きつい!−これこそアイアンマン
アイアンマンマレーシアで不覚のリタイアから半年あまり。1年に2度のリタイアは出来ない。後がない。したがって準備は万端。2度目となるアイアンマンコリア、ただし今回はチェジュ島に場所を変えての実質的には初トライのアイアンマンである。
8月29日
朝7時、多くの荷物を車に積み込み、高速を福岡空港に向かう。ジャスト2時間で空港に到着。自転車を受け取るため、佐川急便の方と携帯で連絡を取り合う。(佐川は福岡空港にカウンターがないので、直接受け渡しである。)
自転車をゲット。本を読んでいると、ちらほらとバイクケースを引きずったアスリート
達が現れ始める。
今回、友人達はマレーシアでハワイをゲットしているので、だれもコリアに参加しておらず、中には他の大会で見かけた顔もあるが知らない面々である。
搭乗2時間前に、受け付け開始。昨年はバイクケースを開けて中を全部見られ、飛行機の出発直前まで時間を取られたのだが、今年はそうならない様、私はボンベをおいてきたので1番で金属探知機をクリアし、余裕でチェックイン。
最終手続きをしている時に、前日より福岡市の実家に帰っていた妻が現れ合流。そして再び、買い物と食事とばらばらに分かれ、出発までの1時間強をそれぞれ楽しんだのであった。
11時55分、定刻どおりに出発。今回は初めてのエアであるアシアナ航空である。しかし、いつもの通り私は飛行機の座席に座ると同時に寝る癖があるので、離陸すらいつしたのか分からず。目がさめたのは、“ドスン”とチェジュ空港に着陸した時で、全く飛行機の中は覚えておらず、サービス等は分からずじまいであった。
入国審査の後、バイクを受け取りそれぞれのツアーバスに別れる。我々のトライオール3ツアーは選手5名、応援2名の7名である。そして、選手の内1名が初アイアンマンで後は全員3回目以上のアイアンマン参加である。
1時間ほどで受け付け会場であるワールドカップスタジアムに到着。ドームのはずだが屋根がなく骨組みだけである。聞くと、昨年の台風で屋根が飛んでしまい、この状態になったのだという。“何という、安ぶしん!”“よし大分と比べてやる”
中に入ってみると、広さも豪華さも大分のスタジアムの比でない。“勝った”優越感に浸ったのであった。(それだけ大分は税金を使ったということにもなるのだが?)
選手登録後、直ちにホテルに移動。今回はロッテホテルである。
着いてみると、“まぁ豪華!”今までのアイアンマンの中で1番ハイクラスのホテルである。中庭はまるでディズニーシーみたいで、妻曰く、設計が同じ人ということで、なるほどと納得。
早速、ホテル内を探検しつつ遅い昼食を食べに行く。ホテル内にはカジノや免税店もあり、これならば退屈しそうにない。更に、夜になると中庭でラスベガスのトレジャーアイランドホテルばりの光と炎のショウもあり、遊ぶにはもってこいのホテルである。しかし、食事の値段は困ったもので、1人1食だいたい4〜5000円位であった。
8月30日
10時からの競技説明会にスタジアムまでタクシーで行く。コース図を見てみると、一昨年のコースから変更になっており、バイクの100km地点から15%の坂がありその後70kmはずっと山岳コースになっている。
周りの日本人選手は15%の坂というのが想像つかず“わいわい”騒いでいる。プロの田村選手がいたので、私が“田村さん15%とはどれくらいの坂ですか?”と聞くと、“もう試走してきたんですけど、最初はアイアンマンジャパン位の坂で更に登れば登るほど傾斜がきつくなる坂ですね”と言う。
それを聞き、周りはまた騒がしくなる。“ジャパンは坂がきつくて有名なのにそれよりきついとは?”とんでもないレースにエントリーしてしまった。明日は完走できるだろうか?
