灼熱のサバイバルレース−南海に散ったおじさん2人!
三浦由紀
2月19日 −移動編−
前日より大阪入りし、りんくうタウンにあるホテルに宿泊していた我々夫婦は早朝にも係らず余裕をもって関西空港に到着。
いつものごとくちらほらとバイクケースを押しているアスリートを数人見かける。早速私も宅急便で送っておいたバイクを受け取り集合場所を探し始める。
遠くからカップルが手を振っている。よく見ると昨年韓国の大会で一緒だった鹿児島の永田夫妻である。ご無沙汰の挨拶を交わしていると、今回の大会の手配をして頂いたトライオール3の奥村社長が現れる。
我々夫婦は永田夫妻とは異なる短めの日程なので、まず奥村さんと日本航空のカウンターで搭乗手続きを済ませる。JAL便は我々夫婦以外には奥村さん、そして京都の消防士である坂本さん(02日本大会でハワイ獲得)の4人である。
人数が少ないので早々と手続きを終え、マレーシア航空で行くメンバーの所へ挨拶に行く。カナダ&韓国で一緒だった福岡の原田夫妻(カナダでハワイ獲得)そして我等が大分県連合会長の工藤さんもいる。今回は知り合いが多く現地で楽しめそうだ。
全員の手続きが終わりそれぞれの飛行機に分かれていく。我々が今回搭乗した飛行機は最新型の777でエコノミークラスにも係らず、全席TVとフットレスト付きで更にイスの頭の部分は形状が変えられ、寝ても頭が動かない様になっている。
今までにない快適かつ楽しい6時間余の飛行を終えて、シンガポールのチャンギ空港に到着。我々夫婦はダッシュで食堂に直行(2人とも食いしん坊なんです)。20分という短い時間にしっかり麺を食べて再び搭乗。40分程でマレーシアのクアラルンプール空港に到着。ここでしっかり夕食を摂ることにする。
マレーシアはさすがにイスラム教の国で空港内を行き交う女性の多くが髪をスカーフで隠している。そして空港で中華料理店に入ったのだが酢豚を注文しても豚ではなく酢鳥や酢魚ならあるということで、入国早々にイスラム教の特徴的なものを経験することが出来たのであった。
3時間ほど空港内で時間をつぶし国内線にて移動、初めての搭乗となるマレーシア航空で約1時間、タイとの国境近くのリゾートアイランド、ランカウイ島に到着。
皆、“暑い暑い”と言っているのだが、大阪からの飛行機の中より頭痛の続いている私は体調がおかしいのか、体温調整ができないのか、1人だけ寒いといって、日本を出たままの長袖姿で完全に浮いた存在となっていた。早く体調を戻さなければ!
タクシーで25分ほどかかり深夜1時30分にホテルに到着。やっと体を横にすることができる。お風呂で体を温め、とりあえず今日のところは何もせずにお休み。明日からレースの準備をすることにする。
2月21日 ―前前日編−
午前9時30分、選手登録に本部のあるシービューホテルに歩いて向かう、10分程の距離だがTシャツに汗がにじんでくる。
工藤さんは相変わらずのハイテンションで皆の先頭を騒ぎながら歩いている。
まず、メディカルチェックがあり、体重.血圧.問診.そして聴診器で心音を聞かれる。私は何の問題もなく通過をしたのだが、工藤さんがまた騒いでいる。どうやら血圧が高すぎて登録の許可が出なかったようだ。しばらく安静にして計測しなおすということで、会場の外のソファに深々と腰掛けて皆の様子を見ていたが、2回目の計測でも許可が下りずに、結局この日はあきらめてホテルに帰ったようだ。
メディカルチェックをパスした者は選手登録に進むのだが、とにかく受付の要領が悪く一向に順番が進まない。とうとう奥村さんがしびれをきらし、“私のお客さんはこっちに並んで”と言い、担当者から書類を取り上げ勝手に受付を始めてしまった。
おかげでトライオール3で行ったメンバーは早く登録が終わったのだが、こんな運営で大丈夫だろうかと少し不安になったのであった。
登録終了後、ホテルに帰り昼食を食べていると、スタッフの方が“三浦さん部屋を間違えて案内してしまいました。こちらの部屋をお使いください。”とキーをおいていった。
新しい部屋をのぞきにとりあえず行ってみると、今までは山側の部屋だったのだが、今回は海側で景色もよく部屋も広い。更においてある物も種類、質ともこちらの方がはるかに多く良く、大満足で引越しをさせてもらったのであった。(何だったんだろう?)
