宇目を歩くー木浦 |
奥江 |
大道庵の薬師如来と脇侍・十二神将 | ||||||
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奥江の大道庵 | ||||||
大道庵 | ||||||
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薬師如来と脇侍・十二神将(ガラス越しに撮影) | ||||||
薬師如来と脇侍 | ||||||
奥江の薬師如来と十二神将
大字木浦内字奥江 江戸時代初期の制作と推定されるもので、大道庵(小野市長徳寺の末庵)に安置されている。
薬師如来 |
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木浦鉱山 | ||||||
山神社 | ||||||
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木浦山神社
宇目町大字木浦鉱山字上町
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蓮光寺の湧水 | ||||||
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蓮光寺の湧水 | ||||||
蓮光寺の湧水 大字木浦鉱山字竹田町 蓮光寺 天正十年(1582)天目山で敗れ滅亡した武田一族は、諸国を流浪した。流浪の途中、豊後日向の境である木浦山にたどりつき、木浦山一体に鉱脈を発見して錫の採掘を行うようになったといわれている。さらにこの一族は、日之影川の支流である日隠谷を登り、大吹山に鉱脈を発見した。 この一族が信仰していたのが日蓮宗久遠寺(甲斐国美延山)であったので、木浦山字中尾に小さな庵をつくり故郷や武田一族のことを思い信仰していた。ある日、こんこんと湧き出る清水を発見し、この地に寺院を建立した。こんこんと湧き出る湧水に、その名も「日蓮宗久遠寺末法水山蓮光寺」と命名した。以来この湧水は、江戸時代には木浦山の飲料水として、又鉱石を砕く水車の水など多くに使用され木浦山に欠くことのできない湧水となり現代に至っている。
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木浦鉱山は慶長三年(1598)の開鉱と伝わる。 木浦鉱山からさらに県道6号線を進み、県境の杉ケ越えのトンネルを過ぎて見立に下る。さらに下流に進み、日之影川に架かる中村橋を渡り、五葉岳に向かう林道(悪路)を進むと左手に洞岳が見える。この林道の周辺に大吹鉱山の遺跡がある。 洞岳鉱山は寛永三年(1626)の開鉱、大吹鉱山は寛永八年(1631)、見立鉱山は慶長三年(1691)の開鉱といわれる。洞岳鉱山は高見但馬守、大吹鉱山は加賀津兵庫、見立鉱山は馬場折右衛門など甲斐武田氏の遺臣が開発に携わったといわれるが異論もある。菊池氏の内紛により肥後国から甲斐国に移住した者が、30数年を経て再び九州に帰り、日向高千穂に定着して甲斐氏を名乗ったといわれる。この甲斐氏の一族が開発に携わったとの説もある。
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落水の熊野神社 | ||||||
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落水の熊野神社 | ||||||
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