説明会は昨年にくらべちゃんとしたものであったが、まぁ韓国なので説明と異なることもだいぶあるだろうと少し割り引いて聞く。(やはり、今年も説明会の時にあると言っていた、トイレや交通規制やエイドの食事等はありませんでした。)
説明会終了後はホテルでバイクを組み立てる。明日の天気は雨の確立が高いというのでディープリムではなくてノーマルのスポークホイールを選んで持ってきたことに一安心するが、タイヤの選択に頭を悩ます。
結局、フロントは雨の時の下りを考え、地面との接地面積の大きい扁平タイヤを装着し、リアはスピード重視の接地面積の小さい球形でコンパウンドの柔らかいタイヤをチョイスし、装着することにした。(こう見えても、いろいろ細かいところに気を使うんです。)
セッティングが出来上がったので、試走することにする。雨はとりあえず上がっている。少し走っては、ハンドルの位置など微調整をしていく。17km程走ってバイクの調子は上々。自分の体力の方が心配なので切り上げることにし、バイクスタート地点である中文海水浴場の駐車場にバイクチェックに向かい、バイクを預ける。
バイクを預けた後は、スイム会場を見に行く。駐車場から傾斜のきつい坂を下っていく。―明日はこれを駆け上がるのか、かなり苦しいな。―絶壁の崖の下に砂浜が広がっている。波は低気圧のせいかかなり高い!―この波だとスイムの苦手な選手は時間をとられるだろうな―暫く海を眺め明日のいろんな事を想像する。
さぁ、やることは全て終わった。あとはホテルでゆっくり体を休めるだけ。明日はどんな日になるだろう?ホテルに向かい坂をとぼとぼ登っていく。
7時30分就寝。ぐっすりと言いたいところだが1時間ほどすると“どっかーん!ギャオー!”いきなり起こされる。例のショウである。“くそー”と思うがそれも30分程で何時の間にか寝ていた。でもやはり悔しい。(アイアンマンに出る方はロッテホテルはやめた方がいいですよ。)
8月31日
午前3時30分起床。4時にルームサービスで朝食を摂る。いつもアイアンマンの時は朝が早いので朝食を確保するのに苦労するのだが、今回はさすが一流ホテル。この時間でも持ってきてくれる。キムチたっぷりの焼肉定食を平らげ。226kmの旅へ!いざ出発!
真っ暗な中を、バイクラックへ、最後のチェックを行う。OK。時間が余ったので柵にもたれかかり妻と話をしていると、義足の選手がいろいろ聞いてくる。今回初アイアンマン68歳の前田さんである。
聞かれた事に答えながら、前田さんの奥さん、ヘルパーそして私で準備の手伝いをする。しかし68歳義足でアイアンマンに挑戦とはすごい精神力である。手伝いながらも底抜けに明るい彼を見ていると目頭が熱くなってくる。
前田さんと一緒に海岸へ下りていく。昨日よりは波は低くなってはいるが、やはりコンディションは良いとは言えない。おまけに遠浅のようで、一部途中に砂浜が出ている。“水中ランをやるのか、いやだな”と思っていると、前田さんが悩んでいる。“そうか彼は泳ぐ時は義足を外すので、走れないんだ!”遠回りになるが砂浜の出ていない岩場の方からスタートした方が良いだろうということに意見が落ち着く。
軽いアップをして体を水温に慣らす。スタート10分前。海岸に上がると前田さんが波打ち際の少し後ろに座っている。行って話しかけスタートを待つ。
スタート2分前。後ろから走ってくる選手が前田さんに気づかずぶつからないように、ヘルパーさんと私が前田さんの後ろに立ちブロックする。
〔スイム〕
午前7時、アイアンマンコリアスタート。私は、前田さんの後ろに立ったまま選手をやり過ごす。ヘルパーさんは韓国語で何か叫んでいる。殆どの選手が海へ飛び込んでいったのを見て、“ヘルパーさんがどうぞ行ってください”というので前田さんと硬く握手をし、“ゴールで会いましょう”と言い、私も海へ飛び込んでいった。
最初の方はやはり水中ランで、大きな波が来ると転びそうになる。しばらく波をかき分けて走っているとお腹くらいまで水がきたので、泳ぐことにする。
