初老と中年、2人のリベンジ物語
―化け物が追いかけてくる。−
2人仲良くリタイヤした03アイアンマンマレーシアよりはや1年、会えば“おまえがあんなところにいるのが悪い”“いいや先にリタイヤした方が悪いと”お互いにリタイヤした責任をなすりあった1年であったが、再び雌雄を決する時が来た。
アイアンマンマレーシアへいざ出発。
2月26日(木)
午前3時30分。前日に予約をしていたタクシーに乗り大分駅に向かう。3時55分発のドリームにちりんで博多駅へ、地下鉄で福岡空港に行き、関西空港行きJAL332便の搭乗手続きを済ませ、食事をしながら妻を待つ。
妻と合流後、2人で関西空港へ、そこでフェリーで大阪入りした“ライバル”工藤弘太郎会長と初めて顔を合わせる。工藤会長、今回はテンションが低い?“ムム、珍しい。この落ち着きは何だ?”いつもと違うライバルの様子に少し不安になる。まぁ今から心配してもしょうがない、こちらは淡々とレースに挑むだけである。
混乱もなく我々大分からの3人は,搭乗手続きを済ませ機上の人となる。今回はマレーシア航空53便で、クアラルンプールまでの直行便である。
飛行機に乗ってみると、昨年韓国の大会で一緒だったスーパーエイジ、大阪の浜島さんもいる。またプロの小原選手もいる。大会を重ねてくると知り合いが増え、新たな大会に出場することが何だか同窓会に出ているような気持ちになる。今回も皆と楽しいツアーになりそうだ。
搭乗後はいつものごとくすぐ寝始める。時々起きると後ろから工藤会長の話し声が聞こえる。やっといつもの工藤さんに戻ったようだ。でも浜島さんは工藤さんの隣りに座ったのが良かったのか悪かったのか?これからずっと工藤さんと行動を共にすることになってしまった。(うるさかっただろうな?)
7時間後、マレーシアの首都クアラルンプール空港に到着。昨年と同じ空港内の中華レストランで大分の3人プラス浜島さんで食事を摂る。
食事のあとは、国内線のターミナルを探して、あっちこっち空港内をうろつき、記憶をたどり国内線搭乗口へ、そして再び機上の人となり1時間後、大会会場のランカウィ島の空港に着陸。昨年より5時間ほど早くホテルにチェックイン。とにかく旅の疲れを残さないよう早々に横になる。
2月27日(金)
午前10時、登録の為シービューホテルに向かう。昨年に比べると若干は手際が良くなったようで、今年は混乱していない。メディカルチェックそして登録と済ませ、グッツのブースを開いているトライオール3の奥村さんの所に、CCDとCO2ボンベを買いに行く。ついでに工藤さんの状況を聞くと、今年は1発でメディカルチェックをパスしたみたいで“大丈夫だよ”という答え。私としても一安心である。
ホテルに帰ると工藤さんがバイクウェアで出かけるところであった。今から浜島さんとバイクコースの下見に行くと言う。本人いわく“チェックに引っかからなかったのでもうレースは終わったも同然”だそうで、すごくテンションが高く上機嫌である。そのテンションに付き合わされる浜島さんも気の毒である。“気をつけて!”と言い、私もこまごました用事を片付け、バイクの試乗にでる。
最大の難所であるホテル裏の坂に行く。“暑い”しかし韓国よりホイールを変えたおかげで下りは絶好調である。“よし、バイクで一気に工藤さんに差をつけてやる。”
上機嫌のまま昼食に行く。今日はホテルから10kmほど離れたところにあるマングローブの林の中にあるタイ料理の店である。
道路から数百m、沼の上を縫うように作られた歩道を歩いていくと、川の上に木造のレストランが建てられている。いかにも熱帯雨林のオアシスといった感じで、料理と建物の感じがピッタリである。味も香辛料の利いたものが好きなわが夫婦にとってはGOODで、
大満足の昼食であった。
タイガービアでほろ酔い加減でホテルに帰ると工藤さんたちも帰ってきている。何と今年も70km走って来たそうで、普通の常識から考えると大会2日前に長距離を走ることは考えられない。やはり工藤さんは化け物みたいな人である。
夕方はカーボパーティーである。イーグルスクェァに開始時間より遅れていくが、今年もやはり始まらない。結局今回も2時間遅れのパーティー開始であった。
2月28日(土)
ミーティングに行く。いつものアメリカ人が変な日本語で説明をするが特に他の大会と変わらない。適当に聞いていると工藤さんが“朝14kmほど走ってきた。絶好調”と自慢してくる。“まったくなんて人だ!明日はレースなのにこの人は疲れを知らないんだろうか?”
