海部と佐伯 Ⅴ   
     
  佐伯とは   
     
平安時代初期の公式記録である『新撰姓氏録』(815年編纂)に、京を含む畿内全域に居住するすべての氏族名が列挙されている。畿内は当時の都とその周囲であるから、そこに居住する氏族は日本国を維持運営する人々の主要構成者である。 同書によれば、畿内全域に住む主要氏族は全1182氏である。そしてこれらを皇別・神別・諸蕃・畿外(未定雑姓)に分けて記録した。

●「皇別とは、神武天皇以降に皇室から発した血統を意味する。すなわち、臣籍降下したもので、皇室の分流である。
  335氏を数える。

●「神別」とは、天津神・国津神の子孫を意味する。404氏を数えるが、さらに天孫系109氏、天神系265氏、
  地祇系30氏に分類されている。

●「諸蕃」とは、シナ大陸・朝鮮半島その他から渡来した者の子孫を意味する。326氏を数えるが、内訳は漢系16
  3氏、百済系104氏、高麗(高句麗)系41氏、新羅系9氏、加羅系9氏となっている。

●さらに、これらのどこにも属さない氏族を「畿外(未定雑姓)」として、117氏を挙げている。

「姓氏録」には氏族名と姓が一体となって収録されており、カバネがすでに名と同化していたことが認められる。
 当初のカバネは五世紀頃には成立していたと考えられるが、発祥の経緯や語源は不明である。おそらく、有力氏族の地位や職掌がヤマト政権において定着するにつれて、それぞれの立場を示すために与えられ制度化されたものであるだろう。
 当初に制度化されたカバネは国造(くにのみやつこ)、県主(あがたぬし)、稲置(いなぎ)、別(ワケ=和気)など。その後、公(君)、臣(おみ)、連(むらじ)がさだめられ、さらに直(あたい)、首(おびと)、史(ふひと)、村主(すぐり=勝)、造(みやつこ)伴造(とものみやつこ)、神主(かんぬし)、祝(ほうり)、曰佐(おさ)、吉士(きし)、薬師(くすし)、絵師(えし)、使主(おみ)など、出自や官職によって習慣的に呼び習わされる傾向であった(傾向的一貫性はない)。それをカバネと称して、ヤマト政権下で、大王(おおきみ=天皇)から有力氏族に称号として与えることとしたものである。
それらの集大成として、684年(天武13)に、天武天皇によって「八色の姓(やくさのかばね)が制定され、これによってそれまでのカバネは形骸化した。

 八色の姓(やくさのかばね)は真人(まひと)、朝臣(あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)の八階位であるが、新たに下賜されたのは実質的には上位四姓のみで、それまで尊重されていた世襲の臣、連は六位、七位に下げられ、新たなカバネは有能な人材の登用法・抜擢法として活用した。

「八色の姓」によって『新撰姓氏録』の内訳を見てみよう。

 第一位 真人(まひと)  48氏(うち44は皇別筆頭、残4は未定雑姓 未定雑姓以外の44氏はすべて
                 後世の皇族に相当する一族であろう)

 第二位 朝臣(あそん) 102氏(天孫系と地祇系に分けられる)

 第三位 宿禰(すくね)  98氏(天孫系と地祇系に分けられる)

 第四位 忌寸(いみき)  50氏(天孫系と地祇系に分けられる)

 第五位 道師(みちのし) なし

 第六位  臣(おみ)   63氏(「八色」以前からの世襲)

 第七位  連(むらじ) 258氏(「八色」以前からの世襲)

 第八位 稲置(いなぎ)  なし (地方官であるため、畿内に住むことはない)

 (『新撰姓氏録から解き明かす日本人の血脈 神々の子孫』 より)


 左京神別 中 23氏の中に、佐伯宿禰と佐伯連の名が見える。

 天神 佐伯宿禰 姓は、元々は連で天武天皇13年(684年)に宿禰

 天孫降臨の時に彦火瓊々杵尊を先導した天押日命(あめのおしひのみこと)を祖とし、大伴室屋の時に大伴氏から別れた神別氏族である。

 天孫 佐伯連  

 佐伯連とは 世界大百科事典 [佐伯氏]より転載

 大伴氏とともに大和政権の伴造(とものみやつこ)として,代々武力をもって朝廷に奉仕した。中央の佐伯氏(佐伯連)は,所伝では大伴氏と同祖で,5世紀後半の雄略朝ころの大連大伴室屋(むろや)の後裔とされ,684年(天武13)には宿禰姓を賜った。元来佐伯氏は,内国に移配された蝦夷で宮廷警衛の任にあたる佐伯部を管理する氏であったとみられ,中央では佐伯連が,地方では諸国の国造の一族である佐伯直(さえきのあたい)がこれを管理した。

 氏の名は蝦夷の子孫からなる佐伯部を率いて朝廷に奉仕したことによる。佐伯部の設置目的は宮廷の攻守にあり、「さえき」は「塞(さえ)ぎる」に由来する。この攻守は単に武力だけではなく、奇怪な習俗をもつ蝦夷の呪術能力によって邪霊の侵入を防いだとの説もある。佐伯部は瀬戸内海沿岸に多く分布する。


佐伯直

 佐伯直(さえきのあたい)氏は、古墳時代の中頃(五~六世紀)に播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の五ヶ国に設定された佐伯部(さえきべ)の国造(くにのみやつこ)である。
 佐伯直(さえきのあたい)氏には古代豪族「大伴氏」から派生したとされる説が在る一方、景行大王(けいこうおおきみ 古事記・日本書紀で第十二代と記される天皇)の皇子・稲背入彦命(いなせいりびこのみこ)の末裔が臣籍降下して播磨国造(はりまくにのみやつこ)になる。


佐伯部

 景行天皇40年(110年)に日本武尊が東征の帰りに、捕虜とした蝦夷を伊勢神宮に献じた。その後、朝廷に献じられたが人民を脅かしたために畿外に追放となった。これが、播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波の佐伯部の祖となった。


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