1979夏8月11日(土) 大分,SUMIYOSHIHAMA R.P あの時の思いは今も忘れられない、

当時、サタデイナイトフィーバーが全盛期のとき(ジョン トラボルタ)私は20才だった。

白のカシミヤジャケットのエリを立ててディスコに行ってた時代!!!!!今思うと当時はかなり痩せてたような?・・気がします。・・

某、会社にて毎日働きずくめの毎日

ある時、某先輩より
矢沢永吉のコンサートケチットがあるから、、、、THE ONE NIGHT SHOW

この言葉がきっかけでした。今になってあらためて先輩に感謝 感謝 感謝 感謝

今になり思うと半信半疑で行ったコンサートも今では二度と出来ないすごい経験であった。

あの頃は今のように携帯電話もなく当日ケチットを手渡しでもらうのにどこどこの何処で何時にとか

非常にてこずった思い出があります。しかし本人(先輩)は行かれず友達を2人連れていくようになった。

なんとその友達は女性2人組 !!   即OK  

何処で待ち合わせたかは、もう覚えてないが、まぶい女性2人組でした。

コンサート会場へ行く当日、私のミス(仕事)で時間に遅れ女性2人とぶっ飛ばし会場へ!

しかし土曜の夕方ともなると車ラッシュ ラッシュ ラッシュ ラッシュ(別大国道)   
(車のラッシュ光の海に、、、、、、、どこかで聞いたカッコイィ詩)

裏道 裏道でけっこう時間短縮できたがOPENNING間近、しかし行くしかない!

道の途中で手を上げる若い2人連れ(ポマードテカテカでリーゼントきめまくり)
!!!柄が悪そう、、、

もしかしてと思ったら、、、やはり

コンサート会場へ連れて行って、、、OK でいざ会場へ!(車故障か警察に車没集とか言ってた記憶があります)00族
(私も当時はケンメリ白の4枚でハヤシレーシングでした)

なんだかんだでコンサート会場到着、もう始まっていた。長い道のりを歩く中 
E.YAZAWAファミリーが入場整理。。。

なにぶんにも初めて永ちゃんを見るということで心臓バクバク!!!!!!!!!!!!!

会場はスリバチ場の野外、、

だぶだぶのパンツで日本放送協会より締め出しをくらった
I SAY GOOD-BYE,SO GOOD-BYEを歌っていた時に入場したような?

 (当初、2月25日に発売予定だったらしい、、アルパイン・カー・ステレオのイメージ・ソングに起用の曲)

しかし後半過ぎバラードの曲の時だったと思うがなんとファンがステージ上に上がり永ちゃんと握手、、、、

もちろん一時中断になり永ちゃんはあの時(みんなハッピーでいこう)て言ったような?記憶があります?

しかし2.3回ぐらいの繰り返しの中永ちゃんも控え室へ、、、、、非常〜非常!!しらけてました、、、、

その直後

YAZAWAファミリーのマイク放送で  (もう矢沢永吉は大分には来ません!

次にエンディング曲の
引き潮が流れすべて終りでした。

以上が最初のコンサートの模様を20数年前?いや!!!30数年以上前をふりかえり綴ってみました。今では想像もつかないコンサートではないでしょうか???

今、惜しむことは最後まで気持ち良く永ちゃんに歌ってもらいたかったですね



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