私の病気

8.  6月

新しい職場にも慣れたと同時に、疲れが溜まってきた。
首から肩にかけて、腰、腕、腿が、痛くなってきた。
我慢できるので、そのままぼちぼちずっている。
今年は、ステロイド離脱が目標なので、毎日飲んでいたのを、一日おきにすることにした。
時々忘れて2日飲まないと、重くて痛くなるので、やっぱり2.5gでも効いてるんだなあと身体が教えてくれる。


7. ちょうど2年(2005年5月26日)

膠原病と診断されて、今日で2年になります。
足を引きずり、不安を抱えて病院のスロープをのぼったことが思い出されます。
あの時のなんとも言えない崖にたたされたような不安感、ドキドキしながら帰ってきたことを思い出すと
今日まで、頑張ったなあという気がします。
これからまた気持を新たに、気楽に楽しく行こうと思います。

6. 病気と仕事

3ヶ月経って、仕事に復帰しましたが、もとの部門の仕事から外されて、私にとっては、身体にこたえる仕事に回されました。
同僚がいい人ばかりだったので、残念でしたが、結局、辞めました。
ああ、やっぱり社会ってこんなもんだと思いました。
もう歳も若くないし、立場は、パートだし、いつ悪くなるかわからないものを雇っておくほど甘くはないんだと納得はしましたが、
やっぱり悔しかった。膠原病ですと言って、採用してくれるところは、まずないだろう。
でも、仕事を辞めたので、母の介護ができた。運命が、私に与えてくれたものだったんだろうと思うことにした。
そして、母の状態がよくなったと安心したら、仕事がみつかった。
こんなにうまくいって、いいんかいな。
病気とわかっていて、採用された。とっても感謝です。
勤めて1ヶ月になりました。
今は、身体の調子を計りながら、できるだけのことをして、感謝を表したいと思っています。



5. それから

3ヶ月間休職しました。
忙しかった生活が身についているので、じっとしていることが苦痛でしたが、動くと疲れるので、おとなしくしていました。
この時期は、身体よりも精神のほうが、苦痛だった。
治らない病気になってしまって、これからどうしようとひとりで考えているとやりきれなくなっていった。
経済的にゆとりのない生活をしている者がこんなになっては、非常に困る。
追い討ちをかけるように、言われました。「膠原病の人を知ってるけど、あの人は、死んだなあ。」
そういうデリカシーのない言葉は、言わないで欲しい。
私は、死なないし、悪くもならないぞ!と思っても、痛くなってくると落ち込んでくるのが、わかります。

大枚をはたいてパソコンを買いました。働いてきたんだからこれくらいいいだろう。
膠原病のサイトにたどり着き、その方に「だいじょうぶ!きっと順調に薬を減らしていける」と励まされて、
その通りになりました。
それから、あちこちのホームページに、厚かましくも顔を出し続けて今に至ってます。


4. 検査と治療

皮膚筋炎と悪性腫瘍が合併していることがあるので全身のCT
間質性肺炎を調べるレントゲン
膵臓のエコー
洗濯バサミのようなものを指にはさんで、活性酸素を毎日計っていた。
処方されたのは、副腎皮質ホルモン剤(ステロイド)の苦い薬(プレドニゾロン)30mgと胃薬(ガスター)
薬を飲んで、寝ているだけ。
10日もすると どこが悪いのというくらいに元気になった。
熱も下がり、赤いプツプツもすっかり消えて、脚だってスムーズに上がる。
ステロイドは、魔法の薬です。この薬のおかげで、悪くならなかった。でも副作用もいっぱいあります。
目が見にくくなったので眼科に行ったら、「もうお歳からしていいでしょう」と言って、
下まつげを全部抜かれた。私はまだ歳じゃないと言おうとしたがやめた。
薬のせいで、まぶたが、ふくらんでしまっていたのです。
また、食欲が出て食べまくり、体重が増えた。
今は、慢性に移行したって感じかなあ。
貧血は、治った。γGTP130 血糖値140 で少し高い。 首、腕、腿の筋肉痛と関節痛ぐらいかな。
スムーズに薬を減量できて、今は、2.5mg
でもまた悪くなるんじゃないかという気持は、いつもある。