部屋を替わって、自転車の組み立てにかかる。昔は時間がかかったのだが、さすがに遠征を多く経験したので15分ほどで組み立てあげることができた。
スイム会場の下見を兼ねて試走に出かける。若干違和感のある部分があったが、これは調整だけで改善することができ、自転車はOK。あとは自分がベストをつくすだけである。(はずだったのだが...。後でとんでもないことが起こる。)
4時からカーボパーティーが開かれるので、会場であるイーグルスクエアという大きな鷲のモニュメントのある広い公園に向かう。
開始15分前に到着したのだが、全然人がいない。料理も全く出ていない。仕方なくその辺に出展しているブースを見て回る。
ブース数は韓国に比べ多く、マレーシアというトライアスロン人口の少ない地域なのであまり期待はしていなかった私としては意外であった。
結局カーボパーティーは1時間遅れの5時からなんとなく始まったのであるが、こういう1時間も説明もなく平気で遅れるところが東南アジアらしく、我々夫婦としては“やっぱりアジアだっ”と結構気に入ったのであった。
パーティーの料理は期待したエスニック料理ではなく、一般的なもので少しがっかり。しかし、ショ−は現地の踊り等をたくさん見せてもらいこちらは大満足であった。(それぞれの国で伝統文化を見ることができるので、そういった意味でも遠征は楽しい。)
2月22日 −大会前日編―
朝8時にコースの下見のバスが出るというので、急いで大会本部のシービューホテルに向かう。しばらく待つがバスは来ない。東南アジア時間なので少しは遅れるだろうと思ってはいたが、1時間たってもまだ来ない。
奥村さんに確認をすると、“まだ来ないんですか?”と驚いた様子で、現地のバス会社と連絡をとっているが、回答は“そんな話は聞いていない”だった。
すぐにバスをよこすということだったのだがなかなか来ないので、我々選手はその間に競技説明を時間どおり受けることになったのであった。
説明会場に入ると工藤さんが座っている。メディカルチェックの結果を聞くと“OK”ということで、どうやら開き直って昨日バイクに70kmほど乗り、今朝も14kmほどランニングをしたのが血圧を下げたようで、私としてはライバルが復活できて嬉しい限りである。明日はブッチギリで勝負を決めてやる。
説明会が終わり、ホテルの外に出ると下見に行くバスが待っている。妻は観光を兼ねて行くと言うが、私はバイクチェックの時間が気になるのでホテルに帰ることにする。
ホテルで食事をしていると永田夫妻がやってきて、“バイクコースにすごい坂が3つ連なっている、下りは何もしなくても70km/h以上出た。”と言っている。“えっ!工藤さんは完全フラットと言っていたぞ”、私は太っているくせに上りは良いのだが、事故以来下りは怖くてしょうがない。“試走しといた方が良い”と言うので早速行ってみる事にする。
部屋に帰りバイクを出そうとすると、フロントのエアが抜けている。“抜けるのが早いな?”とは思ったが、その時は一晩かかって抜けたのだろう位に思い、再びエアを入れ下見に出発。(これが後で大きなロスとなってしまうのであった。)
ホテルから僅か3km、きつい坂がせまってきた。上りはギアさえ落とせばたいした事はないが、下りはかなり落ち込んでいる。おまけに下れば下るほど傾斜はきつくなり、下りきった所はS字で砂も浮いている。ここはスピードをかなり殺して行かないとクラッシュするぞと思っていたが、レース中この場所でクラッシュし血だらけになっている選手がやはり出ていた。
3つの坂を上って下りて、とりあえず下見終了。帰り始めるが暑くてしょうがない。僅か15km走っただけで汗びっしょりである。明日のレースは180km。給水をかなりまめにしなければ脱水症状になってしまう。気をつけなければ。
ホテルに帰り、明日の荷物をもってバイクチェックへ、今までで一番厳しいチェックを受けバイクにステッカ−を貼ってバイクラックへ、これで全ての受け付けは終了した。
帰ろうとしたところで、また工藤さんが騒いでいる。何かと行ってみると工藤さんのバイクラックがない。どうやら昨日、登録できなかったので不出場とみなされたようだ。係りの人があわててラックを作り、無事バイクをかけることが出来たようだが。毎日騒々しい人である。
明日は早いので、今日は8時に就寝。明日はどんな日になるんだろう?
