| 宮本常一 | ||
| 谷川健一 |
「児童百科事典」が終わったあと、私は自分の民俗学への関心を編集の仕事に生かしたいとおもった。 私が企画したのは、民俗学を中心とした地方誌であり、風土記の近代版を目指したものであった。それをはじめるにあたって、私は知り合いの鎌田久子に相談した。鎌田は柳田の側近の大藤時彦を推薦し、大藤は、宮本常一を推薦した。こうして三人を編集委員に「風土記日本」(全七巻)の仕事がはじまった。
宮本はその頃胃痛になやまされ、時折寝込んだ。彼は広大な渋沢敬三邸の一角に建てられた長屋に玄関番のような格好で住み込んでいた。三畳敷ほどのせまい部屋には、壁ぎわに天井まで届くような本棚が置いてあり、その脇に彼はせんべい布団にくるまって寝ていた。布団の皮は五月の節句のとき立てる鯉のぼりの布地をぬいあわせたものだった。私はそれを見たとき、胸に迫るものがあり、今度の企画はきっと成功すると思った。 そのあと、新宿駅の地下道を歩いているとき、彼とぱったり出会ったことがある。 宮本は出会い頭に 「谷川さん。私はあなたに発見された」 と言った。私はそのときの宮本の言葉が嬉しかったので今も忘れないでいる。年間二百日以上を旅にすごし、泊まった民家は八百軒という大旅行作家宮本も、当時は世間的にはほとんど無名であったのだ。 私は柳田国男のみちびきで民俗学の道に進んだが、民俗学に一生取り組んで後悔しないという確信を得たのは、宮本常一から学んだ庶民像によってである。そのことを宮本に感謝しすぎることはない。宮本の家は周防大島の庶民の出であったから、宮本は幼少のころから庶民の間ですごし、実情を知り尽くした真実の庶民像が生まれた。(民俗学者)
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