D行きも帰りも向かい風

 

バイク180km

今までで最も時間をかけてスイムを終えたのであったが、不思議と疲れはほとんどない。ただ、のどが潮でやられて痛いので、スイムを上がったところにシャワー代わりに何本もぶら下がっているホースをつかみ水をごくごく飲む。

小走りに走りながら荷物を取り、更衣室へ飛び込む。バイクウェアに着替えると、念入りに日焼け止めクリームを露出している各部に塗りたくる。さぁ難関のバイクの始まりである。

更衣室を出てみると、バイクはほとんど残っていない。出口近くの60代以上のコーナーはほとんど残っている。この光景を見たときに、アイアンマンハワイのレベルの高さを思い知る。

しかし、60代以上をなめてはいけない。私のタイムを世界のトップに置き換えると、70代後半と同じタイムになってしまう。当然、この大会は世界選手権の決勝レース、出ている選手はそれぞれの年代のトップクラスである。いずれバイクあるいはランで追いついてくるのは間違いない。

とにかく他を意識してはアイアンマンは完走できない。常に平常心で走ることである。

バイクにまたがり、前半に張り切らないよう走り始める。最初はまず市街地を回るコースである。沿道そして中央分離帯まで人の波である。みなスポンサーが配布したカウベルを持ち、カランカラン鳴らして応援している。

市街地からいったん南のほうへ下り往復するコースの途中で、トライオール3の奥村夫妻を発見。“いってきまーす”と大声で挨拶をし再び市街地に戻る。

市街地からクイーンKハイウェイに登る道で、まず前田さんの奥さんを発見。“ご主人は元気に泳いでましたよ”と情報を伝える。

次に中央分離帯に、永田さん(コリア&マレーシアで一緒)を発見。今回は奥様だけハワイの権利を獲得し、ご主人は応援である。“奥さんは?”と聞くと“まだまだ後ろ!”と答える。

そして次にわが妻の登場である。“今のところ快調”と答えると“頑張って”とかえってくる。次に会えるのは何時間後であろう?

坂を上りきったところで左折、クイーンKハイウェイに出、一気に加速していく。このコースは平坦な道は全くなく、180km全てがだらだらした上りと下りの連続である。

バイクに乗って30分したところで、急に胃がむかむかしてきた。吐きそうである。“オェ”と胃から上がってくる。何とか我慢をするが次から次へと吐きそうになる。

“おかしい、熱中症にはまだ早すぎる”レースどころではない。“どうする?リタイヤするか?”“いやまだ早い。行けるところまで行こう。”吐きそうになるのを我慢しつつ、走り続ける。すると少しは吐き気が和らいできた。

バイクでエネルギーを補給しなければ、とても最後まで走りきることはできない。無理をしてカーボショッツを2個ほど流し込むが、それが限界である。それ以上は全く体が受け付けない。

そうこうしているうちに今度はお腹が“グルグル”言い始めた。“いったい今日の私の体は何なんだ?さっきまでは絶好調だったのに”、とにかくトイレに入らなければ。

30km地点のエイドでトイレに駆け込む。やはり腹をこわしている。やっとのことで復活しバイクにまたがるが、吐き気と腹痛は相変わらずである。

10時、そろそろハワイ名物コナウィンドが吹き始める頃だと思っていたら、本当にドカンときた。ハンドルを持っていかれそうになる。スピードも一気に落ちてしまい、なかなか思うように進まない。

やっとのことで40km付近のエイドに到着。再びトイレに駆け込む。簡易トイレが風であおられ今にも倒れそうで、用を足すのに気が気でない。

トイレから出て再び、バイクで走り始めるがスピードはまるでのってこない。2kmほど走ると浜島さんに追いついた。“風でまったく進まない”と彼もぼやいている。

先ほどからスピードメーターは20km/hを越えることはなくなってしまった。少し話をして追い抜いていく。

水を飲みたいが、ボトルを取ろうとハンドルからうかつに手を放すと、風でハンドルを取られそうになり、なかなか思うように水も飲めない。

後で聞いた話だが、プロの村上純子選手は、エイドで水を取ろうとして風で転倒したそうだ。それほどの風が吹き付けてくる。

何か風を遮るものでもあればよいのだが、ここはアイアンマンの写真でよく見るように、周りは真っ黒い溶岩のかたまりばかりで、その上を竜の背中のように道路が波打って延びている状態で、何も風除けになるものはない。

