一 期 一 会



常栄寺雪舟庭(伝雪舟等楊作庭)山口市宮野下2001-1


禅の師匠

 私の禅の師である山口市宮野にある常栄僧堂の不昧庵(安田周山)老師が危篤状態とのお電話をいただき、3月25日(火)、急遽日帰りで山口日赤病院へ駆けつけました。
ちょうど常栄寺の雲水さんがお二人来ておられましたので、詳細をお聞きすることができました。昨年12月19日に足の具合が悪くなられて岡医院に入院されたとのこと。
その後、腹痛を訴えられたので日赤病院で検査の結果、胆のう破裂で2月3日に手術を受けられる。この頃、私は老師の夢を見たので「何かあったのではないか?」と案じてはいたのですが・・・。
 私が老師に初めてお会いしたのは昭和47年(1972)2月山口県吉敷郡小郡町元橋にある妙堪寺(臨済宗東福寺派)でした。私が24才、老師は49歳でした。
師一人弟子一人という得難い境遇で四年間徹底的に鍛えていただきました。
 私は一才九ヶ月で父親と死別し、母の実家に引き取られて祖父母に育てていただきました。私は母と祖父母の愛情を十二分に受けて育ちました。
しかし人が生きて行くにはそれだけでは十分ではないのですね!
私は思春期になると頻りに「生きる意味」を問うようになりました。
今から思えば無意識の中に父性を求めたのです。
「求めよ、さらば与えられん」です。
60才の今、振り返ってみれば、東京農業大学農業拓殖学科(現 国際農業開発学科)の栗田匡一先生、吉田定親和尚(後の安田周山老師)、内観法を確立された吉本伊信先生の3名の方々が私に父性の何たるかを身をもって教えて下さいました。
これは私の亡き父のお導きとしか考えられません。
父が亡くなる時は側に私と母がいたそうですが、私の記憶にはありません。
父は僅か一日の患いで亡くなりました。
寝床の父は母に在家勤行集を取ってくれと言って、正信念仏偈を拝読しながら逝ったそうです。

富山市 長島正博


長島正博様

不味庵老大師が11月27日に遷化されたことを昨夜知りました。
小郡の妙堪寺時代の老師を知っておられる長島様のブログを読み、30年来のことが頭の中を去来します。妙堪寺には一度だけ泊まったことがあります。
ある時、老師を常栄寺の隠寮にお訪ねした時のことです。老師は手元にあった墨蹟を私にくださり、
「自分が死んでも連絡はせんぞ」。「自分の葬儀一切はすべて寺の僧侶で行う」。
「出家するとはそういうことだ」、
と言われました。(その後しばらくして、足利紫山老大師の漢詩を織り込んだ不味庵老師の墨蹟と萩焼の抹茶碗が私宛てに届きました)(若き日の不味庵老師は、足利紫山老大師に仕えていました)

 
                                  
大分県佐伯市 仲野 生


仲 野 様


コメントをいただきまして誠に有難うございます。
周山老師は、確か佐伯出身とお聞きしていました。
 私が妙堪寺のお世話になっている時に、佐伯から老師の妹さんが一人娘を連れて訪ねてこられたことがありました。
昨年11月19日(月)、常栄寺へ老師をお見舞いにお伺いした折りに、老師との間に次のような問答がありました。

私 「人間は死んだらどうなるのでしょうか?」
老師「倒れるだけじゃ。」
私 「死後の世界はあるのでしょうか?」
老師「死んでみなければ分からない。」
私 「不昧因果と申しますが」
老師「その通りだ。」

その時、老師は
「わしは65歳で法を成就したから、わしが死んでも導師は要らない。」
とおっしゃっていました。
これが、老師と私のこの世での最後の会話となりました。
老師の告別式は、来年1月14日(水)10時から行われる予定だそうです。

 
                                    
長島正博 拝


長島正博様

 一読して重い内容のメールに、しばらくお返事を出すことができませんでした。
以前、妙堪寺の檀家の奥様から次のお話しを伺い、私は涙が止まりませんでした。
或る夜、遠慮がちに戸を叩く音に奥様が外に出てみると老師が立っておりました。
「今日で三日間、何も食べていない。申し訳ないが何か食べるものを分けていただけまいか。」
ほとんど檀家がなかった妙堪寺住職時代は食べるものに事を欠き、或る時は庭の草を食べていたが、やがてはそれも無くなった(何も食べていない日を三日間と書きましたが、本当は一週間何も食べていないと言われた。)。
檀家の奥様は大変驚き、
「私は知らなかった。なぜもっと早く訪ねてくれなかったのですか。」
と言い、急いで食べ物を用意して老師に供した。
「これからは、困ったことがあったらご遠慮なさらず、いつでもおっしゃってください。」
そして、
「老師様は生き仏ですよ。」
と、言われました。
常栄寺は大変立派になりました。しかし、私は昔を懐かしく思っております。
ある年、常栄寺をお訪ねしたときのことです。
隠寮の縁側で、これ以上どこを繕うことが出来るのかと思うようなボロボロの白足袋を丁寧に縫い繕っていた墨染めの衣の老師の姿を、今も忘れることができません。
来年1月14日の告別式には、常栄寺でお別れをしたいと思っております。
このたびは、誠に得がたい出会いをありがとうございました。衷心より御礼を申し上げます。
新年をお健やかにお迎えください。