2月23日 −大会当日―
スイム編
朝3時30分、レースの朝は早い。(ウルルン風に読んでください。)ホテルの心づくしのおにぎりと味噌汁を食べスイム会場へ出発。
バスを降りて出走確認のテントまでプロの田村選手と話しながら歩く。会場は音楽がガンガン鳴り響きDJが盛り上げている。体にレースナンバーを記入してもらい、バイクのセッティングへ、エアを入れ食べ物を積む。
隣りの女性(宮沢さん)がバイクにツーリングバックを取り付けている。中身を聞くと保冷剤とお弁当という。そして驚いたことに、今回が初トライアスロンという。初めてのトライアスロンがアイアンマンとは勇気ある行動と思うが、普段はオープンウォーターレースをやっているというので、かなりの潜在能力はあるのではないかと思う。
バイクのセットを終え、全身にクラゲ予防剤を塗りたくる。今回は水温が高いのでウェットスーツ不可で、水着一枚なので不安である。だれかが“海水パンツの中は大丈夫だろうかと?”言ったので、パンツの中までべったりと塗りたくった。
午前7時、本来はスタートの時間なのだが日が昇らず真っ暗なので、スタート延期になる。何時にスタートするかは分からないと言っている。やっぱりアジアだ、アバウトである。
しばらくすると、そろそろスタートしますと言う。覚悟を決めて海に飛び込む。今回はフローティングスタートである。
回りの人とおしゃべりをしていると突然花火が上がりレーススタート。おいおい心の準備が出来てないよ!
何が何だかわからないがとにかく必死で前へ進む。今回は400人弱しか出場していないのでバトルはほとんどない。600mほど泳ぐと明るくなってきた。水質は普段泳いでいる瀬戸内海と比べると若干汚いくらいで気にはならないが、リゾートと聞いていたので少しがっかりである。
しばらく泳いでいると背中に“チクリ”ときた。また少しすると今度は横腹に“チクリ”。あれっ?クラゲ防止剤を塗っているのにどうしたことだ!
“チクリ、チクリ”最初は気になっていたが、なれてくると気にならなくなってきた。後で聞くところによると、これはクラゲではなく“チクリ虫”(正式名はわからない)のしわざだったようである。クラゲに刺されている人もいたので薬は効いていたようである。
何時にスタートしたのか分からないので、遅いのか早いのか分からない。とにかく1900mのターンを回り、岸に向かう。
沖を見ると、東南アジアらしい島がありヨットが浮いている。ほのぼのとした風景が広がっている。アイアンマンも4回目となると慣れてきて、水泳中でも景色を味わう余裕が出来てきた。徐々に岸が近づいてきて、やっと3.8kmのスイムが終了。結局何分かかったのかわからなかった。
自転車編
トイレを済まし更衣室に飛び込む、今度は日焼け止めクリームを塗りたくる。服から出ている部分は気をつけないとここの日差しは日本の夏の比ではない。
着替え終わって自転車に乗る、数メートル走ったがハンドリングがおかしい。ふと下を見るとフロントのエアが完全に抜けきっている。“さっきエアは入れたばかりなのに?”
スタートしてしまったので、もうどうすることもできない。そうだ“本部横にオフィシャルのバイクメカニックが常駐している”と説明会で言っていた。
ホイールを傷めない様ゆっくりと走ること2km、本部に到着。しかしレースが始まったばかりだったからか、メカニックがいない。
大声でメカニックを呼ぶが、応える人はいない。何事かと人が集まってくる。その中の日本人女性が“私がメカニックを探してきます。”と言ってホテルに飛び込んでいった。
しばらくして出てきたが、“どこにもいません。”それを聞いた私は愕然とし“ここでリタイヤだっ、くそぉ!”と叫ぶ。
“こんなところでリタイヤしないで下さい。どこが悪いんですか?”