今回は最後尾から飛び込んだので最初の方はバトルもなく絶好調である。しかし暫く泳ぐと、だんだんバトルになってきた。遅い選手に追いついたのだ。選手をかき分けおよいでいると、急にウェットスーツの中に水が入り込んできた。背中が冷たい!あわてて背中に手をやると、ファスナーが開いている。どうしよう?このまま泳ぐか?いや、これでは水の抵抗が大きすぎる。
“ファスナーを閉めよう。”今の状態ではバトルの真っ只中にいるので、閉めることはできない。コースから外れることにする。ただ1人コースの左側に泳いでゆき、背泳をしながらファスナーを閉める。“よし!これでOK。”“今追い越していった連中め、すぐに追い越してやる”
得意の水泳。前を行く選手をどんどん追い越してゆく。最初のターンを回り西側へ、そして次のターンを回って岸に向かったところで、今回のスイムの難所が始まった。
流れが速く流されてしまう。流されないようにするには、体を岸と平行にするしかない。平行にしつつ岸へは波に運んでもらう。岸から見ると真横になった選手がその状態で岸に近づいてくるという変な格好で、一周目が終了。時計をみると40分かかっている。過去最低である。
岸に上がり、100mほど砂浜を走るのだが、これが足にきてけっこうつらい。私は走るのを諦め歩いて再び海へ、2周目にはいる。
海はとにかく透明度が高くきれいである。唯一残念なのは魚が全く見られないことである。でも、殆ど全コースで海底が見る事ができ、きついわりには短く感じたスイムであった。 1時間24分55秒
〔バイク〕
バタバタと着替えバイクを押しながらコースに出て行く。コースに出たところに妻が立っている。“いってらっしゃい!”“いってくる。7時間30分後に帰ってくる”そう言って分かれる。
最初はいきなり2km弱の坂が待ち構えている。インナーの一番軽いギアに落とし、足に負担をかけないようにする。それでもバイクの足にまだなっていないので、きつく感じる。
登りきって、右折し暫くすると、片側B車線のメインストリートに出る。緩やかなアップダウンが続く道であるが向かい風なので、思うようにスピードがのらない。
12〜13km位走ったところで、最初の山道に入っていく、しかしこれはたいした事のない坂であっという間にクリアし、市街地に下りてゆく。
ここは、高台の上に街があり、右側は海で建物も韓国らしくなくこじゃれている。その間を縫うように道が曲がりくねって走っており、景色もきれいで、まるで南仏の海岸線のようである。
街を通り抜けると、完全なフラットな海岸線に出てくる。海のある右側は溶岩の塊がごろごろしており、まるでハワイ島コナの海岸の様であり、左側は北海道のサロマ湖から宗谷岬に向かう道沿いのようで非常に景色も良い、しかし、何も遮るものがないので海風が真正面からモロにぶつかってくる。
景色を見たいのだが、見ようと体を起こすと、逆帆立舟状態となり風に押し返されて、スピードは更に落ちてしまう。しかたなく、DHポジションでアスファルトを眺めつつ、時々横目で景色を見ることとする。
60km地点、水とスポーツドリンクが切れたので初めてバイクを止め、補給をする。今回はCCDを積んでいたのだが、エイドにはポカリしかないのでそれをつめる。
65kmを過ぎると、内陸部に入っていく。向かい風から開放されホッとするのもつかの間、道は徐々に高度を上げてゆく。なかなか思うように走らせてもらえない。
のどかな風景の中を走っていると、長い急坂が現れた。100km地点からの本格的山岳コースの始まりである。
最初の坂は、距離はあったがそうきついとは感じなかったが、その坂を上って暫くいくと今回のハイライト!15%の坂が目の前に立ちはだかった。
1番軽いギアに落とし、立ち上がりぐいぐいとダンシングでこいでゆく。途中知り合いが道端で“がんばれ!”と声援を送ってくれる。
スピードは5km/hにまで落ち込んでいる。スピードが落ちているので、バイクが右に左にとフラフラする。バランスをとりながらペダルを力いっぱい踏み込んでいく。
右側は、バイクに乗って登れなくなった選手が“ずらっ”とバイクを押しながら歩いている。
“何くそ!もう少し!”何とかバイクを降りずに登頂成功!後ろを振り向き、少し優越感に浸る。“今年は六ケ迫で頻繁に練習をしたが、こんなところで役立つなんて!”