                                      仲野 生



津  送

                                       長島正博

 不昧庵安田周山老師の津送が、1月14日(水)10時から山口市宮野下にあります常栄寺専門道場で行われ、私も参列させていただきました。
 私は前日夜8時頃山口市に着き、湯田温泉のビジネスホテルに泊まりました。
湯田温泉駅からホテルまで歩いて行く道中、ふと空を見上げると今まで見たこともないような大きな星が一つ輝いていました。
私には、その星がまるで周山老師のように感じました。
津送当日は薄曇りの寒空でしたが、タクシーで9時半頃常栄寺に着きました。
 一般の方よりも僧侶の人数の方が多いくらいで、30人以上はおられたように思いました(約百名の僧侶がいました)。
 普段は入れない本堂前の石庭から本堂に上がりました。ちょうど隣り合って座った方が、私のブログにコメントを寄せて頂いた仲野様でした。これも周山老師のお引き合わせかと感謝致しました。
 先ず周山老師のご遺骨が輿で正面から運び込まれて、本堂のご本尊前に安置され、式がはじまりました。その開始を告げる大太鼓が打ち鳴らされると、私は周山老師と過ごした妙堪寺時代のことが走馬燈のように思い出され、涙が止まりませんでした。
 ご本尊に相対して3人の老師方が玉座に腰掛けられました。真ん中におられる方は、たぶん本山東福寺の老師かと拝察致しました。両脇に腰掛けておられるのは、妙心寺の老師と方広寺管長の大井際断老師でした。三人の老師方は、それぞれ献茶の後、自作の漢詩を朗々と献じられました。
その後、老師を含めた全僧侶の方々が、陀羅尼を唱えながら経行(きんひん)される様は圧巻でした。
釈尊が入滅された時もこの様な光景だったのだろうかと想像しました。
11時頃終了し、小休止の後、新忌斎が営まれ、11時半頃散会となりました。
周山老師の妹さん母娘と義姉や妙堪寺檀家総代の原さんにもお会いでき、懐かしい思いをしました。



長島正博様


不昧庵老師の津送ではお世話になりました。
老師の津送の席で、三人の導師の方が印象に残りましたが、中でも車椅子の方が格別に印象に残り、気になって仕方がありませんでしたので常栄寺に電話してどなたであったのか聞きました。
山下様という檀家の方に電話をするようにと言われ、2月21日に山下様に電話をしました。
車椅子のお方は東福寺管長の福島慶道師とのことでした。
福島管長はパーキンソン病を患っているとのことです。
あの管長がと衝撃を受けて、涙が止まりませんでした。 

                                       
仲野 生


仲野様

コメントをいただきまして誠に有り難うございました。
集中内観に行っていましたので、お礼が遅くなりまして申し訳ございません。
やはり福島慶道管長でしたか。以前、NHK教育TVの「こころの時代」で拝見したことがありましたが、今回は分かりませんでした。


                                       
長島 拝


一期一会


2009年1月14日、不味庵老大師の津送の席で、たまたま隣に座ったのが富山県の長島正博様でした。長島様とはそれまでに何度かメールでは連絡していましたが直接お会いするのは始めてでした。しかし、私の左側に着座したその方の眼を見た瞬間に、この方は長島様だと直感しました。お互いにビックリしながら、老大師との思い出などを語り合い、長島様とのメールのやりとりなどを私のホームページに転載することをお許しいただきたいとお願いしました。
「老大師は後継者を誰に決めたのでしょうか」と長島様から聞かれて、ご自分の後継者は長島様の外には考えていなかったであろう事と、あとのことは本山に任せるつもりだったのでしょうと返答しました。
津送の終了後に長島様ともう少しお話ししたいと思いましたが、大勢の人に紛れてお会いすることができませんでした。ご縁があればまたお会いすることができるものと思っていましたが、幾ばくもなく長島様は病に倒れ、2010年5月に他界されたことを後日知りました。まことに人の世は一期一会です。

   

安 田 周 山
(やすだ しゅうざん)

大正14年〜平成20年(1925〜2008) 道号は周山、法譚は定親。室号不昧庵。俗姓吉田、のち安田に改姓。大分県佐伯市百枝出身。23歳のとき、大分萬壽寺の奥大節老師について得度。昭和24年5月、奥山方広僧堂に掛搭、のち萬壽僧堂、常栄僧堂に転錫。昭和45年、山口県小郡町妙湛寺の住職となるが、常栄僧堂に通参し、安田天山老師(臨済宗東福寺派管長)の法を嗣ぐ。同53年10月、常栄僧堂師家に就任、同時に安田姓に改姓。臨済宗東福寺派管長に推されたが固辞して受けなかった。
平成20年11月27日 遷化 世寿83


*ご縁があって、常栄寺住職安田周山老大師の元に30年間通うことが出来ました。もとより私は宗教は門外漢ですから、宗教について話すことはなく、主に歴史の話をしました。その話の合間に、足利紫山老大師をはじめ、歴史上著名な禅僧のことが何度も出てきました。今となっては記録しなかったことが悔やまれます。
 不昧庵老大師は、東福寺派管長に何度も推戴されましたが、決して受けることはありませんでした。
「わがままを言うが、自分は山口で生を終えたい。」と言われました。



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