説明会後、帰ろうとしていたらオフィシャルメカニックが“バイク壊れてますよ”と教えてくれた。見ると、リアのギアチェンジのワイヤー取り付け部分が折れている。
“修理できます?”と聞くと“パーツがない”とのこと。それでも他の部分の整備はしてくれると言うのでバイクを預けると、“ここが悪い、あそこが悪い、全く整備していない。よくこんなバイクでアイアンマンに出る気になったね?チェーンを変えるだけでも、10分〜20分は早くなるよ”と言われた。すみません。乗る事に必死で整備のことは全く考えていませんでした。今後バイクを少しはかわいがります。
バイクは壊れたままなのだが、不思議と気にならない。なんとかなるさと、今日も妻とホテルより離れたところに昼食に行く。本日は空港近くのシーフードレストランである。 棒貝、タイガーシュリンプ、ロブスター、シーフードピラフ、そして麺と注文するが、やはりどれも美味い。更に海老とロブスターのでかいこと!日本で食べると恐らく万の単位になると思われるが、やはりここはマレーシア。後の事を心配せず食べられるところが嬉しい。昨日に続いて大満足の昼食であった。
さて、自転車の方であるが、偶然パーツを持っているメカの方がいて修理完了。完全な状態でバイクチェックに行く事ができたのであった。
バイクチェックは何故だかここは厳しく、いろんな所をチェックされる。しかしプロのメカに見てもらっているので何事もなくクリア。あまりの暑さにバーストする可能性があるのでエアを抜き、バイクラックにバイクを掛けバイクエリアを後にする。さぁ後は本番を待つだけである。
夜、今日は工藤さんの誕生日ということなので、誕生パーティーを開くことにする。工藤さんの希望はどぶ川沿いにある屋台である。
大会の前日に、東南アジアの屋台で食事とはあまり気が進まないが、主人公の希望なので仕方がない。3人(工藤、妻、私)プラス浜島さんで近くの屋台に出かける。
どうも工藤さんは、昨年もここに来ていたようでマスターと仲が良い。とりあえずビールで乾杯をし、料理を注文する。またまたロブスター、かにを茹でたもの、魚の揚げ物、トムヤンクンetcと次々と出てくる。初めはどうしようかと悩んでいた私だったが、こうなれば仕方ない。出された料理を覚悟を決めて食べ始める。美味い!
工藤さんを見ると、次々とビールを飲み干している。前に並んでいる空き缶の数は10本!おいおい明日は大会ですぞ。やはり何にも考えていないところがすごい!化け物である。
時間も遅くなったので、最後は妻が内緒で買ってきていたバースデーケーキで〆る事にする。蝋燭を3本立て、HAPPY BIRTHDAYを歌い、工藤さんに火を吹き消してもらう。正直な話、こんなところでこんなことをするとは思いもよらなかった。
明日はレースなので早く寝ることにする。9時にベットに入るが眠れない。暫く布団の中でごそごそするが全く睡魔が襲ってこない。おかしい。私は寝つきはいい方なのに、ますます目はギラギラしてくる。どうして?よく考えてみると、夕食のロブスターはニンニクだらけであった。しまった!工藤さんの策略にはまってしまった。結局寝ることができたのは12時過ぎであった。(明日の起床は4時である)
2月29日(日)
目覚し時計の音で起こされた。眠くてしょうがない。睡眠時間4時間弱なのでそれも仕方がないのだが、こんな状態でまともなレースができるだろうか?
4時半からホテルのレストランが開くので、早々に食事を済ませ、荷物を抱え貸しきりバスでスタート会場へ向かう。
夜が明けてないので空気はひんやりとしている。この状態だと嬉しいのだが、おそらく日が昇るにつれて、今年も暑さが増してくるであろう!