最大の難所をクリアしたのだが、まだまだ上り坂は続く。“あの坂を上れば”と思い坂を1つ上るとまたその先に坂がある。地獄へ突き落とされがっくりとくる。何度、それを繰り返したことか?
130km地点で、同じツアーの藤沢さんがバイクを押して登っている。この傾斜で押していたら完走できないのでは?と思っていたらやはり彼はバイクでリタイヤしていた。
140km地点、坂を登ると、こんどこそ前が開けた。今度は下り坂の連続である。一気にスピードアップ!50km〜60kmのスピードで下っていく。
155km、平坦な農道に出るが、追い風なので40km以上をキープしている。
160km、海沿いの道に出る。とたんに向かい風となり、再びスピードダウン。更に上り坂と重なり、苦しい状況となる。“よくぞここまでハードなコースを作ってくれた。”逆になんだか嬉しくなる。
180km、ロッテホテルの横の道に出る。海岸までフルスピードで下っていく。坂の途中で妻が手を振っている。
“おかえり!”“ただいま!今回はきつかった!”あっという間の出来事。
トランジッションエリアにたどり着き。無事バイク終了。 7時間59分49秒
〔ラン〕
ソーセージとバナナ、みかんの缶詰で食事を済ませ。ついでに、バファリンとガスターテンでドーピングもして走り出す。まずあの2km弱の坂が待ち構えている。あせらず、ゆっくりとペースを作っていく。
坂を上りきると、緩いアップダウンの続く直線道路に出る。最初の10kmはペースをあげようとキロ6分で走る。
10kmを過ぎると山道に入るので、かなりスピードは落ちるが、まだまだ足はしっかりしている。
15km地点で、最初の折り返し、くるっと回って500m程走ると、同じツアー、久留米の豊島さんとすれ違う。(彼はアイアンマン初参加)エールを交換して分かれる。
17km地点、昨年の束草大会のランでブッちぎられた東京の色白君に追いつく。
三:“どうしたんですか?” 白:“気分が悪くて走れないんです。”
三:“でもまだ時間があるから頑張りましょう!” 白:“暫く歩いて行きます。”
そう言って分かれたが結局彼はフィニッシュゲートをくぐる事はなかった。
20km地点、義足の前田さんが走ってきた。声をかけ手を振ると元気に答えてくれる。
前:“折り返しは後どれくらい?” 三:“5km先ですよ!” 前:“ありがとう”
信じられないくらい、はつらつとしている。ひょっとすると追い越されるかも?
21km地点、半分が終わった。2時間50分かかっている。“まぁまぁか?”でもちょっとペースを落としすぎた。
23km地点、突然走れなくなった。“おかしい”そのままずるずると半分歩くような感じで進む。
25km、ゲッ!キロ12分もかかっている。とりあえずエイドで休み、チョコとバナナを食べる。すると不思議なことに元気が回復してきた。“なんだ腹が減ってただけか”
再び走り始める。このころ辺りは完全に闇に包まれている。その中をとぼとぼと走り続ける。
28km、2回目の折り返し。ロッテホテルの方へ向かって坂を下っていく。“ひょっとすると妻が応援に出てるかな?”と少し期待したが、妻どころかだれも出ていなかった。
坂を降りきると、また2km弱の坂が待っている。さすがに今回は走ることが出来ずに歩いてしまった。何とキロ14分もかけてしまった。(この1つの坂で30分?)