3.  症状

  椅子から立ち上がりにくい、てすりにつかまらないと階段を上れない、和式トイレに座ると最悪、
  目にクマがあらわれて、だんだん濃くなったので、アイシャドウで隠していた。
  筋肉組織の破壊とヘリオトロープでした。
  そんなことはわからずに、疲れているのだろうとしか思わなかったが、
  熱と発疹で、身体が異状のシグナルを出したのだと思う。
  皮膚筋炎は、血管の病気でもあると書いてあったが、
  手足にいっぱいの赤い発疹は、血管が炎症をおこしていたのだと思う。

  会社の検診で来ていた若い医者に、「貧血ですが鉄剤とか飲んだらいいんでしょうか?」と聞いたら
  「歳を重ねると貧血になるのです。年寄りの方では、、数値がかなり低くてもだいじょうぶです。」と言ったので
  私はそんなに歳やないけどと思いましたが、そんなもんかとやり過ごしました。
  正常値は11.0ですが、私は8.0でした。

  自分の身体が、おかしいなと思ったときには、絶対、それを追求した方が、いいです。
  ぎゅうらしい(大げさ)・命ぎたない(自分を大事にしすぎる)とささやかれても・・・です。
  

  2.  病気の原因

  ウイルス感染、疲労とストレス、遺伝などと書いてある本もあるけど、原因は不詳です。
  皮膚筋炎という病気は、私の回りにはいませんでしたので、初めて聞く病名でした。
  自己免疫疾患ともいうようで、外部から入ってきたばい菌を、やっつけてるだけだったらいいのに
  自分の細胞も攻撃して、組織を破壊するんだそうです。膠原病は、コラーゲンからきてるそうです。
  自分を自分でいじめるなんて、なんて自虐的なの。
  自分を否定して生きてきたわけでもないんだけど、神経質に自分をみつめてきたのは、ある。
  なぜ私が病気に選ばれてしまったのか 何をしたというの、これからいろいろしたいと思ってたのに。

  何がいけなかったのか。
  ・病気をしたことがなかったので、自分の健康に無頓着だった。
  ・会社の定期健診でいつも貧血を指摘されていたのに、ほうっておいた。
  ・身体を動かす時には、必ず両手に物をもって移動し、いつも次のことを考えていたくらい忙しかった。
  ・仕事が、10時間、時には、深夜になることもあった。
  ・会社の仕事は、体制もシステムも変わり、プレッシャーを受けていた。
  ・家では、思春期の子供と会話が少なく、心配が続いていた。
  
  今考えると病気にもなるわと思うけど、その時は一生懸命でわからなかった。
  更年期で辛いと訴える人も多いのに、私には、来ないわなんて、浅はかなことを思っていたのでした。


1.  発病の時の様子

   勤めていた私は、2日間の休みをもらって、庭木の剪定をすることにしました。
   病気と剪定が、何の関係があるのかと思いますが、そのまま書きます。
   家の周りにある磯つばきが、伸びすぎて屋根にかかってしまったので、切ることにしたのです。
   枝は思ったより多くて、かなり時間がかかりました。
   
   熱が出たのは、次の日からです。解熱剤を飲むと下がりますが、また上がってきます。
   そんなことを繰り返しているとだんだん辛くなってきました。
   1週間後、おかしいなと思って、勤務中に病院に行かせてもらいました。

   医者は、熱と手足全体の赤いプツプツを見て、何かの感染症かもしれないので、
   別の病院へ行ったほうがよいと言うので、後日、隣の市の病院に行きました。
   医師は、頭をかしげて、「アレルギーの薬を出すから飲んでみて」と言われました。
   その薬は、飲まずに、すぐにまた違う病院に行きました。
   その判断は、あとで考えるとよかったようです。

   3件目の病院で、私の症状を聞くとすぐに血液検査をして、1時間も経ったでしょうか。
   皮膚筋炎ですので、すぐに入院して下さいと言われました。
   なにそれ? 家に帰ってから、すぐに家庭の医学を引っ張り出して見たら
   目が点になりました。