“おそらく、ディープリムの延長バルブの取り付け不良と思うので、プライヤーとポンプがあれば修理できると思う”
“私、探してきます。”再びホテルに飛び込む女性。
しばらくして飛び出してきた女性の手にはポンプだけ握られている。
“ポンプはありました。これでどれだけ走れます?”
“たぶん1時間くらいは走れると思う。”
“じゃぁ、1時間走ってそこで次の事を考えてください。”
“そうだね、ありがとう”原則的には失格になるのだが、マーシャルが見ていないのでポンプを借り、エアを入れて走り出す。この間のロスが約10分。(この女性の名前を聞くのを忘れてしまいました。本当にありがとうございます。)
何とか走り出したのはいいが、1時間後にはまた同じ結果が待っている。“どうしよう”走っていても全然レースに集中できない。
“そうだ、タイヤをまるごと換えればいいんだ!”スペアタイヤは10日前まで履いていたもので去年、韓国のレースで交換した完全なレース用で延長バルブもその時のまま、今までエア漏れを起こしたことはない。こんな簡単なことに気づかないなんて!
急坂3つを乗り越えたところで、バイクを止めタイヤ交換を始める。
知り合いが“三浦さんどうしたん?”と通り過ぎる。外国の選手が“GOOD LUCK”と励ましていく。更にTV局がカメラで交換の模様を撮りはじめた。
新品のタイヤをリムから剥がすのに時間がかかったが、何とか古いタイヤと交換。最後にカートリッジでエアを打ち込む。
完了。しかしカートリッジを抜き取った瞬間、いっしょにバルブの芯の部分も抜き取ってしまった。“シュー”一瞬の内に抜け行くエア、“しまった、初歩的なミスをやってしまった。”“落ち着け、カートリッジはあと1本。今度失敗したら本当にリタイヤだ。”
同じ作業を再び行おうとしたところで、救世主登場。移動メカニックが来てくれた。知っているありったけの英単語を並べて状況を伝える。工具を取り出す2人。
あっというまに修理終了。“サンキュー、テレマカシー!”何とお礼を言ってよいか分からない。散らかったものをかたずけていると、TVクルーがインタビューさせてくれと言う。“そんな時間はないんだがと思うが”マイクを向けられるとしゃべってしまう自分が情けない。結局この場で20分強。そして先ほどのを合わせるとレース早々に30分以上ロスしてしまった。(この時は、先は長い30分くらい何とかなると思っていたが、結局この30分が後で大きな意味を持ってくる。)
フラットとは聞いていたが、アップダウンの多いコースを、汗だくになりながら走りつづける。とにかく暑い。エイドごとに冷水をもらい頭からかぶり、更に足にもかける。
折り返しコースに入り、折り返してしばらく走ったところで工藤さんとすれちがう。“約10kmしか離れていない。やばい!”
DHポジションで空気の抵抗を少なくし、追いつかれないようひたすらこぎ続ける。しかしこのコースはDHポジションを安心して続けられない。
牛、水牛、ヤギ、鶏、更には2mを越えるオオトカゲまで道路に出てくる。人によっては猿も出てきたと言っていたが私は見ることが出来なかった。
ただ、これら動物は我々人間が近づくと逃げるのであまり問題はないのだが、一番困るのは子供たちである。
彼らは、我々の自転車に積んでいるボトルや食べ物を奪おうと、自転車が通りかかると彼らも自転車で一斉にダッシュをし3〜4人で追いかけてくる。
中には、1台が前に飛び出し、こちらがブレーキをかけスピードダウンしたところを襲い掛かってくるグループもあり、危なくてしょうがない。
左右から出てくる手を払いながら大声をあげ脅して走るが、こんなグループがいたるところにいるので常に気を抜くことが出来ず、暑さとプラスされ余計に疲れてしまった。
暑さと戦いながらも1周目が終了、2周目に入る。今回は90kmの2周回である。折り返したところで奥村さんがいたので話していると、反対側車線に白バイが走ってきた。“げっ、もうトップが帰ってきた。”危うく周回遅れになるところであった。
ぼやぼやしていられない、再出発。あと90kmを走り切らねば。
2回目の急傾斜の坂3つを上り始める。2周目となると自転車をこいで上ることが出来ずに、自転車を押して上っている選手も出てくる。
その中に、知った顔が1人。昨年の全日本宮古島大会で十数キロを一緒に走った奈良の山形さんである。
“山形さんどうしたの?”