坂を上ると、後は直線である、とにかくペースを崩さないように走る。しかし、40km地点、もう大丈夫と思った瞬間、ダッシュッがかかってしまった。
ドーム球場の周りを一周するのだが、前を行く選手をガンガン追い抜いた。何とキロ5分のペース。(全てをこのペースで走れれば苦労はないのだが)
追い抜きながらも“コングラチュレーション、ユーアーアイアンマン!”と声をかけてゆく。
最後の花道に出る。妻と手をつないでゴールしようと探すと、なんとカメラを構えて柵の外に立っている。もう勢いは止まらない。残念だがそのまま1人でフィニッシュ!
きつくて、楽しい226kmの旅は無事終了した。 6時間45分41秒
16時間10分26秒
フィニッシュ後、友人を迎えようと、プラプラしているとプロの白戸選手が、“おめでとうございます”と言って握手をしてきた。
“いやー今回のコースはきつかったわ!”と言うと、“きついのがアイアンマンです。きついコースを完走すると気分が良いでしょう?アイアンマンはタイムや順位ではないんです完走した人皆が勝者なんですよ”と言う。
“確かに、今回はきつかったけれど楽しかったわ、それにマレーシアのリベンジも出来たし”と言うと、“いやーとにかくおめでとうございます。”と言って白戸選手は去っていった。
〔フィニッシュ後〕
マッサージを受けて、暫くすると、DJが前田さんの名前をコールしている。慌てて飛び出して行くと、前田さんが帰ってきている。
思わず“前田さんおめでとうございます”と言って。柵の上から手を差し出すと、“ありがとう”と言って手を握り返してくる。その瞬間、目頭に熱いものが込み上げてきてしまった。年齢だけ考えても私の父と同じ年、その歳で226kmを走りきるとは!
11時59分を回り、アイアンマンも残り1分を切ってしまった。DJはガンガン盛り上げる。そこへ1人の選手が入ってきた。DJ&会場は“GO!GO!”の声援である。その選手が何とかフィニッシュしたのが59分40秒。ところがその時ドームの脇に人影が見えた。距離は数十メートル。
すると会場は先程より更に大きな“GO!GO!”の声援が巻き起こる。本人も気づきダッシュをかけてくる。DJは“5、4、3...。”とカウントダウンを始める。
そして、12時となり花火が打ちあがった瞬間に最後の選手はフィニッシュゲートをくぐり抜けた。その選手はもみくちゃにされている。
その姿を見ているとまた目頭が熱くなってきた。この歳になってこれだけ感動できるものは他にあるだろうか?やはりアイアンマンは素晴らしい!
〔大会後〕
一晩眠って翌日は元気が回復。若干下着に血が付着していたが、こんなものはいつものこと。気にも止めず、我慢していたものを一気に爆発させに行く。わが夫婦は食いしん坊。さっそく大会前に食べれなかったものを、腹いっぱい食べる。
まず、海岸に下りていって、タコの踊り食いとサザエの刺身に挑戦する。朝からビール片手にタコと格闘。タコも皿に吸い付きなかなか離れない。口の中に入れても、舌や上あごに吸い付いて、これが変な感じなのだが、美味である。サザエもGOOD!
次に、辛い冷麺そして...。と1日中ひたすら食べまくる。おかげで2kgも太ってしまった。おかげで今体が重く練習に苦労するようになってしまった。でも満足!これだから遠征はやめられない。
今回のアイアンマンはコースのハードさという点だけとれば、私が出場した中で一番のハードさであった。しかし、ハードなんだけれども走っていると何だか楽しくて変な感じであった。白戸選手の言うように、きついからこそアイアンマンであって、それから考えると、真の意味からアイアンマンを楽しめるようになったのかなと思っている今である。
まぁ、このコースを走ったことによって、正直どんなコースでも完走できる自信がついたのも事実で、また、どのアイアンマンにエントリーしようかと思案中です。
皆さん、私が完走できるんです。皆さんも完走できます。次の大会は一緒に走りましょう。もちろん私は皆さんの後をマイペースで追いかけます。