 津久見市大字四浦字深良津三〇六七番地
         所有者(管理者) 深良津地区





えべす講 
 えべす様(蛭子・恵美須)は漁業神で、祭日は十日であるが、祭りの日は定まっていない。赤崎の蛭子様は、深良津天満社の境内に移されているが、祭りは正月と九月である。江ノ浦と釜戸(長目半島)のえべす祭りは六月十日、津久見浦では、九月十日に岩戸地区福(市民会館所在地)の蛭子像を遷座して、姥目浜で祭り、相撲大会を催していたが、昭和十四年に中止している。現在は五月十日が祭日である。
 保戸島では、正月・五月・九月の「十日えべす」を盛大に祝っている。この日は各区で会場を借り、酒を持ち寄って祝宴を催す。
 一般には、正月十日を「初えべす」と呼び、網方の家に集まって、漁船に乗る役割を決めていた。当地では、えべす講は漁業従事者の講で、恵美須様は漁をもたらしてくれる福神とされているが、全国的には商売繁盛の神、ところによっては、農作物・山林守護の神霊としても信仰されている。
 ところで、津久見湾岸にはえべす様が多く、17社もあり、そのほとんどは小さな社殿に祭られている。なかでも、四浦地区の深良津天満社境内の蛭子様と岩屋地区福の島の蛭子様は、安永三年(1774)に佐伯藩主が豊漁祈願のために、藩内の浦々に祭らせた10体の蛭子様の内の2体で、兄弟であると言い伝えられている。

大分県の民俗宗教』 小玉洋美 著
1994年6月20日発行 (株)修学社


大字四浦のえびす様 


 
大元のえびす様 


     
落野浦のえびす様    鳩浦のえびす様 

     
荒代のえびす様    刀自ヶ浦のえびす様(ガラス入り) 

 
  久保泊のえびす様(ガラス入り) 


     
  えびす様の鎮座場所から刀自ヶ浦港を見る   

  四浦半島では松ケ浦・間元・高浜でもえびす様を確認しました   



保戸島のえびす様 


     
  江戸時代、大坂の西成(西成えびす社?)から勧請されたという保戸島のえびす様  
   左の石は漁師の網に二度も掛かり、これを奇瑞としてエビス神として祀ったというが、その形状から見て古代船の碇石ではないだろうか?  


大字網代のえびす様 


     
赤崎のえびす様    江の浦のえびす様


   
網代のえびす様 日見区ー天満神社境内末社のえびす様  
     


かつて臼杵藩領だった長目半島もまわってみましたが、佐伯藩領だった四浦半島周辺ほど多様な「えびす像」には巡り合えませんでした。
 津久見市民会館前の蛭子神社は、何度行っても御神体を拝観できません。



 
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浦方の人々と漁業
津久見廻船の活躍







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