雪舟への旅

山口県立美術館 山口市亀山町3-1

 2006年11月1日から山口県立美術館で「雪舟への旅」展が開催されたので、11月12日に佐伯から車で出かけました。山口県立美術館には香月靖男のシベリアシリーズの絵画も収蔵されており、何度か立ち寄っています。
 雪舟の水墨画は、東京国立博物館で「秋冬山水図(国宝)」を見ていましたが、雪舟没後五百年記念の「雪舟への旅」展は、「四季山水図巻」「慧可断臂図」「七十一歳自画像」「天橋立図」「四季花鳥図屏風」など六十点余りですが、国宝全点を含む主要作が見られる貴重な機会でした。雪舟は国宝六点と日本美術史上、最高の評価を受けています。



雪舟七十一歳自画像(部分)
ちなみに次点は三点の長谷川等伯、狩野永徳、俵屋宗達、池大雅の四人です。
 雪舟(1420-1506?)は、現在の岡山県総社市で生まれました。京都の相国寺で水墨画を周文に学び、30代半ばで山口に移り、画家としての人生の大半を大内氏の本拠、山口で過ごしています。
 40代後半、大内氏の遣明使船で中国に渡航し、北京、寧波などに滞在、帰国後、九州各地を転々として、山口に戻りました。北陸、関東まで旅をしていますが、その生涯は謎が多いと言われています。
 左に掲示したのは、雪舟七十一歳の自画像です。絵の上に雪舟が七十一歳の冬に自画像を描き、弟子の秋月に与えたということが記されています。禅宗では、弟子が師の肖像に、師に願って賛(詩文)を書いてもらい、その法を嗣いだ証とすることがあります。この自画像は、これにならった画法伝授の証なのでしょう。変わった形の帽子をかぶった姿は、中国の禅僧の装いです。水墨画の本場である中国に渡った画家の誇りが示されます。
 国宝に指定されている作品はどれも素晴らしいものですが、格別に印象に残ったのは、四季山水図巻(毛利博物館蔵)でした。十六メートルにわたる長大な画面に移り変わる四季の景色を描き、その自然の中に暮らす人々を描き出しています。この絵が描かれた文明十八年(1486)は、雪舟のパトロン大内氏が、自らの氏族の権威づけを行うためのさまざまな儀式が行われた特別な年でした。そんな中で、当主である大内政弘に献上されたと考えられる記念碑的な作品です。六十七歳の作。(解説から一部引用)







田能村竹田

大分県立芸術会館 (現在は大分県立美術館 大分市寿町2番1号)

 1982(昭和57)年10月5日、大分県立芸術会館は開館5周年記念として田能村竹田展を開催しました。豊後国が生んだ巨匠田能村竹田の記念展を心待ちにしていた私は開催初日に訪れました。
 竹田の優れた作品は重要文化財に指定されており、今更多言を要しませんが、船窓小戯帖や亦復一楽帖から溢れ出るさわやかで自由な空気に心が安らぎます。一楽帖の牡丹を見たときは、極上の大吟醸を一口含んだときのように陶然となりました。何とも言えない幸福感、身体と心が自由になる至福のひと時です。
 竹田の絵の前に立った時、それまで聞いたことのない旋律の音楽がどこからともなく聞こえてきました。周りを見回しましたが、間違いなく画の中から不思議な音楽が聞こえてきます。 このことは、その後もながく気になっていましたが、1997(平成5)年に発行された大分県先哲叢書の「田能村竹田」を読んで納得しました。竹田は填詞の第一人者でした。私の聞いた(あるいは感じた)独特の旋律は、填詞の音楽性に由来したもので、竹田においては詩と音楽と絵画は混然一体だったのでしょう。「凍れる音楽」という言葉がありますが、竹田の絵画において、私はそれを体感することができました。
 大分県立芸術会館は、1998(平成6)年に、「竹田とその交友たち」展を開催し、2000(平成8)年には、竹田の愛弟子 高橋草坪の展覧会を開催しました。

 

田能村竹田自画像


戻 る