何回も繰り返した手順でバイクの最終セッティングを終え、することがないので妻や奥村さんと話をして時間をつぶす。軽量化もバッチシである。
入水のアナウンスがあったので桟橋に向かう。昨年バイクでリタイヤした宮沢さんと会い、話をする。彼女も今年にリベンジを掛けている。(彼女は私より1時間ほど早くゴールしました。)
彼女と楽しいひと時を過ごしていたら、工藤さんが割ってきてじゃまをする。“どっちに泳いだらいいんだ?”“あっちです。”と指さし方向を示すが、しばらくするとまた同じ事を聞いてくる。まったく去年も泳いだくせになんで分からないんだ!
しかたなく、工藤さんと一緒に海に飛び込む。まったく世話がやける人である。立ち泳ぎをしながら話をしていると、そろそろスタートの時間になった。
去年はいきなりピストルが鳴り、スタート時間がわからずペースの組み様がなかったので、今年は時計をじっと見つめる。
午前7時16分、ピストルの小さな音が鳴り04アイアンマンマレーシアは17時間の戦いをスタートした。ゴールには何人が帰ってくることやら?
スイム
日はまだ昇っていないので薄暗い中をひたすら泳ぐ、ここはウェットスーツ不可なので水着姿である。競泳出身の私としては、この方が泳ぎやすくて好きなのだがスイムの苦手の人はやはり恐怖があるようだ。
400mほど泳ぐと東の山の稜線上に日が昇ってきた。なんと美しい景色だろう。今自分が置かれている状況を思わず忘れてしまう。
バトルに耐えながら泳いでいると、チクリと来た。また、例の虫である。昨年はかなり痛く感じたのだが、今年はそうでもない。かまわず我慢して泳いでいたのだが、さすがに乳首と唇を刺されたときは我慢ができずに手で払いのけてしまった。
1900m、やっと半分泳いだ。時計を見ると39分かかっている。遅い。最近スイムの練習をまったくやっていないので仕方がないのだが、このタイムでは元水泳選手なんて言えるようなものじゃぁない。情けない。
足は全く使わずに手だけで泳いでいく。時計を時々見るがタイムは縮まる様子はない。今回は無理をせずとにかく完走に目標を置こう。やっとのことでスイムは終了。バイクウェァに着替えるためテントに飛び込む。 1時間23分40秒
バイク
バイクを押し、トランジットエリアから出てくる。今年はちゃんとエアも入っている。去年はこの時点でほぼリタイアを決めたようなものだっただけに、バイクで走り出せることが無性に嬉しい。
妻に手を降り、徐々に加速していく。市街地を抜け最大の難所である坂道を上っていくが心身そしてバイクとも絶好調の私にとってあまり苦痛にならない。
一気に山を3つ越え、平坦なコースに入っていく。さあと思ったが、午前中の早い時間で気温も上がっておらず、ちょうど心地よいくらいだったので睡魔が襲ってきた。
眠い。DHポジションをとるとよけい眠くなる。どうしようと思っていたが、その心配もそう長くは続かず、1時間もすると灼熱の太陽が真上から照りつけるようになり、あまりの暑さに睡魔など一発で吹き飛んでしまった。
40km地点を過ぎると、折り返しの山道に入っていく。去年はきつく感じたのだがやはり今年はきつく感じない。おまけに暑いのだがやはり去年ほどではない。(後で聞いたら今年は35度であった。去年は40度以上)おまけに結構強い風が吹いているので、風が汗と熱を持っていってくれる。去年を経験している身としては少しは走りやすい。
あれれ?と思いながら折り返しコースは終了。再び島をぐるりと回る周回コースに
戻ってくる。
70km地点で、浜島さんが追いついてきた。足をつりそうだとぼやいている。工藤さんに持っていた塩を全部あげてしまい自分の飲む分がなくなったと言っている。
私のを渡したいのだが、そのためには自転車を止めなければならない。しかしハワイを狙っている浜島さんにとってはその時間がもったいない。
“スペシャルニードで一緒になれれば塩を渡します。”と言ったが、彼と私のスピード差を考えればどだい無理だったようで。結局彼に塩を渡すことはできなかった。
80km地点、1台のバイクが事故を起こしている。血まみれの選手が道路わきに横たわっている。警察が既にきているので一安心であるが、それを見た私としては“リタイヤする理由ができて羨ましい”といった恐らくアイアンマンをやったこいとのない人には分からない感情であった。
90km、2周目に入る。上り坂の途中にスペシャルニードがある。なんでこんなところにと思ったが、おそらく90kmちょうどだったので何も考えずに作ったのであろう?