“もっていた食べ物を全部食べてしまい、それでも腹が減って力がでないんですわ、もうあきまへんから私ここでリタイヤしますわ!”
“何言ってるんですか山形さん。まだ時間があるから頑張ってください!”
私が持っている食べ物を渡せれば良いのだが、今回は私も珍しく殆ど食べ尽くしていてあまり持っていない。暑さで体力を消耗するからか、私も腹が減ってどうしようもない。
“山形さんごめんなさい”心の中でつぶやきながら通り過ぎる。
しばらく走ると妻が写真を撮っていた。
“後ろに山形さんがいて、リタイヤすると言っているので、行ってリタイヤしない様、励ましてくれ!”そう叫びながら自転車を進めたのだが、結局彼はここでリタイヤしてしまった。
120km地点、今回知り合った宮沢さんが椅子に座っている。“どうしたの?”
“貧血を起こし走れなくなったので休んでいるんです。”
“まだ時間があるから、無理をしないようゆっくりと走って完走目指して!”
そう励まし、私はまた自転車を進めたのだが、結局彼女も自転車終了地点までは走ったが、そこでリタイヤしてしまった。
ジャングルと湿地帯という南国特有の景色の中をトコトコ走り続ける。出場している選手が少ないので、前を見ても後ろを見ても他の自転車は走っていない。まるで1人でサイクリングをしているようである。
折り返しコースに再び入る、ここの坂は結構きついのでそれぞれの坂で自転車を押して歩いている選手を見かける。私は意地で自転車を降りずに上りきる。
折り返してすぐに工藤さんとすれ違う。2kmくらいしか離れていない。
追いつかれないように走っていると、後ろから妻がオートバイで追いかけてきて、
“すぐ後ろに工藤さんがいるよ!”と言って追い越していった。
“知ってるよ!”とにかく必死で自転車をこぐ。
しばらくすると、パトカーが後ろについた自転車を見る。最後の選手だ。そうすると私の後ろには10台位しかいない。これはピンチ!今までこんな後ろでバイクを終えたことはない。急げ急げ!でも暑い!
160km地点のエイドで頭から水をかぶっていると、工藤さんが追いついてきた。止まるかなと思ったが、そのまま私を無視して走り去る。
ついに、工藤さんに追い越されてしまった。大変だ!このままだと日本に帰って何を言われるか分かったものじゃない。急いで自転車に乗り追いかける。
数キロ走って追いついた。並んで少し話をし、抜きにかかる。一気にスピードアップし残り20kmを走りきる。
市街地に入って海岸通に出て最後は公園の方へ曲がるだけ。最後のカーブを曲がってゴールを目指すが、しばらく走って何か様子が違うことに気づいた。
“しまった!1本早く角を曲がってしまった。”最後の最後に痛恨のミスコース。あわてて今来た道を引き返す。また数分のロスをしてコースに復帰。
やっとのことで自転車を終えることができた。
マラソン編
着替えをもってテントに走りこむ。すぐ後に工藤さんも続く。ここの大会は女子高生が着替えを手伝ってくれるが、選手は時間との勝負なので、腰にタオルを巻くこともしなければ、またタオル自体も持ってはいない。
我々も彼女たちに気を使う余裕も時間もないので、そのまま着ていた服を脱ぎ始め、次々に着替えを始める。同じようにテントの中あちこちで“フリチン”の選手たちがバタバタやっている。
女子高生たちは目のやり場に困り、下を向いて選手の脱いだ服を拾っている。まったく何で男子更衣室くらい男性にしないんだ。彼女たちにとって今日は人生最悪の日だったに違いない。イスラムの国ということを考えると彼女たちの心中は想像に余るものがある。
過去最速のスピードで着替えを終え、ランコースに走り出す。自転車からランの足に換える為に最初はゆっくりと走る。
1km、女性が道路に倒れこんでいる。“どうしたんですか?”
