海上の航海安全守護を祈願する対象の神の代表的な存在が船霊(フナダマ)であれば、豊漁祈願の対象の神の代表格はエビス(夷・戎・恵比寿)である。船霊は海上運航をするあらゆる船に祀られており、何十万トンという大型タンカーなどにも船長室やブリッジに祀られているというから、現在でも依然として大きな力を持っている神である。それに対してエビスは豊漁を招来すると信じられている神であるから、これはほとんど漁船に限られる。
エビスは日本の民間信仰において、その生業を守護し、富や幸せをもたらすと信じられている神である。語源は明らかではないが、異人を意味するエビス・エミシという言葉と関係があろうと思われる。また正月や十月の二十日をエビス講として都市の商家などで盛大にこの神を祀るし、農村の田の神や山の神をエビス神として信仰している風習も古くからみられるごとく、この信仰は何も漁民の間にかぎってあるものでもない。しかしその信仰の形態の基本的な特徴である異郷から富をもたらすという形などから推して、元来は漁村や漁民の間に発達したものが、しだいに農山村や都市へと展開していったものらしい。
異郷からというのは、海中より出現したり漂着するという考え方が強いことに基づくものである。熊野地方の漁船は寄港して岸に近づくと、まず海神のエビスに対して初魚を献じたというし、熊本県の天草地方や秋田県男鹿半島では、海人が海に潜ろうとするとき、貝などをおこすカネで船端を叩き、エベスサマと唱えてから跳り込むという。隠岐の知夫村の海人は、釣糸を垂れるとき、しきりに「チェッ、エビスエビス」と唾を吐くような声を出す。同じ隠岐福浦では、漁に出て海から上がった石をエビスサンといって神棚に飾る。これが多いと漁が多いといって、殊に西の方の海から上げたものを尊ぶ。
鯨をエビスと呼ぶ地方は広いが、そのほかにもイルカやサメをエビスと呼ぶところもある。また長崎県の壱岐、五島、徳島県の日和佐その他の各地で、水死人を拾うことをオエビスサンを拾うといって、こうすれば漁が多いという。また海中から拾い上げた石、漁網の中央にある浮子(あば)、あるいはカツオの大漁の時初魚として進ぜる大カツオそのものをエビスという所が、和歌山県西牟婁郡田並村(現串本町)にある。サメをエビスという所もあるが、長崎県西彼杵郡崎戸町中戸のジューゴ祭り(竜宮祭)では、目隠しした若者が、日常漁をする海に潜り、最初に手にした手頃な石をエビスと呼んで祀った。鹿児島県トカラ列島のエビスは流れ着いた異形の(丸い)石であった。
このように、漁村でエビスの御神体としているものは何か異郷から訪れてきたものという意識、それも何か富や幸せを持ってくるものという感覚で受け止めているように思われる。この一種の異郷人歓待思想との関連は、何も漁民の思想にのみ限られるものではなく、広く日本人の信仰に様々な形が見出されるものであることは改めて言うまでもない。こんにち狩人たちの間に、そして農民や都市の商人たちの間にまでエビス信仰は広く見られるが、是も基本的には漁民というか海人たちの信仰であったものが、豊漁祈願との観念の結合で次第に伝播、浸透していったものだろう。事実、七福神の一つとして祀られているエビスの姿は福々しい釣り人の姿で描かれていることも、その信仰の基礎が海人の世界にあったらしいことを示すものであろう。
「山民と海人 非平地民の生活と伝承」 責任編集 大林大良 |
1983年10月15日初版発行 小学館 |
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