昼を過ぎ気温も最高潮に達してきたのでエイドごとに、冷たい水をもらう。頭からそれをかぶるのだが、何か少し違う。飲んでみるとゲータレードだ。げっ、バイクも体もべとべとである。洗い流す水もない。気持ち悪いがこのまま次のエイドまで我慢するしかない。
今回のレース中、2度ほど水を頼んだのにゲータレードを渡され、全身べとべとになる羽目になった。
2周目の折り返しコースに入る。やはり昨年より軽い。あれれれ?と思いながら好スピードで周回コースへ下ってきたところで工藤さんと初めてすれ違った。“工藤さん”と声をかけると“おう!”と答える。約20km弱離れている。時間にして45分位の差か?
さあ、バイクも残り20km。あとは完全フラットなコースだけである。既にランに移っている選手と平行しながら、バイクフィニッシュ。一番心配だったバイクも余裕を持って終わることができた。 8時間00分24秒
ラン
無事バイクは終わったのだが、暑いので全く走る気がしない。とぼとぼと歩きながら市街地を抜け3km地点に来た時に、反対側を工藤さんがバイクで帰ってくるのが目にとまった。その瞬間、全身にアドレナリンが駆け巡った。
先ほどの気分はどこに行ったのやら?全身に力がみなぎってきて足が進むようになった。キロ7分〜8分で走って行く。
7kmの折り返しを過ぎ、10kmの地点で工藤さんとすれ違った。“よし!6kmの差がある。”
14km、フィニッシュゲートのすぐ横を2周目に入る。横を走っていた選手はもうゴールである。なんともいやらしいコース設定にしてある。
少し走ると、オリンピック選手の小原さんが自転車で並んできた。“三浦さん頑張って”さすが、もう彼はゴールしている。“小原さん何位?”“5位です”“ハワイは?”“取りました”“おめでとう!”ほんの僅かであるが会話をすることによって気がまぎれる。
17km地点、工藤さんとすれ違う。“まだ6km差がある。”この瞬間に力が抜けた。一気に走るスピードが落ち始め、エイドでの時間が長くなる。
21km、折り返し、反対側の工藤さんを探しながら走るが見つけられない。“またリタイヤしたかな?”と都合の良い考えが頭をよぎる。
28km、スペシャルニードで夕食を食べる。レーズンパンにパインとみかんの缶詰そしてビーフジャーキーである。椅子に腰掛けゆっくり食べ、満足したところで重い腰を持ち上げた。
公園を出て少し走ったところで、正面から工藤さんが走ってきた。げっ!こんなところに工藤さんが?素早く計算を始める。“この1周で6kmあった差が3kmに縮まっている。ということは、このペースで走るとちょうどゴール手前で工藤さんに追いつかれることになる。”追いつかれた時は年寄りに道を譲るのは常識である。そうなると日本に帰れなくなる。
再び、アドレナリンが全身を駆け巡った。しかも前回以上に!一気にスピードアップ!キロ5分のペースで走る。自分でも30km過ぎてこんなスピードが出せるとは思わなかった。つぶれるか?追い越されるよりはつぶれてリタイヤの方がましである。
面白いほど、追い抜ける。妻は“どうしたの?”と聞いてくる。“化け物が後ろから追いかけて来るんだよ!”叫びながら走り続ける。
35km、最後の折り返し。ここまでくれば大丈夫だろう。少しスピードを緩める。キロ6分。
37km、工藤さんと再びすれ違う。差は4kmに広がっている。あと5kmということを考えるともう大丈夫。キロ7〜8分にスピードを落としフィニッシュゲートへ、ゲート手前で妻を見つけ一緒にゴールへ。DJが盛り上げ、音のなるものは全て鳴らしているのではないかと思われるほど騒々しいゲートを2人でくぐり、私の2年越しのアイアンマレーシアは幕を閉じたのであった。 6時間15分40秒
合計 15時間56分25秒
ゴール後すぐメディカルチェックへつれていかれる。体重を量るとスタート時より3kg減っている。これくらいの減少だと点滴はしなくてよいようでマッサージに行けといわれ、マッサージに行く。途中メディカルテントの中を通るのだが、20名ほどが点滴を受けている。暑かったので脱水が激しかった選手達であろう。(これくらい激しいスポーツをすると体重が落ちるのが当たり前なのだが、工藤さんはレース後体重が増えていた。いったい何を食べ飲めばアイアンマンで体重が増えるのであろう?やはり化け物だ。)
マッサージ後公園のコンクリートの上に横になり星を見ていると、工藤さんの名前がコールされた。慌てて飛び起き迎えに行くと、工藤さんがちょうどゴールに飛び込んで来たところであった。“おめでとうございます工藤さん。”と言うがいつもの反応がない。完全に頭が飛んでいる。やはり彼もかなり無理をしてたんだろうな。
工藤さん合計16時間32分
翌日(3月1日)
少し遅めに朝食を食べにホテルのレストランに行く。工藤さんがまた騒いでいる。私の顔を見ると、“お前がかわいそうなので、最後の3kmは歩いてやった。”などとまた強がりを言っている。まっ、何を言おうが結果は結果、私には負け惜しみにしか聞こえない。“どうぞ御勝手に!”