“足が動かなくなって、立つ事が出来ないんです。”
“大丈夫ですか?”駆け寄っていくがどうすることもできないし、ヘルプする時間も私にはない。“どうしよう”と思っているところにスタッフが走ってきた。ホッとする。
“頑張ってください!”そう言い残し走り去る。
2km、今度は私の両足がつりはじめた。足を揉み、ゆっくりと動かそうとするが、少し動かしてだけでも両足ともつりはじめる。
道路に正座して筋を伸ばす。そうしているとリタイヤした選手が自分の持っていた氷を手渡してくれた。“助かる”すぐにつりそうになっている個所を冷やし始める。
筋肉が冷え、足が大丈夫になってきた。再びゆっくりとしたスピードで走り始める。
3km、反対側を見ると永田さんのご主人がゼッケンをはずし歩いている。
“どうしたんですか?”
“今日は、調子が悪いんでリタイヤ!”
あの永田さんでもリタイヤか、今日は凄まじいレースになってきたな。
4km、工藤さんが追いついてきた。一気に私を抜き去ると、徐々に差を広げ始める。追いつくことができない。さすがウルトラランナー。今回は工藤さんに完敗するのか?いや、まだ後38kmある。とにかく自分のペースを壊さないことだ。
7km、一回目の折り返しで腕にリボンを巻かれる。
10km、道路脇に工藤さんが座っている。“工藤さん”声をかけると振り向いた。
“おう!おまえまだ走るんか?”
“当然ですよ、走ります。”
“じゃぁ、俺も一緒に行こう。”そう言い立ち上がった工藤さんの顔は真っ青である。2、3歩あるいたところで、“やっぱり止めとく。少し休む。”そう言い、近くのベンチに工藤さんは横になった。
“まだ時間があるので少し休んで追いかけて来て下さい。”そう言い私は走り去った。
結局工藤さんもここでリタイヤしてしまった。一時は意識不明の状態だったそうだ。
知り合いがどんどん減っていく。
12km、お腹にガスが溜まったので後ろを見、他の選手が近くにいないのを確認して大きく一発“ブッ!”とやった。
するといきなり“ヘイ”と肩をたたかれたので横を見ると、なんと黒人の選手が笑っているではないか、暗いので良く見えなかったのだ。ごめんなさい。でも明るい目立つ服を着てくれよ。
15km、一周目が終わり、今来た道を再び帰り始める。完全に日は暮れているのだが、暑さだけは変わらない。エイドごとに氷水を頭から浴びるのだが、500mも走ると体温はもとに戻り汗が噴き出し始める。エイドは2kmごとにあるのだがそれでも距離が長く感じられる。
21km、半分走破。2本目のリボンを腕に巻かれる。
24km、2人の欧米人を抜こうとしたら、“何周目か?”と聞かれたので、“2周目だ”と答える。(もちろん英語)“俺たちは3周目だ、このリボン1本1000ドルでどうだ?”と周回をカウントするリボンを腕からとり、私の前に差し出す。
“高い!500ドルなら買う”とかえすと、笑って“早くいけ”と背中を叩かれた。どんな時でもジョークを忘れない欧米人はこんな厳しい大会でも楽しんでいるのだと感心してしまう。日本人は話し掛けると変な目でしか見られないので面白くもなんともない。
25km、頭痛と吐き気が少し強くなってきた。先ほどから水以外の物もたとえコーラやスポーツドリンクでさえ受け付けなくなっている。軽い熱中症の様である。
症状を緩和するには、休んで体を冷やすことである。しかし今の私にはその時間は残されていない。吐かないように、気分が悪くなったらスピードを緩める。(トップグループはかまわずゲロを吐きながら走っていたそうだ。さすがプロ。)
28km、2周目を折り返す。時計を見る。今までのペースで走るとどうなるかを素早く計算する。結果は制限タイムの17時間までに、20分足りないという答えが出た。
残された14kmで20分短縮できるか?答えは歴然としている。現在の足そして軽い熱中症の状態では不可能である。
自転車でのトラブル並びにミスコースの40分がなければ!後悔先に立たず。今更悔やんでもしょうがない。
記録係りの所へ歩いていき、ゼッケンをはずし“レースナンバー195リタイヤ”と告げる。4回目のアイアンマンは初めてのリタイヤという結果で終わった。後に残ったものは何ともいえない複雑な気持ちだけであった。
大分から参加したおじさん2人は懸命の努力にも係らず、あわれ南海に露と散ったのであった。(2人とも来年のリベンジを目指しています。)
400人弱の選手がスタートし、17時間後帰ってきたのは総走行距離226kmと同じ226名だった。1/3以上がリタイヤするという。アイアンマン史上最もシビアで完走率の低い大会だった。
大会後編
自転車を回収しようとバイクラックへ行ったところで、プロの白戸選手と一緒になった。
“どうでした?”