同じく太陽の光も遮るものがなく、上からは容赦なく太陽が照りつけ暑くてたまらない。せめて吹き荒れている風が涼しければよいのだが、吹いてくるのは熱風である。おまけに黒い溶岩とアスファルトからの輻射熱まで加わり、エイドごとに頭から水を浴びるがすぐに体はヒートしてしまい大粒の汗が噴出し始める。

気づくといつの間にか、私の周りは60代が少なくなり70代の選手が多くなってきた。やはり強豪達の集まり、どんどん追いついてきたようだ。(80代もいたはずだが気づかなかった。―最高齢者は84歳)

ワイコロアを過ぎ55km付近に来たとき、トップが折り返してきた。しばらく間をおいて次々とトップグループが追い風にのり疾風のように去っていく。

こっちは向かい風で“ひぃひぃ”言っているのに、ただでさえ早いトップグループは逆に追い風で快調に飛ばしていく。

ここがアイアンマンのきついところである。強いものほど有利なコース設定になっている。

カワイハエのT字路で左折をし、溶岩道路に別れを告げ、草原の丘の上のコースに入っていく。

ここはバイクコースの中で最も絶景の場所で、低木のまばらにある草原の向こうにはコバルトブルーの海が広がっており、疲れた心を癒してくれる。

しかし、コース自体は相変わらずハードで、アップダウンの連続である。

75kmくらいのところで再び浜島さんに追い抜かれる。

85kmからは10kmの上り坂が待っている。登っても、登っても先が見えない。カナダ以来の坂である。(カナダは15km)

やっとのことで頂上に達し、やっと下り始めたと思ったらハウイの折り返し地点である。ここまでくるのに4時間30分かかっている。応援をしてくれている妻に“ちょっとやばいかもしれない”と言い残し、今きた道を引き返す。

数百m行ったところにスペシャルニードがあり、そこで食事を摂ることにする、今日は吐き気がするのでほとんど何も食べていない。このままではバイクが終わるまでにエネルギー切れになるのは明らかである。

食欲は全くないので水で流し込む。食べたことによりまた気分が悪くなるが、我慢して走り始める。

今度は追い風である。反対側をゆっくり上がってくる選手を見ながら、快調に飛ばしていく。

1kmほど走ったところで前田さんとすれ違い大声でエールを送る。それから20台くらいのバイクとすれ違ったが、この辺になるとハンドサイクルが目立つようになる。

このハンドサイクルの選手たちときたら、当然全てを腕だけで走り通すわけで、その精神たるや想像を絶するものがある。自分も制限タイムに追われる身ではあるが、彼らにはぜひとも完走してもらいたいと思う。

追い風で喜んでいたのもつかの間、気づくといつの間にか風は止んでいる。聞いたとおりである。“やばい”と思っていると、アイアンマン名物コナウィンドがまた始まった。しかも今度も向かい風で。

先ほどまでのスピードはうそのように落ちていき、再び平均15kmの旅が始まった。

坂を登りきり、さぁ下りと思っても、全くスピードは上がらない。それどころか、こがなければ下り坂でも進まない状態である。風に耐え、たんたんとペダルを踏み続ける。

前を見ると、1本の道がゆるやかな曲線を描きながら延々続いている。先が見えるだけに、“あんなところまで行かなければならないのか”と気が遠くなる。

午後3時を過ぎ、太陽の光が軟らかくなり、風も涼しくなってきた。走りやすくはなってきたのではあるが、今度は残り時間が気になり始める。

155km、残すところあと25kmである。時計をみるとバイクコース閉鎖まで1時間20分である。今のスピードで走り続けると1時間40分かかることになり、完全に失格である。

風が止むのを祈るか、無理をするかのどちらかである。当然、風は自然のもの、止むことなどは考えられず、そうするとおのずと無理をするしかないことになる。

ランのために足を残しておこうなどと考えていて、時間制限に引っかかり、ランに移れなかったら何のことかわからない。25kmなら、無理のできない距離でもない。

“よし!”決心をし、ダンシングで加速していく。足がつりそうになるのを、たたいたり揉んだりしながら何とかごまかす。

平均20km/hをキープするように心がける。対抗車線には既に全てを終え、荷物を抱えバイクで帰る選手が出始める。

あと10kmとなったところで、ランコースと平行して走る。多くの選手たちが42.2kmのマラソンの真っ最中である。

またお腹の調子が悪くなりトイレに行きたくなるが、そんな余裕はなく、とにかく我慢する。時計との睨めっこが続く。

残り2km、クイーンKハイウェイから、カイルアコナへ下る道にでる。

あと少し。何とか間に合いそうだ。制限時間4分前、ギリギリでバイクを終えることができた。

8時間3550秒)