八坂神社の神官さん 橋迫志摩守 


金気のない橋迫志摩守


 昔、祇園さん(八坂神社)の神官さんに橋迫志摩守と言う偉先生がおられた。
 ある日こと、氏子ん婆さんが
 『先生、佐伯の町、飯がまを買っちきたり金気が出て困っちょる。ご祈祷じなおしてくれめえか』
と、飯がまを持ってきた。
 志摩先生は『よしよし』と気軽に墨をすっち筆をとり、お家流じ、「橋迫志摩」と書いち、
 『これでなおると思うよ』
と渡した。
 四、五日たっち、お婆さんが又、先生のところに来ち、
 『先生が
こないだご祈祷しちくれたが、金気止まらん』
と云うと、先生は上を向いち、長いアゴヒゲをしごきながら、
 『そりゃおかしなことじゃのう? 橋迫志摩
にゃあ金気はないんじゃが』
とポツンと云ったそうな。
『弥生の昔話』 話者 盛田護(細田 七十四歳)


草 競 馬


 下切畑仙太と為八ちゅう若けえ者は、馬きちと言われる程、大変な馬好きじゃった。二人ん持ち馬は、いつも油壷から引き揚げたように、ピカピカしち、栗色に輝いちょった
 二人ん楽しみやぁ、祇園さんの祭典の草競馬で一番になることじゃった。祇園さんのお宮の前から、大明神の千年杉までの真直いところじゃ。競い合ったが、一番の勝ち馬になりゃあ、竹笹に結わえ付けた白木綿や手ぬぐい優勝旗がもらえた。まるで凱旋将軍のようにしくれた。そ頃ん競馬道の往還や、直見まの道筋は、人通りも少のうて、馬二頭がやっと並んじ通れる狭い道じゃった。
明治二十年頃と覚えちょるが、正月の競馬じゃ、仙太ん馬が一番じゃ、秋競馬じゃ、為八ん馬、千年杉ん彦根に蹄をひっかけ落馬しち、腰を痛めたことか、馬に乗れんようになっしもうた。それか、祇園さんの草競馬は見れんようになったんと。

  『弥生の昔話』 話者 川田渓泉(尾岩 六十八歳)


 草競馬のお話は、八坂神社先代宮司の橋迫春茂氏から伺いました。神社で催されるのは神事としての「走り馬」です。平安時代、疫病が流行して多くの人が亡くなりました。この災いは、無実の罪を着せられ亡くなった御霊によるものと考えられました。御霊を鎮め災厄を祓うために、神社で歌舞や騎射、相撲、走り馬などを行いました。この御霊会のしきたりは畿内から諸国に広がりました。


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