“バイクトラブル他.....でリタイヤしました。”
“リタイヤですか、でもそれもトライアスロンです。リタイヤしたレースの方が得るものは多いので、次回はそれを反省に頑張ってください。リタイヤしたのは誰のせいでもなく自分に責任があるんだから、何が原因かわかるはずです。”
この言葉を聞き気持ちが楽になったのであった。
全ての荷物を受け取り、ホテルに帰る。妻はまだ帰っていない。恐らく私がリタイヤしたことを知らずにコース上をオートバイで探しているのだろうな、
申し訳ない気持ちで一杯である。
深夜、妻が帰ってきた。“応援ありがとう”一言声をかけ体を休める。長い一日だった。
翌日編
翌朝、福岡の原田さん(ハワイ獲得)、鹿児島の永田さん、京都の坂本さん(ハワイ獲得)、そして奈良の山形さん皆が結果を聞いてくる。
“リタイヤ”と告げると
“三浦さんだけは完走すると思っていたのに”と驚きながらもありがたい言葉をかけてくれる。リタイヤした詳しい状況を話すと、京都の消防士の坂本さんは、
“三浦さん、リタイヤは正解です。我々は素人です。プロではないんです。あくまでも趣味なんだから自分の体調を管理し、自分で判断し限界を超えないようにしなければならないんです。
もしあのまま走っていればひょっとすれば完走できたかも知れませんが、熱中症がひどくなってひょっとしたら救急車で運ばれ、最悪死んでいたかもしれません。
ですから、その前にやめた三浦さんの判断は私の立場から言えば正解です。
次、頑張りましょう!”と言ってくれた。皆ありがたい仲間ばかりである。
一通り、大会後の事務的なものは終了し、飛行機までの時間が若干余ったので、観光に行くことにする。
昨日、自転車で走ったコースをタクシーで走る。いろいろな状況が頭に浮かんでくる。昨日の自分が嘘の様である。
水族館を見てホテルに帰る。タクシーに荷物を積み、空港へ。手続きを済ませ搭乗のアナウンスを待つが、出発時間が過ぎてもまだアナウンスはない。
滑走路を見てみると飛行機がない、搭乗予定の飛行機がまだ来ていないようだ。これこそアジア、のんびりしている。
遅れること30分、やっと飛行機が到着。我々は機上の人となったわけであるが、荷物を搭載する時に、欧米人が自転車をそのまま分解せずに積み込んでいるのには驚いてしまった。
約1時間、クアラルンプール上空に差し掛かったが、一向に着陸する気配はない。飛行機は激しく揺れている。アナウンスによると天候不良なのでしばらくこの状態で待つという。“かんべんしてくれ、空港でお土産が買えなくなるではないか!”
30分ほど旋回を続け、やっと着陸。機内は無事の着陸を祝って大拍手である。
乗り継ぎの時間がないため、国際線カウンターへ全員で猛ダッシュ。慌ただしくシンガポール経由関空行きのJAL便に乗り換える。
往路と同じように新型機で大阪関西空港へ、
灼熱のあの体験は夢のごとき日本の冬がしっかりと迎えてくれたのであった。
白戸選手が言っていたように、今回の初リタイヤは自分にとって本当に得るものが多かったと思います。次回は今回の反省にたちしっかりと良いタイムで完走をめざそうと思います。
次は7月、ドイツを予定。そして、来年マレーシアには工藤さんとリベンジに行きます。皆さん一緒に行きましょう。来年は5万円台でマレーシアは行けるそうです。(今年は6万円台)ちょっとした国内の遠征より安いのでは?
3月1日に大分県内のアイアンマン完走者でアイアンマンクラブを結成しました。現在会員は19名。(19名しか25年間で完走していない。)
20番目の会員を募集中です。多くの方々がアイアンマンに挑戦し、我々の仲間になることを期待しております。
工藤さんは、完走できなかったの今回はオブザーバー出席となり。約束どおり特別会費を払っての参加となりました。(3万円はかわいそうなので、倍の会費を頂きました。)