食事後は、さすがに疲れが残っているのでバイクを分解、梱包する以外はぶらぶら過ごす。
昼は、シェラトンホテルでリゾートを楽しみ、夜は表彰式をパスしてヨットクラブのレストランでディナーを楽しむ。両方とも殆ど日本人を見ることがなかった。
最終日(3月2日)
いつもの4人で、マングローブツアーに行くことにする。ボートにのりマングローブの林の中を走り回る。カワウソ、猿、鷲、コウモリ、オオトカゲ、更には野生のテッポウ魚など様々な生き物を見て回る。
ところどころ、広くなったところにはヨットが浮いており、その上にはバカンスを楽しむリッチな人達が寝そべっている。船籍を見ると、ロンドンやシドニー等の遠くもある。羨ましい。いつか私もこのようになりたい!
午前中いっぱいボートで走り回り、昼食は初日に行ったタイ料理の店である。工藤会長は船でこの店に乗りつけるのが夢だったと喜んでいる。
4人でそれぞれ好きなものを注文し、皆で分けて食べる。外は太陽がさんさんと照りつけているが、ここはクーラーが効いていて別世界である。つい2日前のレースが嘘の様で、美味しい食事に大満足のひと時であった。
夕方、ランカウイをあとにする時間となった。日本は雪が降っているらしい。昨年今年と2度にわたって挑戦した灼熱の地、ランカウイ。もう恐らくこの地を踏むことはないだろう。景色を目に焼き付けながら空港へ、そして来た時と同じコースで日本へ。6日間の夢の世界は冬の寒さで目を覚まされたのであった。
もう工藤会長とは2度と同じレースには出ないぞ!レースを楽しむことができない。
アイアンマンマレーシアへ今後出場する方へ。
* 寒くても鼻水を垂らしながらバイクの練習だけは続けて下さい。
* 体調の管理は確実に、この時期、日本は寒く風邪やインフルエンザにかかっている人が多いので要注意です。手洗いうがいそして風邪をひいていなくてもマスクはつけて外出すること。
* 日本とマレーシアの気温差がもっともある時期なので、暑さ対策に練習中も普段より厚着で練習をしてください。(暑さに対応できずレースに出られなかった方もいます。)
* 当然、日焼け対策もしておいてください。サロンでみっちり焼いてから行くように。
* 関西空港を利用する場合、出口の宅急便は左側のJAL系の宅急便を利用してください。右のANA系の会社の半分の料金です。自転車を九州まで送る場合、J−3500円位、A―7000円位です。
* コース自体は私が出場したアイアンマンの中でも楽なほうです。ただ暑さが...。
以上気づいた事を最後に書いてみました。工藤会長は来年も行こうかな?と言っていました。
もう一つ追加
“三浦さん30kmすぎてあんな走りが出来るんなら、ランはもう少し早いはず!体はその走りが出来るのに、それをしていないのは根性が足りない。もう少し精神力をつけたほうが良い”と言われました。今、根性をつけるべく思案中です。
来月宮古島があるのに全く気合が入らない
アイアンマン三浦由紀