松葉から上腰越へ至る途中には下腰越の集落(住家二戸)があったが、現在は無住地区になっている。上腰越には四戸の住家があるが、現在居住しているのは二戸のみである。また、かってはかなりの面積の水田もあったが、なぜか水枯れになり稲を育てることができなくなったという(石場ダムができてからであるとか、周辺の広大な山林を伐採した為であるとかの説があるが、飲料水にも不自由するようになったという)。
上腰越集落入口の右側に古い石灯籠がある。山部松葉地区から野津町清水原に至る山道は、この石灯籠のあるところから右の道を進んで尾根を越えていたのだろう。近世から近代にかけて、腰越集落は物資運搬の「中継ぎ場所」になっていたのではないだろうか。しかし、腰越の集落がいつ頃からあるのかは定かでない。腰越集落の天神社は古くからあると思われるが、すでに社殿も失われて仮の社殿に神像が安置されており、創設時期は不明である。天神社の場所が分からず、腰越地区のAさんをお訪ねして神社への道を聞いた。Aさんは「話しても分からないだろうから、車で連れて行ってあげよう」と言われ、四輪駆動の軽四に乗せていただき、神社まで案内していただいたが、確かに神社への道は分かりづらく、四輪駆動車でなければ通れないようなひどい道だった。
Aさんから腰越地区のさまざまなお話を聞くことができた。佐伯市内に住んでいながら日用品を購入するためには、九十九折の山道を臼杵市野津町まで出かけなければならないと言う。不便だが、それでも腰越での暮らしを続けたい。だが夫婦のどちらかが死んで一人になったら山を下りざるを得ないだろうと言われた。そういえば平原地区のGさんも、日用品を購入するためには豊後大野市三重町市場まで行かなくてはならないと言っていた。 |